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「スターウォーズ」登場。

1977年の秋だったと思いますが、アメリカですごいSF映画ができているという情報がSF研究会に入りました。
「スターウォーズ」です。夏に全米公開になって、ハワイへ見に行った人の話をよくテレビでやっていました。監督はジョージルーカスで、彼の映画は、「アメリカングラフィティ」(1973年)を中野武蔵野館でそれまでに見ていて、見たときに、すっかり60年代の映画だと思っていたら、73年製のしかもものすごく若い監督が作ったということで名前に記憶がありました。名作でしたね。
「スターウォーズ」は日本では1978年の夏公開が決まっていました。さほどに期待をしていなかったのですが、松竹に入った年の7月、日本での公開時に銀座のテアトル東京というシネラマの巨大映画館があって、そこで見たのですが、圧倒されてすっかりスターウォーズファンになりました。スターウォーズはSFというよりファンタジーで、ファンタジーは当時から小説で読んでもよくわからなかったので、初めて映像になってびっくりしました。
ちなみに同時期にスピルバーグの「未知との遭遇」が2月に「スターウォーズ」より先行して公開されて、大変当たりました。あのUFOに呼びかける音楽が大変流行になりました。私は、名古屋の映画館で立ち見で見て、UFOが手前に飛んでくる迫力にびっくりし、また、宇宙人との交流では大変感動しました。若かったので感受性が豊かだったのでしょう、本当に宇宙人に遭遇したような感覚を覚えました。CGのない時代にすごい映像です。※私は80年代に、テアトル東京で、リバイバルの「2001年宇宙の旅」を真ん前で見て、宇宙酔いのような感覚を覚えました。もうないですが、臨場感のある良い劇場でした。
スピルバーグは、「激突」(71年)「ジョーズ」(75年)のころから好きでした。80年代のルーカスと一緒に作った「インディジョーンズ」(81年)が一番好きです。ゼメキスと作った「バックトゥーザフューチャー」(85年)、90年代のマイケルクライトン原作の「ジュラシックパーク」(93年)あたりまでは大変面白かったです。スピルバーグはその後の大ヒットテレビドラマ「ER」(94年)もマイケルクライトン原作でしたが、マイケルクライトンが亡くなってから面白くなくなった気がします。
ルーカス、スピルバーグは、日本のアニメに影響を与えているし、彼らの映画にも日本のアニメや漫画の影響はあったように思います。
大友克洋が、「童夢」(1981年)「気分はもう戦争」(1981年)という漫画で登場し、ものすごくうまい絵でかっこよく、この人が出て私はすっかり漫画家になる夢をあきらめた感じです。私はこの時期の天才漫画家は、大友克洋と鳥山明だと思います。鳥山明が「ドクタースランプ」(80年)で登場したときは、びっくりしました。デフォルメキャラなのにものすごく立体感があり、3DCGのような絵でした。まだCGは世になかったころでした。

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