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書きたくないものを書くのが苦しかったこと

ありがたいことに、毎日何かしらの文章を仕事で書いている。「書けない」ことはあっても「書きたくない」と思うことはない。

それは、書きたいことを書いているからだろう。

私は、気づいたら誰に頼まれたわけでもない文章を勝手に書いちゃってるくらい書くことが好きだけど、それは書きたいこと限定だ。文章ならなんでもいい、というわけではない。

だから、書きたくない文章を書くのは苦痛だし、やっぱり書きたくないのだ。

私は2月からnoteを毎日更新してるのだけど、実は、毎日更新は今回が初めてではない。過去に2回ほど、ブログを毎日更新していたことがある。

最初のブログは2013年。夫と共に旅に出ることになったので、旅行記ブログを始めた。

もともと旅をしない人間だったので、初めての旅はすべてが珍しい。毎日、毎時間、毎分、たくさんのことを感じるし、考える。それをすべて文章にしたいと思った。

初めはリアルタイムで更新していたのだけど、旅の間はそこまでブログに時間を割くわけにもいかず(半年間と決めていた)、だんだんと書くことが溜まっていった。そこで、旅の途中でブログの更新を辞めた。その代わり、書きたいことはメモ帳に手書きで書き留めておいた。

帰国後、メモと記憶を頼りにブログの更新を再開。山小屋の仕事が始まるまで数週間あったので、その間は毎日8時間くらいブログを書いていた。

PVは50程度で、広告などを貼っていないので収益があるわけでもない。それでも書いていたのは、単純に書きたかったからだ。

山小屋の仕事が始まってからはまた更新が途絶えたが、下山後に再び書きはじめ、再開から4ヵ月後に旅行記は完結した。すでに、帰国から9ヶ月経っていた。

このブログは何かしらの見返りを求めて書いていたわけではなく、「旅行記を完成させること」そのものが目的だった。だから、書いていてとても楽しかった。

この翌年、私は別のブログを始めた。それは、細々とイラストレーターとしての活動を始めた夫の、集客のためのブログ。もちろん、「知名度を上げること(あわよくばご依頼をいただくこと)」が目的だ。

集客が目的だから、旅行記と違って、私の書きたいことだけを書くわけにはいかない。いわゆる「読者にとって有益な情報」を書いていた。

毎日書いていたら、ブログを見て知ってくださった方からのご依頼が来た。PVはたしか1000未満だったけど、まぁ、何もしないよりはマシだったと思う。

そのブログを始めたのは1月で、山小屋に行く6月までの間は毎日更新した。山にいる間は夫のイラスト業も中断するし、ブログも中断。そして、山の仕事を終えて下山したあと、毎日更新を再開した。

けれど、再開して2ヶ月ほど経ったとき、プツンと糸が切れたように「もう嫌だ」と思った。

これは、私の書きたいものじゃない。だから、書くのが苦しい。

だんだん、「なんで私がこんなことしなきゃいけないの?」と思うようになった。ストレスで体調を崩すくらい。

だけど考えてみれば、夫が私にブログ集客を頼んだことは一度もない。私が自らの意思で始め、継続していることだ。

……やりたくないなら、やめればいいじゃん。

私はブログの更新を辞めた。

その直後、「書きたいものを書こう」と思ってnoteのアカウントを作った。

最初に書いたのはこんな記事だ。

書きながら、「私が本当に書きたいのはこういうことなんだよな」と思った。

noteというプラットフォームには、私のように「ただ書きたいから書いてるだけの人」がたくさんいた。

そうだよね。エッセイって、書きたくなるよね。

noteで(私が一方的に)同士と感じる人の文章に出会うたび、嬉しくなった。


昔から、やりたくないことをやると体調を崩す。とんだわがままボディだ。

以前は「やりたくないことでも我慢できる人になりたい」と思っていたけど、34年間あがいてもそういう人になれないので、さすがにあきらめた。

「やりたいことだけやって生きる!」というとめちゃくちゃポジティブな人みたいだけど、私の場合は「やりたいことしかできないから仕方ない」という諦念で生きている。

そういう人、意外といると思うんだよなぁ。


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