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完璧主義を手放す~等身大の自分を受け入れる勇気~


このnoteは、毒親育ちの明日に希望を届けるためのnoteです。

今回は、完璧主義を手放すことについて、書きたいと思います。


1 機能不全家庭で育つと完璧主義になりやすい


毒親育ちに多い思考パターンの特徴として、白黒思考、ゼロか100か、
完璧主義というものがあると思います。


毒親は、子どもを加点方式でみることをしません。常に減点方式です。
できないこと、失敗したこと、知らないこと、間違えたこと、そういうことを見つけると、子ども相手なのに、まるで鬼の首でも取ったかのような物言いで、厳しく追及します。


このような親に育てられた子どもは、小さいころから自分の感情を受け止めてもらうことができず、親から一挙手一投足監視されるような毎日を送っています。


それでも幼い子どもにとって自分を守ってくれるのは、その親しかいません。だから、何が何でもその環境で生き延びるしかありません。


この環境で生き延びるために適応すると、知らず知らずのうちに、自分で自分をいじめてしまう完璧主義者になってしまいます。



2 完璧主義は生きづらさを招く


完璧を目指すこと、それ自体は決して悪いことではありません。


しかし、完璧主義が行き過ぎると、間違いなく、生きづらくなります。


たとえば、

・完璧を目指すあまり、実際の不完全な自分を見ることが怖くて、物事になかなか着手できない
・完璧にできるまで挑戦するのはやめようと思っているうちに、挑戦自体へのハードルがあがり、やがて何にも挑戦できなくなってしまう
・自分への要求水準が高すぎて、何をやっても満足感や充足感を得られない
・いつのまにか他人にも完璧を要求するようになり、周囲の人とトラブルになったり、協力関係を構築することができない

等々、行き過ぎた完璧主義は、生きづらさを招きます。



私自身も、長い間完璧主義を手放すことができず、本当に苦労しました。


小さいころ、芸能人の名前をちょっと間違えただけで、親から馬鹿にされて笑われたことがありました。
また、覚えたばかりの言葉を間違えたときも、そのことを執拗に追及されました。
試験でよい成績を収めても、より上位の成績をとった同級生と比べられ、
もっと成果を出すことを求められました。
司法試験に合格したら、次は結婚はどうする?と言われ、私の人生では、次から次へと課題が降りかかってきました。
どこまでいっても認められないと感じました。


その積み重ねで、私は完璧主義になりました。
できるだけ失敗しないように、恥をかかないように、笑われないように、間違えないように、と周りの目ばかり気にして、息をひそめて生きてきました。


学生時代、先生から回答を求められたとき、手を挙げたことなんてありません。
万一間違えたらどうしようという気持ちから、怖くて挙手なんてできなかったのです。
先生からは、答えがわかっているのに挙手しないなんて、積極性が足りないとか、授業を馬鹿にしているのではないか、と言われたこともありました。



社会人になると、そこに弁護士という職業柄、ミスが許されないという思いも加わり、完璧であることへのプレッシャーをさらに強くしていきました。


私は長いこと、完璧主義により、身動きがとれなくなり、本当に苦しかったです。



3 完璧主義の手放し方



でも、今は違います。


要因はいくつかあると思いますが、
一番大きな要因は、私が意識的に完璧主義を手放す練習をしてきたからだと思います。


自分のミスを追及してくる親が目の前にいないのに、
いまだに自分のミスを自分で追及してしまうのは、
残念ながら、毒親の価値観を内面化してしまったからです。


だから、親からされたことと逆のことを意識的に行いました。
具体的には、自分を加点方式で見てあげることにしました。


冷静に考えてみましょう。
人間には、誰しも、長所もあれば、欠点もあります。得意なこともあれば、苦手なこともあります。


だから、どのような自分でも、加点方式で見てあげれば、
必ず長所や得意なことは見つかるものです。


特別、人に誇れるような長所や得意なことを見つけられなくても構いません。


たとえば、
・自分は毎日定刻に起きて出社している、そんな生活をもう5年も続けている
・自分はいつもコンビニやランチを食べるお店で、店員さんに「ありがとう」と伝えている
・電車に乗っているとき、お年寄りや妊婦さんに席を譲るようにしている
・資料づくりで、数字だけは絶対にミスをしない
・友人や知人と行くお店が、いつもなぜか相手にほめられる

等、普通に生活していれば見落としてしまうような些細なことでも構いません。


少しずつでよいので、自分を加点方式で見てあげる習慣をつけることが大切です。
積み重ねているうちに、自分には良いところ、頑張っていること、ちょっと自慢したくなるようなところ、そんなものがあることに気づくはずです。


そのようなことを続けていくと、あれ?自分って捨てたもんじゃないかもしれない、ということに気づきます。


特別すごくもないけど、でも、特別ひどい人間でもないのではないか、と
等身大の自分を認めてあげることができるようになっていきます。


そうすると、人間というのは不思議なもので、自分の欠点や苦手なことについても、「まっいっか」とか、「しょうがない」という気持ちでゆとりをもって受け止めることができるようになっていきます。




4 完璧主義を手放すと


自分が完璧主義を手放すことができるようになったか、
それを知るためのわかりやすい基準があります。


それは、物事や課題に直面した時、
その成果や結果ではなく、過程に着目することができるかどうか、
という基準です。


完璧主義というのは、結局、結果や成果にしか目がいっていない状況です。


でも、人間ですから、どれだけ努力しようと、完璧な結果や成果を常に出すことができるはずもありません。
ましてや、試験や仕事は、必ず期限や締め切りがあります。
時間が有限な中、結果や成果を完璧にすることにこだわってしまうと、
まるで無理難題を押し付けられているような気分になり、パニックになるだけです。


でも、どんな状況であっても、ベストを尽くすことはできます。
たとえ時間が足りなくても、体調が悪くても、知識が足りなくても、
その状況において、ベストを尽くすということはできます。


ベストを尽くす時、もちろん私たちは、
成果や結果が出ることを期待します。
そのため、残念な結果に終わってしまうと、
とてもガックリするとは思います。


そんなとき、完璧主義の自分なら、ガックリするにとどまらず、
その成果や結果にだけに着目して自分を責めてしまいます。
そして、自分はダメ人間だ、とか、能力が低い、等と
必要以上に強く自分を攻撃してしまいます。


でも、自分を加点方式で見てあげることで、自分も捨てたもんじゃない、という自分に対するある程度の信頼感ができてくると、
たとえ成果や結果が残念なものに終わったとしても、
その過程においてベストを尽くした場合、
「仕方ない」、「人生結果が出ないときもある」、
等と思えるようになっていきます。


結果や成果が出なかったことを嘆きはするものの、
頑張った自分まで全力で攻撃していじめることは、
しなくなります。


あなたが、自分の頑張りを、成果や結果でななく、
過程で評価することができるようになったとき、
きっと完璧主義を手放すことができているはずです。



そうすると、不思議なもので、以前より積極的に物事に取り組んだり、
努力することができるようになります。


成果や結果は自分でコントロールはできないけれど、
ベストを尽くすかどうかは、自分で決めることができます。
もし成果や結果も出なくて、かつ、ベストも尽くしていなかったら・・・
間違いなく後悔します。


だから、次も成果や結果がどうなるかはわからないけれど、
後悔しないように、納得できるように、ベストを尽くそう!!と
思うことができるようになっていきます。
結果、以前よりも、積極的に物事に取り組んだり、
努力することができるようになるのです。


こうなれば、もう完璧を目指すあまり身動きがとれなくなる
ということはありません。
ただ、目標に向かってベストを尽くせばいいのですから。


そうすると、完璧主義にとらわれていたころより、
グンと生きやすくなります。




以上、完璧主義を手放すことについてでした。


ありのままの自分を愛してもらったという安心感がない毒親育ちにとって、
等身大の自分を認めるというのは、とても勇気のいることです。
でも、その勇気をもつことで、
今よりもっと自分を大切にすることができるようになります。
親から引き継いだ不健全な習慣を手放していきましょう。


少しずつでもよいので、
毒親育ちの方々が自分を大切にできるようになることを願って、
この記事を書きました。


今回もお読みいただき、ありがとうございました。







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