見出し画像

漫画と映画と東京オリンピック、とテレビのこと。

わたしは小学校3年生のとき、漫画家になることを決心しました。
ちょうど1964年、東京オリンピック開催の年でした。
手塚治虫と石森章太郎と一峰大二が大好きでした。
そういえば、白黒テレビの東芝ハイルック19という19インチのテレビを親が買って家族で開会式を見ました。聖火をもって国立競技場の階段を駆け上がる選手の姿を今でも思いだすことができます。カラー放送が始まっていたそうですが、愛知県の田舎のうちも近所もカラーテレビを持っている家はまだありませんでした。
うちは、3年前に買った日立の白黒テレビを、画面が小さかったですが、これを当時大型サイズだとテレビで宣伝していた19インチに変えました。
カラー放送が始まっていたということは、カラーテレビを持っている家があったということですね。その当時、わたしはカラー放送が始まったことを知りませんでした。うちがカラーテレビを買ったのはそれからさらに4年後のことでした。
話がもどりますが、わたしは友人が漫画家になるという言葉に影響を受けて、自分も漫画家になることを決心しました。藤子不二雄みたいにふたりで東京へ行って漫画家になるんだ、とそんな決意をして、よくその友人とノートにえんぴつで描いた漫画を見せあいをしていました。わたしはその友人の描いたSFものがけっこう気に入っていました。今でもあの絵柄が懐かしいです。彼はその後、美大に進み、愛知県で画家をやっています。
わたしは上京して、毎日、下宿で漫画を描いて、けっきょく漫画家にはなれませんでした。わたしは小学3年生の友人が描いたあの絵がらの漫画が読みたいと今でも思いますが、描ける人はいないですね。あ、諸星大二郎の絵が近いかな、「生物都市」を映画化したいです。今ならできそう。
わたしは漫画家にはなれなかったですが、いくつか映画を実現できました。映画と漫画はちがう媒体ですが、映像という点では同じで、最近はだいぶ変わってきましたが、わたしが映画会社に入ったころは、漫画の映画化は下手でしたね。今はCGの技術もあると思いますがかなりうまくなりました。今の俳優さんは漫画の主人公を演じられる人がかなりいて、テレビで若い俳優さんを見ると、まるで漫画のキャラクターの様に見えるし、両方がちかづいてきたような気もして、昔のことを考えると、これから映画と漫画はもっと親和性がでて、表現できることがふえるな、と楽しみです。「鬼滅」の実写化も昔だったら「やめとけ」と思いましたが、今なら「できそう」と思います。見たいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?