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3月11日だけ「今ある日常に感謝」と言う人は

「今当たり前にあるものは、本当は当たり前じゃないかけがえのないもの。だから、今ある日常に感謝して生きよう」

毎年3月11日になるとfacebookにそういった内容の投稿があふれる。

私の友人もだ。2012年から毎年律儀に、同じ内容を発信している。「私が生きている今日は、誰かにとって生きたかった明日」とか。フランスのテロのときも、同じようなことを書いていた。

その意見に異論はない。私も、今こうして生きていること、夫が生きていてくれることを、有難いと思う。

けれど、普段はその有難さをたいして実感せずに生活している。日々のあれこれに一喜一憂し、「生きられてありがたいなぁ」なんて思う日はそうそうない。感謝しているのに、その気持ちを忘れてしまうのだ。

そして年に一度、この日になると思い出す。

我ながら「それってどうよ?」と思う。

被災した方を引き合いに出さなくても今あるものに感謝するのが、あるべき姿じゃないだろうか。

被災した方と自分を比べて「自分は恵まれてるんだから……」などと思うのは傲慢だし失礼だと思う。震災関係なく、恵まれていることには感謝すべきだし、していたい。

なのに、すぐに忘れてしまう。

忘れるのは私だけじゃない。

「今ある日常に感謝して生きよう」と言っていたはずの友人も、しばらくのうちはその気分で過ごしているけど(おそらく3月20日くらいまで)、すぐに忘れて仕事や家庭の文句を言い始める。

いやいやいや、今ある日常に感謝してないじゃん!

……と、偉そうなことは言えない。私も同じだから。

私も友人も、忘れがちな人はみんなタトゥーを入れるべきなのかもしれない。

以前、アウトデラックスという番組にSIAM SHADEのヒデキさんが出演したときのこと。

ヒデキさんは「忘れないように、大切なことはタトゥーにして腕に彫っている」と話した。

彼の腕には「努力 根性 気合 信念」の文字。それを見たマツコデラックスさんが「それ……彫らないと忘れます?」と呆れていて、私も爆笑した。

でも。

忘れたくないことを忘れてしまうのは、ヒデキさんだけじゃない。私や友人もだ。きっと、他にも大勢いる。

忘れたい人は、忘れればいい。

でも、忘れたくないのなら、忘れない努力をするべきだと思う。それをしているヒデキさんは、とてもかっこいいんじゃないか(爆笑したけど)。

3月11日以外の364日間もこの気持ちを忘れずにいられる方法を、私は模索している。タトゥー以外で。


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