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あなたが生まれた日のこと 〜長女への手紙〜

 吉田柴犬&熊この最初の子ども、長女の吉田豆柴が生まれたのは、2000年3月4日だった。その日はさすがにテンションが高かったのか、将来の豆柴に向けて手紙を書いた。

吉田豆柴様

 あなたが生まれたのは3月のはじめのまだ肌寒い日の深夜でした。

 その頃、仕事がとても忙しかったお父さんは、平日に生まれるんだったら、病院にも行けないかもしれないな、と思っていました。ですから、土曜日に生まれて、本当に親孝行な娘だと思いました。

 もちろん、お母さんは初めての出産だったのですが、お父さんは不思議とあまり心配をしませんでした。もちろん、母体を気遣ってはいましたが、あなたが無事に生まれてくるかどうかについては、ほとんど心配をしなかったのは、自分でも不思議な気がします。

 2月になって、お母さんが定期受診でお腹の赤ちゃんが少し小さいので、大事をとって入院する、と言った時もきっと大丈夫だと信じていました。

 さて、生まれた日の話に戻ります。お母さんは朝から少し予感というか前兆がありました。そこで、お昼前に病院に電話して、少し早めに病院に行ってみることになりました。病院に行く途中は、小雨が降っていました。そのころには出産・入院に備えての荷物をバッグに詰めてあって、それを持っていったのです。

 あなたが生まれた聖隷三方原病院は、お父さんとお母さんが働いていた社会福祉法人の経営する総合病院で、お母さんは、3ヶ月前までその病院の受付で働いていました。だから、とても安心して出産をすることができたのです。

 病院に着いて、受診をすると、赤ちゃんが産まれる前兆がありますから、と言われて、初めて、あー、生まれるんだ、と思いました。それまでは、お母さんの大きなお腹をみても、あまり実感がわきませんでした。

 それから、午後の間は、陣痛の間隔が短くなるよう、病院の中を二人で行ったり来たりしました。夕方になって、お母さんには食事が出るけど、お父さんには出ないので、病院の前のレストランで、ハンバーグ定食をひとりで食べました。そのころはもう雨がかなり激しく降っていて、病院からレストランに行く1分ぐらいで、けっこう髪や服が濡れました。天気のせいか、レストランにはお父さんしかお客さんはいなくて、後からブラジル人のカップルがテイクアウトをしていったぐらいです。

 お母さんが心配なので、大急ぎで食べて、病室に戻ると、お母さんは痛みが強くなってきたようで、病院の食事にはほとんんど手をつけていませんでした。そこから3時間以上出産までかかるのですが、陣痛の間隔が狭くなるに従って、痛み自体は強くなるようで、お父さんは助産婦さんに教えてもらって、お母さんの腰をずっとさすってきました。

 途中、おかあさん方のおじいちゃん、おばあちゃん、Eねえちゃんが様子を見に来てくれました。お母さんは痛みが本当に強くなって、とても痛そうでした。それから、お母さんは隣の分娩室に入って、15分ぐらいで、赤ちゃんの泣く声が聞こえて、あー生れたんだ、とお父さんは思いました。

 しばらく経つと、お父さんも分娩室に呼ばれたので、入ってみると、台の上に血だらけで、くしゃくしゃの顔をした赤ちゃんが、寝ていて、それがあなたとの初めての出会いでした。お父さんも生まれたばかりの子を見るのは、初めてだったのですが、助産婦さんが長い管をあなたの鼻に通して、胃の中に入っている羊水を吸い出して、それからメジャーで身長や胸囲を測るのを見ていました。お母さんは、本当にほっとした顔をして、あなたを見たり、抱かしてもらったりしていました。あなたが生まれたのは2000年3月4日の午後11時47分でした。

 それから、待っていたみんなにあなたを見せたり、荷物を病室に移したりして、お母さんが病室に戻るのを待ちました。お母さんが病室に戻ってきて、お父さんが病院を出たのは、午前2時過ぎでした。

 雨はほとんど止んでいて、とても寒い夜でしたが、とてもうれしくて、お父さんにしてはけっこう興奮していたのを覚えています。コンビニでエビスビールを買って帰って、一人でお祝いをしました。

 あなたの生まれた日の出来事でした。
 

 この文章をあなたが読むことがあるのかどうか、分かりません。十代になったあなたに読んでもらうように書いてみました。

2000年3月5日 深夜

吉田柴犬
 


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