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インドのナグプール(南天竜宮城)に行った話 1

こんにちわ。 いつもお読みいただきありがとうございます。

最近、「Jai Bhim ジャイ・ビーム インドと僕とお坊さん」というドキュメンタリーを見ました。

インドの新仏教徒のために粉骨砕身し働いている、佐々井秀嶺師というお坊さんを追ったものです。 

このドキュメンタリーを見て、2012年の夏、実際に佐々井上人にお会いしにインドのナグプールまでいったときのことを思い出し、その頃のことを書いてみたくなりました。

これからしばらくは、当時の事を思い出しながら、またインドで広がる新仏教徒運動や佐々井上人のド偉さ、インドで仏教を復興させたアンベードカル博士のことなどについても書いて行こうと思います。

しばらくお付き合いいただけたら幸いです。

 

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インドで生まれた仏教ですが、実は、13世紀頃インドではヴィクラマシーラ僧院がイスラム教徒によって破壊されたあと滅んでしまいます。 その前から仏教はインドにおいては衰退していたそうですが、イスラム教徒がとどめを刺した感じでしょうか。

そんな仏教が、近代においてインドで復活を遂げます。 

1956年、不可触民(ダリット)出身の政治家、思想家であったビーム・ラーオ・アンベードカルが、自分を人間として認めない宗教、つまりヒンドゥー教を棄て、ビルマの僧侶から戒を受け仏教に改宗しました。しかも、不可触民50万人を引き連れて。 

私は今「不可触民」と書きました。

カースト制度の影響がなお根強いインドでは、厳然として社会に階級が存在します。 

そのカーストにも入れない、底辺の底辺に蠢(うごめ)く民衆がインドにはいるのです。彼らは「不可触民」「アンタッチャブルス」、もしくは「ダリット」と呼ばれ、触れても見ても穢れる存在とされ、人間であって人間でない扱いを受ける人たちです。

ビーム・ラーオ・アンベードカルはその「ダリット」出身なのです。

彼は自分を人間として認めてくれないヒンドゥー教を棄て、人間は平等であると説く仏教に、多くの不可触民と共に改宗しました。 

それが1956年10月14日のことです。 

ですが、アンベードカルはその2カ月後の12月に突然死去します。まるでこの世での使命を果たし終えたかのようなタイミングです。

佐々井上人がナーグプールに来たのは、アンベードカルの死後11年後1967年のことです。 それも、龍樹(ナーガルジュナ。中観派の祖、真言宗の付法八祖の一人 ) の霊夢に導かれて・・・

続く

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