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23年前の3月10日

浪人生活の終わり


今から23年前。
2001年の3月10日、私は東大に落ちました。
父と一緒に本郷の合格発表の掲示を見て、自分の名前が無いことを確認。
すぐに踵を返してその場を去りました。

仕方ない、後期だ。

当時はまだ東大の後期があった時代。
最後の望みを託そうと、家に帰って追い込みをやろうと思いました。
本郷から御茶ノ水駅に向かう途中、高校の後輩とバッタリ遭遇。
彼もこれから見に行くということでしたが、公認会計士志望の彼は慶應に受かったので良しというスタンスで、明るく向かっていました。
先日新年会で会った時にも、「いやー、あの時先輩めっちゃ凹んでましたよね!」というので、よっぽどやばい表情だったのだと思います笑

御茶ノ水駅前で、父親とラーメンを食べました。不思議と涙も出ず、今はできることをするしかない、という感じでしたが、多分慶應に行くんだろうな、とそのための心の準備を始めていました(厳密には、駒場で前期試験を受けた帰りに品川駅で家に電話をして、慶應の合格を確認していたのですが←だったら田町に寄ればよかったと今にして思う笑)。

東大を目指して

そもそも、なんで東大を目指したのか。

今思うと、高1の時は進路にそんなに強いこだわりがあるわけでもなく、まずは目の前の高校の授業を頑張ろうという感じでした。
歴史が好きで、世界史のテストはいつも9割とれるくらいで、高1の時点でセンターもほぼ満点がとれてしまいました。
数学の成績も悪くなかったこともあって、社会もう1科目くらいやる余力があると思ったのが運の尽き。
じゃあ、とりあえず東大を目指そう。

では、どの科類を目指す?
官僚になりたいという動機もないし、司法試験に受かる自信もない(そうこうしていたらロースクール構想が出てきたのですが、果たしてどう着地するのかわからなかったです)、父親を見ていて大変そうだったので会社員にはなりたくない。だったら学者になればいい、という超短絡的な思考で、研究者を目指して文科3類志望に来ました。

とはいえそんな動機だったので勉強に身も入らず、高校時代は行事の運営や立ち上げが忙しくてあっという間に過ぎ去ってしまい、とりあえず現役の時は東大前期のみを受けることにしました。
後期は悩みました。センター試験の結果的に一橋の社会学部か京大の総合人間学部を受けると配点的に有利だと思ったのですが、とても間に合わないと思い、現役は完全に記念受験で終了。

幸い、浪人してからは予備校の特待生になれたので、学期中の授業料は完全免除で通うことができました。そしてイチから勉強をし直して、夏の駿台の東大実践ではA判定を出すことに成功しました(そこがピークであとはジリジリと下がっていったのですが…)。

なんで慶應政治学科?

しかし、浪人して押さえ無しは流石に怖い。では早慶の文学部を受けるか、と思った時に、別のことが頭をよぎりました。「本当に、人文学の研究に身を捧げる覚悟があるのか?」ということです。
やってみて向いてないと思った時のために、逃げ道も用意しておこうと思い、慶應の文学部に加えて、早稲田の政治経済学部政治学科と慶應の法学部政治学科も受けることにしました。
なぜ政治学科を追加したかというと、歴史好きにとって、経済よりも政治の方がテーマが近そうに見えたからということもありますが、その頃読んでいた本が、政治哲学や共同体論、国民国家など、政治学の関心領域に近いテーマを扱ったものが多かったことも大きな理由です(結果的に、慶應の2学部に合格、早稲田は落ちました)。

慶應の法学部は、当時2次試験の面接がありました。
今は聞いてはいけないのですが、面接シートに、最近読んだ本を記入する欄がありました(思想信条の自由に抵触する可能性があるため)。
そこで私は、夏に読んだ柄谷行人の『倫理21』を記載しました。
そうしたところ、面接官の先生から、

「君、いい本を読んでいるね。慶應にも柄谷さんのファンは結構いるのだけど、どういうところが面白いと思ったの?」

その言葉を聞いて、慶應でも哲学や思想の話ができるのか、と思いました。
これって進学校あるあるだと思うのですが、私立大学を勉強する場所だと思っていない人が多い。
特に早慶は、就活予備校として「髪を切る前(いちご白書かよ!w)」の思い出作りのために遊ぶ場所だという先入観がありました(多分これって、ギリシャの教養人が奴隷に働かせている間に哲学の議論をしていた名残なのだとあとで気づくのですが、すごく嫌な奴ですよね)。
国立、特に旧帝大でしか学問をできないと思い込みがちなんですが、そんなことはないです。

この面接を受けて、東大がダメだったら慶應の政治学科に進もう、と思いました。特に、「ファンは結構いる」という言葉が肝で、「慶應に入ったら、こういう話をできる仲間がいるよ」と言ってくれた、と思ったのです。
偉そうな言い方になってしまいますが、慶應においでよ、と言って下さったように思えて、嬉しくなったのを覚えています(一瞬、調子に乗せられた挙句落ちてたらダサいと思いましたが、無事受かっていたので良しと言うことでw)。

何者かになりたい


そして案の定後期も落ち、慶應に行ったわけなのですが、果たして東大に受かっていたらどういう進路を歩んでいたのだろうな、と妄想することがあります。
もしかしたら、そのまま研究者の道まっしぐらに進んでいった可能性もありますし、その結果としてどこかの大学にポストを得たかもしれない。あるいはポスドクのまま苦悩していたかもしれない。
はたまた、大学内で全くかなわない知性の持ち主たちに数多く出会って凹んでしまい、大学院進学を諦めて出版社志望になって、結局同じところに就職したのかもしれない。
わからないですが、当時の僕としては、ここで慶應を辞退して2浪したとして、来年また受かる自信はなかったこともあり、就活するとしたら、あまり浪人をするのもどうかなあと思ったりして、これ以上浪人を重ねることも得策ではないということで、1浪で手打ちにしました。

それはよかったのかもしれないですが、実は我々世代の場合、卒業が後になればなるほど就活状況が改善していました。
現役で進んだ場合、2004年大学卒だったのですが、この頃は氷河期で、大企業の採用もかなり限定的。しかし、1浪で院卒だとすると2007年就職ですが、この頃にはかなり就職状況も改善されていて、2008年は最高だったと思います(この直後にリーマンショックが訪れるのですが…)。
そんな予測が大学受験生にできるわけもなく、ある種「損切り」をしたような形ですが、とりあえず言えるのは、今僕はまだ生きている、ということです。結婚して子どもがいて、仕事はできないと怒られることが多くて、何者にもなれていないかもしれないけど、何とか生きています。
「自己実現」という言葉が言われ始めたのは、恐らく我々の世代からでしょう。この言葉の罪なところかもしれませんが、我々世代の多くは、「何者」かになろうとして足掻くことを必要以上に求められてしまったのかもしれません。しかし、多くの人は何者にもなれない。それでも目の前の仕事をして、必死で生きていく。

もしかして東大に受かっていたら、何者かになっていたかもしれない。
でも、それはわからないです。人は何者かになるために生きるのではなく、今を生きるために生きている、ということを思うことが最近増えてきました。人生守りに入っている証拠なのかもしれませんが、どんな理想を語ったとて、その場所で生きている人たちは日常を生きているのです。そして、その日常は、決して当たり前ではない。人々の必死の積み重ねが日常を作っている。
こうした世界をAIがどう変えるのか? それは大きな論点なのかもしれません。そうしたことを考えることも大事ですが、差し当たって人は一人で生きていくことはできない。会社員であっても研究者であってもフリーランスであってもそこは変わりません。だから辛いし、だから楽しい。

受験生の皆さんへ。
志望校に受かった人は、大いに喜んでください。「よっしゃー!」「天下とったる!」大いに結構だと思います。
受からなかった人は、大いに悔しがってください。人によってはもう一回、または今あるカードから進路を選ぶのでしょう。人生のビハインドを背負ったと思うかもしれないし、やりたいことができないと思うかもしれない。それは置かれた状況によっても違うでしょうが、それでも、生きている限り明日はやってくるのです。
決断を迫られることは多々ありますし、いくつもの分岐点に直面するはずです。その時また、かつて志望校に受かった側、落ちた側に分けられた人たちが交差するかもしれない。さて、どうしますか?

…と書きながら、僕も仕事を頑張らねば、と思いました!
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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