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「価値観がアップデートされない人たち」を見下しても解決しない

「結婚して子どもを育てるのが女の幸せだ」

……なんてことを言う人が、私の若い頃(2005年くらい?)は周りにけっこういた。年配の人だけじゃなく、同世代にもけっこういたのだ。

そのたびに私は「幸せのかたちはひとつではない!」「結婚によって幸せになる女性もいるし、結婚を選択しないことで幸せになる女性もいる!」と語気を荒げて反論した。

けれど今は、いちいちそんなことを言わなくてもよくなった。

付き合う人たちの価値観が軒並みアップデートされ、「女の幸せは結婚と子ども」的なことを言う人が周囲にいなくなったからだ。

札幌で専業主婦をしている65歳の母でさえ、とっくにアップデート済み。71歳の父はまだ「そうは言っても、やっぱり結婚してて子どもがいるほうが幸せだろう」と思っていそうだけど、同時に「それをうかつに口に出すべきじゃない」ということもインストールされている。たぶん。

傲慢な言い方をしてしまえば、価値観がアップデートされていない人(遅れている人)が周りにいなくなった。

けれど、それはあくまで私の観測範囲での話だ。

そういった価値観を持つ人が絶滅したわけではない。

以前、こんなことがあった。

登山口から麓の町に行くバスで、運転手さんとふたりきりだったとき、

「へぇ、あんた結婚してるの! 結婚してるなら、なんで働いてるだ? 奥さんは旦那さんに稼いでもらって子育てするもんでしょ」

と言われた。

私はその発言に腹が立つでもなく、「田舎のお年寄りの感覚ってまだこんな感じなんだな」と思った。

心の中に、「まだそんなこと言ってるの? 今はそういう時代じゃないから」と嘲笑している自分がいる。自分はアップデート済みであるという自負から、はっきりと運転手さんを見下しているのだ。

そのことに気づき、相手を見下してしまう自分は傲慢だなあ……とは思ったけど、かといって運転手さんに対する認識を改めようとは思わなかった。

私はやっぱり、運転手さんのような発言をする人を見下してしまうし、そのことへの反省もない(しかし、見下していることに自覚的ではありたい)。

だけど、「価値観がアップデートされない人たちを見下しても、なんの解決にもならないよなぁ」とは思う。

友人の桃ちゃん(仮名)はある地方の村出身で、実家は農家。彼女は私と同い年で、パートナーと長く同棲しているけど、考えがあって籍は入れていない。

親は彼女の選択に対して何も言わないけれど、親戚や近所の村人は「早く結婚しろ」「子どもを産め」とうるさいらしい。

「親のためにも正月はなるべく帰省したいけど、外野からあれこれ言われるのはストレスなんだよね。どうにかして親戚に会わずに済む方法ないかなぁ」

彼女がそう言うと、その話を聞いていたエリちゃん(仮名)が

「今はそんな時代じゃないから、そんなこと言う人のほうが間違ってるよ」

と言った。

ん? なんかズレてない?

私と同様の違和感を、桃ちゃんも感じたらしい。

イラっとした口調で、「どっちが間違ってるとか言ってもしょうがないじゃん。そういう人がいるのが現実なんだから」と言った。

そして、「じゃあ、エリちゃんが村の年寄りたちに『あなたたちは間違ってる!』って言って、考えを改めさせれば?」と吐き捨てる。

……そうなんだよなぁ。

エリちゃんが村の人たちを「間違ってる」とジャッジしたところで、桃ちゃんが親戚からあれこれ言われること、それがしんどいことは変わらない。

その悩みの解決こそが桃ちゃんの望みで、それは、相手を見下したところで叶わないのだ。

まぁ、だから相手(この場合は村の人たち)を見下すなとか、相手に迎合しろとか、そういうことを言いたいのではない。

桃ちゃんが相手を見下しても、歩みよっても、どっちにしろどうにもならないよね、という話。


この話にオチはない。久しぶりに桃ちゃんと連絡をとって思い出したから書いた。

今も、桃ちゃんの悩みは解決していないだろう。

「正しいかどうか」って、ときとして腹の足しにもならないんだよなぁ。


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