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短篇小説 「フラと少年」

「祐樹(ゆうき)はどこへ行ったの?」
  楽屋に女性の声が響いた。ここはJR蒲田駅前の大田区民会館の大ホール。今年も恒例のナー・マモ・オ・カイマナ主催のフラの発表会が行われていた。ナー・マモ・オ・カイマナを主宰する阿部ルミ子(三十五歳)がフラ教室の生徒さんを集めて開催する年に一回の発表会だ。生徒数三百名。東京でもかなり大きい教室だ。発表会は午前十時から始まっていた。
   ハワイからゲストダンサーを迎えて審査を行い、優秀なダンサーには表彰がある。
  Lei Ho’oheno、He Aloha No O Honolulu、Aloha Oeといった有名な演目が十分おきくらいに次から次へ始まっては終わり、かなりあわただしい。ホール出入り口の広いホワイエをフラの衣装に身を包んだマダムたちが走り回る。首を飾るレイや髪飾りやムームーやパウスカートの色や柄でチーム分けされている。ハワイアンのほんわかした心を癒やすメロディーが会場をうずめるが、それとは反対に、楽屋にルミ子のイラついた声が響きわたった。
「祐樹をだれも見なかった?」
   阿部祐樹は小学二年生。ルミ子の息子だ。祐樹は、発表会の自分の出番をすっぽかして脱走した。祐樹は昨晩、ルミ子と言い争った。祐樹は生き別れの父親からルミ子あてに届いた手紙を偶然、読んでしまったのだ。祐樹が父親に会いたいと言ったことで口論になった。家出したのだ。
  午後一時ごろ、蒲田駅東口の交差点。春彦とガールフレンドの玉枝は、ワーゲンバスに乗っていた。そして横断歩道をぼんやり渡っていた祐樹をはねそうになった。
「こらぁ、死にたいのかぁ」と窓を開けて怒鳴る春彦。
   祐樹はバッグひとつで着の身着のままの姿だった。九月の連休を使い、春彦と玉枝は、西の方を目指して卒業旅行を始めたばかりだった。目的地をとくに西のどこ、とは決めていなかった。気の向くままの二人旅だ。
  ふたりは蒲田に住んでいた。車はワーゲンバス。千九百七十九年製、千九百七十CC、全長四メートル五十センチ、ボディの下半分が水色で上半分が白、正面についているワーゲンのマークはピンクだ。フロントガラスが真ん中で二つに分かれているスプリット式。二列で五人座れて、うしろのスペースが荷台になっているレトロでしゃれたワンボックスカーだ。車の荷台に寝袋を積んでいるので宿は取らずそこで寝る予定だった。
   春彦は私立大学の四年生。工学部だがあまり勉強していない。車が大好き。もじゃもじゃ頭で不精髭を生やし、この日は白のつなぎに裸足でサンダルのいでたちだ。春彦の実家はあきる野市で中古車販売をやっている。ワーゲンバスは、兄貴のお古だ。親の仕送りで生活しており卒業したら実家に就職する。三つ上の兄は、専務になってばりばり車を売りまくっている。
   玉枝は三つ上の二十五歳。蒲田駅前のコンビニでふだんはバイトしている。茶髪でロン毛でピンクのミニのワンピース、靴もピンクのスニーカーだ。静岡県焼津市出身。五歳年上の兄の反対を押し切って上京したので、七年間いちども家に帰っていない。父親を早くに亡くしたため、兄が父親代わりだった。玉枝は、小劇団に入って女優を目指していたが、なかなか売れないし、食えない。春彦に出会ってからもバイト生活が続いていた。最近は、舞台出演もご無沙汰だ。自分が女優かどうかもわからなくなってきた。昨年から春彦のアパートでいっしょに住んでおり二人は同棲中。コンビニで客と従業員の関係で知り合った。春彦がコンビニの裏で買ったばかりの缶ビールを飲んでいるときに、バイトの休憩時間だったらしく煙草を吸っている玉枝と目が合った。
   春彦は、四年生の今年の夏は卒業旅行を計画していた。玉枝がコンビニの休みをとって同行することになった。玉枝は、卒業旅行の途中で、焼津の実家に寄りたい、そこで春彦を母親に紹介したい、と考えていた。
   ワーゲンバスが通り過ぎると、横断歩道の端で祐樹がうずくまっていた。泣いているのがルームミラーで確認できた。黒いTシャツにジーンズ、ナイギの真っ赤なスニーカーのいでたち。そしてPOMAの黒のショルダーバッグひとつ。車を停めて、春彦が近づいて、
「どうした、当たってないだろ」
「・・・お父さんに会いたい」小声で泣き続ける祐樹。
   春彦は祐樹を車の方に連れていき、車内で事情を聞くことにした。ワーゲンバスに乗ると、祐樹が父親から届いた封書を春彦に見せた。封書の裏を見た。父親の住所があった。
「会いたいのか」
「うん」
   春彦が玉枝の顔を見る。玉枝は首を縦にふった。
「わかった。これから行こう。連れてってやるよ」
「ほんと?」
   うなずく春彦。玉枝もにっこりした。住所は、愛知県だった。
「どうせ西へ旅する予定だった。いいよ、ついでだから」
   ワーゲンバスは、蒲田から海老名へ向かい、海老名サービスエリアから東名高速に入って西へ走った。
   午後三時。御殿場あたり。空気が澄んでいれば右に富士山が見えるはずだが、あいにく今日は湿度が高く、遠くまでもやがかかっている。少し動くだけで汗ばむ。
   クーラーの調子が悪く、音ばかりおおげさでちっとも冷えない。フロントのスライド式窓を開ける。湿気がどっと入ってきて鼻の頭が濡れる。
「残念。きょうは富士山が見えないね」と玉枝。
   二人は時間をかけて祐樹から事情を聞きだした。
   祐樹は口が重かったが、ゆっくりゆっくり話しだした。祐樹は、シングルマザーのルミ子に育てられていた。ルミ子は、恵比寿でフラ教室を主宰。祐樹がフラのすじがよいのをルミ子は気がついていて、幼稚園の頃から熱心にフラダンサーの修行をさせてきた。
「上手なんだ?」
「そんなことない」
「あとで踊ってみてよ」
「やだ」
   父親の祐太朗は祐樹に会いたがっていた。これまでにも何通か手紙がきていたようだが、祐太朗に裏切られたと思っていたルミ子は祐樹を祐太朗に会わせたくなかったから手紙の存在を祐樹に教えなかった。昨夜、たまたま祐樹はルミ子の鏡台の上に置いてあった届いたばかりの祐太朗からの手紙を発見した。そして、つい読んでしまった。
   午後四時を過ぎていた。玉枝の実家のある焼津へ寄ることになった。東京と名古屋のほぼ中間だ。
「ちょっとだけだから、いいよね」と玉枝が祐樹に言う。
   車が、焼津のインターチェンジを抜けて、市街へ入った。漁港が近い。潮風といっしょに獲れたての魚のにおいが押し寄せる。
「くせえな」と春彦。
「なつかしい、故郷の香りだね」と玉枝。
   商店街の裏手の細い路地に入ると、昭和の趣の木造家屋の住宅街が続く。車が実家近くにやってきた。
「そこの路地を右へ」と玉枝。
   木造の二階建が見えてきた。生垣で囲まれている。
   二十メートルほど手前で車が停まり、玉枝が降りる。しばし家を見上げている。春彦と祐樹も降りてきた。
「玉枝」、とうしろから声がかかった。玉枝が振り向くと、そこに、玉枝の兄がいた。角刈りで腹が出てランニングシャツにサンダルだ。レジ袋を提げている。コンビニの帰りだ。
「なんだおまえ。ちっとも顔見せんで」
「にいさん・・・」
「二度と帰らんとか言って出ていったくせに」
「まあまあ、おにいさん」と春彦。
     兄が春彦と祐樹の顔を見比べて、
「なんだおまえ。ガキの分際で子供作って」
     兄は祐樹を玉枝の子供と勘違いした。
     仲裁した春彦はとんだまきぞえで、兄のパンチを浴びて、額にコブをつくった。
     ご近所さんたちが騒ぎを聞きつけ家の表へ出てきた。野次馬だ。
「二度と来るな」兄の怒鳴り声を聞きながら、
「まいったなぁ」逃げるように車を発進させる春彦。
    車がすぐ先の狭い十字路へ出ると、かどに母親が現れ車を停めた。髪は白く黒っぽいワンピース姿だ。顔のしわが目立ち化粧っ気もなく実年齢より上の七十歳代に見えた。「また遊びに来て」と母親。
「玉枝をよろしくお願いします」と春彦に向けて。
   母親は、実家で玉枝の兄夫婦といっしょに暮らしていた。玉枝は、年に数回、母親に手紙を出して近況を伝えていたつもりだったが、「いい子だね」母親も祐樹のことを二人の子供だと勘違いしたようだ。祐樹に千円札を母親が握らせた。
「ごめんねえ。とんだとばっちりで」と玉枝。
「ほんとだよ」春彦がおでこをさすってみせた。
「でもお母さん、元気そうでよかった」玉枝がしみじみつぶやいた。
「祐樹もけっこうちゃっかりしてんな。小遣いもらうことないだろ」
「・・・」祐樹は無言で千円札を握り締めた。
   浜名湖を過ぎて、愛知県に入った。豊橋を過ぎたあたりで、ラジオからハワイアンが流れてきた。
「踊ってみてよ、フラダンス」と助手席の玉枝。
「やだ」祐樹は二列目に座っている。
「ねえ、フラダンス」玉枝が振り向いて、祐樹に向かって両腕を揺らせてフラダンスのまねをする。
「フラダンスじゃない、ただのフラ。ハワイ語のフラはダンスっていう意味。ダンスダンスじゃおかしいでしょ」祐樹は機嫌が悪い。
「男はこんな風にやらない」祐樹が両腕を揺らせている。
「あ、そうなの。こんど見せて」
   上郷サービスエリアで食事することになった。駐車場は割とすいていた。長距離トラックが数台停まっていた。午後七時。九月も末になるとすっかり秋めいてくる。日暮れが早い。空気も少しひんやりしている。リーリーリーと高速道路わきの土手から虫の音も聞こえてくる。
「祐樹、何にする? うどんでいいか?」
「うん」
「うどん定食三つな」
「わたしはカレーライスがいいな」
「了解」
「ぼくもカレーにする」
「はいはい。じゃ、俺はかつ丼だ」

「喰った喰った。祐樹、俺のおごりだかんな。一生忘れるな」。
  三人が車に乗り込み、春彦がエンジンをかけようとすると、なぜか前方右側が沈んでいる感じがする。春彦がおりてしゃがんでタイヤを眺める。
「あらら、パンクだ。右前がパンク」荷台を春彦がのぞく。
「みんな、ごめん」
「え、どうしたの」
「悪い、スペアタイヤがなかった」
「え」
   春彦がどうしたものかと腕組みをしていると、
「にいちゃん、パンクか」
   と手拭いで鉢巻きをしたおじさんが声をかけてきた。六十代前半な感じだ。
「うちの修理工場が近いんで、引っぱってってやるよ」
「いいんですか。すいません」
  春彦はエンジンを切って、おじさんの世話になることにした。
「なあに、すぐなおるよ」
   おじさんの車は修理工場のレッカー車だった。修理した車の納車の帰りだった。
   ワーゲンバスはレッカー車にひかれて、上郷SAから十五分ほど西へ走って三好インターチェンジに到着した。三好インターを出て、東名高速を離れ、市街地を走り十分ほどで福谷(うきがい)とかいう集落にやってきた。県道に面したところに、おじさんの修理工場はあった。
「伊豆原モータース」と看板が出ていた。内部で蛍光管の光る内照式だ。周囲はほとんど田んぼで田舎だが、インターが近いせいか、けっこう車だけは行き交っている。
   おばさんが出てきた。五十代後半くらいか。
「パンクだ、パンク」
   おじさんが窓から顔を出しておばさんに声をかける。奥さんのようだ。小柄だが太っている。前掛けがオイルで汚れていた。店を仕舞いかけていたらしく、ガレージのシャッターが下りていたので、奥さんが再びシャッターを上げた。
   タイヤからチューブを取り出し、水槽でぶくぶくさせてパンクの箇所を割り出し、そこへヤスリをかけてパッチを貼って万力で締めつけて、それからマッチで点火して熱して、三十分ほどで手際よく修理が完了した。昔ながらの修理方法だ。春彦は珍しそうに眺めていた。
   事務所でひと息つく。壁にトーキョータイヤのカレンダーがかかっていた。アイドルが水着姿でお色気ポーズをとっていた。
「にいちゃん、どこから来た?」
「東京です」
「これからどこへ行くの?」
   ああ、そうだとばかりに春彦は祐樹から封筒を取り上げて裏に書いてあった住所をおじさんに見せた。
「ああ、ここか」
「すぐじゃん」と奥さんがのぞく。みんなにガラスコップの麦茶を配っている。
「三好丘だろ。ここから車で五分だな」
   修理代は二千円だった。高いか安いかわからないが春彦にはちょっと出費だった。
   おじさんが教えてくれた道をたどって、三好ケ丘という住宅地にやってきた。外は真っ暗。心細げな街灯の中、車が進む。車が数台行き交うがあまり人が歩いていない。静かな郊外の分譲住宅地だ。昔はここら辺は森だったんだろう。住宅地のまわりは田んぼや畑や雑木林が囲む。割と大きな庭付き一戸建ての住宅が続く。碁盤の目のように敷地が整備されている。地元の人が住んでいるのじゃなさそうだ。名古屋あたりからやってきた人たちや、となりの豊田市に大きな自動車会社があるからそこの社員もいるのだろう。
 一角に団地があった。五階建て鉄筋造りだ。エレベーターはなさそうだ。住宅地の初期にできたのか、築三十年くらいはたっていそうな少し古い建物だ。壁がところどころひび割れてコンクリートが剥がれ落ちている。
「ここかな」
    団地の前に車を停めて、春彦がスマホの地図アプリで場所を確認する。
「行ってみよう」
    春彦は祐樹の手を引く。玉枝もついていく。団地の入口で、祐樹の足が止まった。
「なんだ、おじけづいたか」
「しょうがないよ、会ったことないんだから」と玉枝。
    部屋は三〇三号室だった。階段を上がる。ピンポーン・・・ピンポーン・・・ピンポーン・・・。留守のようだ。
「出直すか」春彦たち三人は、車に戻った。
    午後十時を回ったころか。三人がいつのまにか車の中で眠っていると。コンコンとフロントガラスをたたく音で三人は目を覚ました。
「あのう」
    三十代後半な感じの男が立っていた。灰色の工場の制服姿だった。春彦が窓をあけた。「部屋の隣の人が、お客さんが車にいるみたい、と教えてくれたんで」・・・祐太朗だった。髪は短髪で七三に分けていた。顔は彫りが深くハーフっぽい。
「祐樹のお父さんですよね」と春彦。
「祐樹っていうのか・・・」祐太朗がつぶやく。
    祐樹は起きてはいたが、目を合わせずに、もじもじうつむいていた。
    春彦は祐樹の手を引き、玉枝といっしょに祐太朗のあとをついていった。 玄関ドアをあけると、長い黒髪の若い女の人が立っていた。
「ひとみです。息子さん?」
    ひとみは祐太朗と祐樹の顔を交互に見比べた。祐太朗は、ひとみと同棲しているようだ。子供はいないみたいだ。今夜はふたりで外食してきたらしい。
    祐太朗は酔いが回ってほんのり赤い顔をしていた。
「せまいけどあがってください」
    三DK、五十平米ほどの住まいだった。
「あの、これを」
    春彦が包みの入った手提げ袋を祐太朗に渡した。上郷SAで買った「大あんまき」だ。「お気遣いすみません」と祐太朗。
    食卓テーブルをみんなで囲んだ。祐樹はあいかわらず目をふせて祐太朗の顔を見なかった。
「祐樹、ほんとによく来てくれた。どれだけ会いたかったか」。
    祐樹はまったくしゃべらない。ひとみはときおり席をたってお茶をいれたりしている。みんなで大あんまきを頬張る。それにしても大きい。
「フラをやってるんだって」と祐太朗。
「いっしょに踊りたいなあ」
    祐樹は無言のまま、玉枝の膝の上で眠ってしまった。口に大あんまきをくわえたまま。
    午後十一時を回った。祐太朗がこれまでのいきさつを春彦と玉枝に話す。ひとみは驚きもしないところを見ると、すべて祐太朗から聞いているようだった。―――
    祐太朗とルミ子は、十年前にルミ子がハワイへ留学してきたときに知り合った。祐太朗は、ルミ子の修行先のクムの息子だった。ちなみにフラの師範をクムという。二人は恋に落ち、ほどなくルミ子は祐樹を妊娠した。しかし、祐太朗はいずれは父親の跡を継いでクムになると周囲から期待されていたが、クムを継ぐという重圧にどうしても耐えられず、姿を消した。祐太朗がハワイでフラダンサーとしての才能を認められつつあった頃だ。父親のクムから祐太朗は当然のこと勘当された。
   逃走した祐太朗は日本にいた。祐太朗は二十二歳の時、日本国籍を選んでいた。クムの妻すなわち祐太朗の母親は日本人だった。祐太朗が大学を卒業の年、母親は病気で亡くなった。愛知県みよし市は、祐太朗の母親のふるさとだった。すでに実家はなく、親戚との付き合いもなかった。八年前、祐太朗は、フラの師匠でもある父親から跡継ぎの話が出てその重圧からうつ病を発症し、とにかくハワイから離れたくて逃げだした。それがたまたまルミ子の妊娠時期と一致した。気がついたら、祐太朗は自分にたっぷりと愛情を注いでくれていた母親の故郷へ逃げてきていた。少しでも母親の思い出に浸りたかったのかもしれない。祐太朗は、福谷の居酒屋で飲んで酔いつぶれているところを、地元の工場の社長から声をかけられた。祐太朗は社長に気に入られたのか、それがきっかけで社長の家に住み込み、働くことに。愛知県の自動車部品の下請け工場の従業員となった。
   隣町のショッピングモール長久手パオンのカルチャークラブにフラ教室があった。社長の理解もあり、五年前から祐太朗はそこで土曜日と日曜日に講師をつとめていた。同棲相手のひとみはフラ教室の教え子だった。ひとみは三十歳、地元出身でバツイチ、実家には両親がいた。兼業農家の一人娘だった。―――
「長い話でもうしわけありません」と祐太朗。
「いえ、他人(ひと)の話好きなので」
    と春彦と玉枝の声がそろった。祐樹は玉枝の膝で寝息を立てていた。 ―――
    一年前、父親のクムが亡くなった。祐太朗はそのことをだいぶ後になって知った。クムと親交のあったルミ子の手紙で知った。祐太朗が出していた手紙の住所に、ルミ子が知らせてきたのだ。ハワイのクムの跡は、弟子が継いでいるらしい。家を出てからの八年間、祐太朗はいちどもハワイへ帰っていなかった。クムとはよくない別れ方をしたままだったのを悔やんでいた。もちろん、ルミ子との別れ方にも悔いがあった。―――
「明日の月曜、祭日ですが、午後から、ぼくが教えているフラ教室の発表会があるんです。
ぼくも踊ります。見ていきませんか」
    この晩、祐樹は祐太朗の家で泊まり、春彦と玉枝は車で寝た。

    翌日。雲ひとつないとはこんな日だ。朝から太陽がぎらぎらと照りつけ、空はどこまでも深い紺色だ。みよし市に隣接する長久手市にある大ショッピングセンターのパオンモールの駐車場の片隅に、この日の催しのステージが設営されていた。パオンモールは敷地面積が約四万六千平米あり、車が二千五百台収容できる巨大駐車場を持つ。周囲には田んぼや畑が広がり、天正十二年(千五百八十四年)三月から十一月にかけて、羽柴秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で戦われた長久手の古戦場も近い。
    午後三時のフラの催しまではまだ時間があったが、午前十時には、祐太朗とひとみはすでにやってきて準備を始めていた。祐太朗とひとみは軽の自家用車で来ていた。祐樹もいっしょに来た。春彦と玉枝も車で来ていた。祐樹はワーゲンバスの中で待つことにした。
    春彦と玉枝は、県道沿いの牛丼店で朝食をすませたが、祐樹は今朝、祐太朗たちと食事を共にした。目玉焼きがおいしかったが、八丁味噌の味噌汁は少し苦手だったようだ。今朝はだいぶ打ちとけた様子で、祐太朗とも会話を少し交わしたそうだ。祐太朗に誘われて今日はフラを一緒に踊るらしい。衣装といってもふんどし風のマロだが、祐太朗が用意してくれるらしい。マロは男性のフラで使用する一般的な衣装だ。
    今日は残暑が厳しい。フラ教室の生徒である中高年の主婦たちも二十名ほど朝からかけつけていろいろと準備を始めているが、みなさん着ているTシャツにべっとり汗をかいて、首に巻いたタオルやハンカチでしょっちゅう汗をふいている。教室のおそろいのTシャツ姿だ。背中に「ラナカマナオ」と教室のロゴが印刷してある。
    午前十一時から、手品や、カラオケ大会やお笑いのライブが始まった。屋根がない屋外の会場なので、出演者も観客も炎天下でかなり暑い。主に買い物客が足を止めているがまばらだ。パオンでは毎年この時期に「お客様感謝デー」と銘打ち、一日中イベントを行うのだそうだ。当然、店内では大規模なセールが開催されていた。カルチャー教室も持っているので、絵画や習字やフラワーアレンジメントなどの教室の生徒さんの作品展示も店内で行われている。言ってみればパオンの文化祭だ。春彦たちはワーゲンバスの中にいたが、クーラーの作動音が異常に大きく、また効きも悪いので、窓を開けていたものの、それでもかなりの蒸し暑さだ。ときどきパオンの店内で涼んできてはまた車に戻るを繰り返していた。
「やってらんないな。暑いぞ、愛知県」と春彦。
    けっきょく手持ち無沙汰なので準備を手伝うことにした。といっても差し入れのドリンクを運んだり、演目の休憩時間にパイプ椅子を並べたり畳んだり、フラの案内を店内で配ったり、マジックペンで紙に何か書いたり、そんなことしかできなかったが。
    午後三時になった。パオンの館内でも「ただいまよりフラ教室ラナカマナオの生徒さんによるフラの実演が始まります。ぜひご観覧下さい」のアナウンスが流れた。炎天下ではあるが、場内にフラの音楽が流れ、雰囲気が出てくると、駐車場端のステージの前には親子連れが集まってきた。三十人くらいいるようだ。半分は、生徒さんの家族や友人の関係かもしれないが。
  生徒十数名による演目が始まった。最初は全員のフラ。おそろいの紫のウエーブ柄のフラドレスが華やかだ。途中、曲の盛り上がりのところで脇から一人がはいってきた。
    どうやら教室のエースらしい。ソロのダンスが始まった。よく見ると、ひとみだった。プルメリア柄のピンクのパウスカートが美しい。黒髪がなびく。ゆったりと優雅に、かなりの年季が入っていた。うまい。観客を魅了する。うっとりしているおじいさんもいる。団扇であおぎながらおばあさんが隣であきれている。最後はもう一度全員でのダンス。有名なフラの楽曲が数曲披露された。Ka Nohona Pili Kai(涙そうそう)、
Ka Ulwehi O Ke Kai、Blue Hawaii・・・
祐太朗がマイクをとって、
「いよいよ今回のラストステージ。ラナカマナオでは、男性フラも教えています。講師の私、ラナカマナオユウタロウと子供たちで踊ります」
    ステージに十歳前後と思われる小学生の男子が五名ほど並んだ。頭に花冠のレイポオ、上半身裸で、下半身はみんなふんどし風のマロだけをつけている。端に祐樹もいた。曲が流れる。みんなで踊る。女性のフラと違い、力強い踊りだ。カネフラ(男性フラ)と呼ばれる。演目はカヒコ(古典フラ)だ。テープで流れるチャント(詠唱)とイプヘケ(ひょうたん)のリズムだけで踊る。 ♪Aia la’o Pele i Hawai’i’ea Ke ha’a maila i Maukele’ea♪ キレのある演武とたくましさが魅力だ。ニュージーランドのラグビーチーム「オールブラックス」が試合前に行う「ハカ」に似ている。
    踊りの途中に祐太朗がこれもマロひとつで現れソロダンスを披露する。祐太朗の胸板は厚くオイルで赤銅色に輝いている。そこへ子供たちが合流し、元気なダンスに変わる。ヒューヒューと観客から応援の声も沸き起こる。声援を聞いて、観客がかなり集まってきた。祐樹がとびぬけてうまいのがわかる。技のキレ、リズム感。祐太朗が祐樹を列の端から引っ張り出し、自分と並んで踊らせる。祐太朗もかなり魅せる。
    父子共演が始まった。カヒコは琉球空手の型をほうふつとさせて勇ましい。フラを踊る祐樹はふだんとは別人だ。輝いている。やはり生まれ持った才能かもしれない。これを見ていた春彦と玉枝もうっとりしてしまう。
「なんだあいつ、すごいじゃねえか」と春彦。
「才能ね」と玉枝。煙草を吸おうとして春彦に取り上げられる。
    ステージは好評のうちに終了した。終わってもなお観客のどよめきが続く。ステージを降りた祐樹の元へ、生徒のおばさんたちが集まって「よかった」「すごい」を連呼する。
    ペタペタ祐樹の裸の上半身を触ったりする。やがておばさんたちは着替えのためにパオンの教室の方へ帰っていく。「よかったわ」「冥途のみやげになる」とか言いながら。おばあさんの生徒が数名混じっていた。さいごに祐太朗がステージを降りてきた。ふと見上げると、そこにルミ子が立っていた。
「来ちゃった」とルミ子。
    ルミ子が、新幹線で来ていた。昨晩、春彦が上郷SAでトイレを借りた際に、祐樹が持っていた封筒の宛名にルミ子の教室の名があったのを覚えていたので、スマホで調べてルミ子に祐樹といっしょにいることを連絡しておいたのだ。このまま誘拐犯として指名手配になるのも嫌だし。
「お母さんですか。祐樹君と今、愛知県にいます。もうすぐお父さんに会います」
「それだけはやめて、警察に届けますよ」
「祐樹君の気持ちも考えてあげてください。んじゃぁ」
    そっけない電話連絡だった。
  祐太朗がルミ子をステージの看板の裏へ引っ張っていく。
「ルミ子・・・」
「会わせたくなかった」とルミ子。
    涙があふれるルミ子。
    近くでその様子をひとみが見ていた。
「なんで会ったのよう」
    ルミ子は祐太朗のレイをつかんでしがみつく。首が締まる。レイの花が飛び散った。「ルミ子・・・」されるがままの祐太朗。首が赤くなっている。
    祐樹がルミ子を見つけた。
「ママ」
    祐樹が二人の間に割り込む。祐樹の両目から涙がこぼれた。静かに、やがて大声でわあわあ、と泣く。その様子を見守る、ひとみ。そして春彦と玉枝。祐太朗とルミ子にはひとみが視界に入っていない。春彦と玉枝がなぜか抱き合って泣いている。
「みんな幸せになってほしいよう」
    日が西に沈みかけている。日没が近い。フラの終了と同時にイベントは終了し、駐車場のステージ前は静かになった。
「ルミ子さんですか。わたし・・・」
    ひとみが挨拶しようと歩み寄ると、
「いいのいいの・・・何も言わなくて」
    ルミ子がひとみに気がついて彼女の言葉をさえぎった。
  ワーゲンバスのエンジンがかかった。ひとみが祐太朗の背中を押した。祐太朗が思わず振り返る。ひとみは祐太朗を祐樹とルミ子のもとへ帰そうと考えたのか。しかし。
   車が動いた後に、祐太朗の姿がそこにあった。祐太朗は乗らずに残った。ひとみを選んだのだ。後日わかったことだが、この時、ひとみは妊娠していた。生まれてくる子に将来、祐樹と同じ思いをさせてはいけない、そんな強い思いが祐太朗にあったのかもしれない。
   ルミ子が後部座席から後ろを振り向く。しばし、祐太朗とひとみが遠ざかるのを見ている。やがて視線を正面に移し、ルミ子は隣席の祐樹を抱きよせた。祐樹は静かに泣いていた。ルミ子は正面を見ていた。その目はしっかりと未来を見つめていた。ワーゲンバスは東名高速三好インターチェンジへ進入し東京をめざした。はずだった。
「あ」
「何?」と玉枝。
「間違えた。名古屋へ向かってる」
「何やってんの、あんた」
   ワーゲンバスは、進入路を間違えて名古屋方向へ向かっていた。
「せっかくだから、ちょっと寄り道しようか」と春彦。
「どこへ?」
「岐阜の下呂温泉」
「ゲロ温泉?」口に手を当て怪訝な玉枝。
「違う違う。下呂温泉」
   ルミ子は苦笑した。
   ワーゲンバスは西日を受けながら進む。
   助手席の窓が少しスライドして、玉枝のたばこの煙がたなびいた。
   その白い煙は名残惜しくはないのか向かい風にすぐにかき消された。
                                                                                        〈了〉

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