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夢の話 #シロクマ文芸部

 逃げる夢をよく見る。
 
 ロケット――といって、小学生が実験で作ったペットボトルのロケットなどではなく、それは明らかに「ヤバいヤツ」だった。
 私は学校のグランドのようなところにいた。他の誰かと一緒にいたのだが、一瞬にして場が無音になった。はっとして空を見上げと、真っ青な空に赤い線のついたメタリックなロケットがくっきりと見えた。
 ねえ。あれ。やばいやつじゃない。絶対そう。やばい。やばい。
 小さな光る点が目視できるほどの大きさになった時、あちこちで声がした。私は、とりあえず何か大きな建物の中に逃げなければと思った。頭の中は奇妙に醒めているのに、清涼に晴れた空は無垢なのに、どういうわけか言語が停止していた。語彙が失われた後の私に残されていた言葉は「やばい」だった。それが無性に悲しかった。死にゆくときに「やばい」しか言葉がないなんて。
 近くに、倉庫のようなコンクリートの無機質な建物が見えた。
 必死にそちらへ行こうとするのだが、身体が思うように動かない。
「夢の中で走るように」走った。夢の中なのだから当たり前だと心のどこかで思う自分がいたが、夢の自分は水の中で両手を掻くように、滑稽な姿態を晒しながら力の萎えた足をなんとか動かそうとしていた。
 ここで死ぬ。
 そう思った。逃げ込めても、命が助かるとは限らなかった。アレはそういうヤツだ。これまで一度もその姿を見たことがなかったが、弾頭と言うのはあんなふうに目視できるものだったのかと思った。
 かろうじて、私は建物の中に転がり込むと、へたり込んだ。
 しかし頑丈であろうと思われた建物は、マイクラのようにただ四方を囲って屋根を付けただけのようなひどく頼りない盾だった。ああだめだ。いまにあれが上空で炸裂すれば私は死ぬ、ここで。
 そう思ったら、目が覚めた。

 また、ある時。
 逃げる夢を見た。

 歯科医院にいた。見知らぬ歯科医院だ。初めて来たのだが、混雑している。見知らぬ土地の、見知らぬ街の、見知らぬ場所を夢に見ることが度々ある。院内処方だったのだが、受付で渡されると思った薬類をすべて治療後すぐに白いビニール袋に入れて渡された。私は軍式の浣腸を実際に見たことはないのだが、あきらかにそれらしき太く無骨なプラスティックの注射器に、どう考えても普通ではない青い液体が入っているものが、無造作にビニールに入れられている。何に使うのだろう、と思ったが、質問する間もなく押し出されるように診察室を出た。
 待合で中学生の息子が待っているはずだった。しかし姿が見えない。受付で引き留められくどくどしい説明を受けたが、相手が何を言っているのかわからない。はあ、はあと聞き流して、目で息子を探す。
 夢の中で私はいつも何かに気を取られている。
 私はひとりで待合を抜け、医院を出ようとした。妙に旧式な長方形の巨大な持ち手の扉を前方向にに開ける。知らぬ場所だ。右も左もわからない。が、やはり診察が終わった以上そこを出るべきだった。
 その時突如、地響きがした。揺れた、と思ったら、地震だ、地震、揺れてる、という人の声がした。確かに手に持ったザルを揺らすように大地が揺れ、入っていた小豆あずきが躍るようにそこらじゅうの物が揺れ始めた。
 私は這いつくばった。
 ああいよいよ来たか、と私は思った。しかし医院を出てしまった以上、あの旧式な建物には戻れない。息子は、と思った。息子が中にいるはずだが、と思いながら、私は道路のはす向かいに見える別の頑丈な建物を目ざした。
 前に夢に見たあの建物があった。
 遠目に見ると堅牢そうなのに、近づくとマイクラみたいなあの。
 一刻も早くあれに逃げ込まなければいけない。地面が割れるかもしれない。道路がうねる前に、私はあそこにたどり着かなければならない。しかし、這いつくばって動けない。四つん這いのまま手足を動かす。息子は、と思う。でも身体は建物を目指す。自分だけ助かろうとしている身体。息子はあの中に。——いただろうか。本当に。本当に、中学生だったのか。
 建物の壁に縋りつき、自分が出て来た医院を見つめる。
 ビニール袋の中は、青い液体でぐちゃぐちゃになっていた。
 目が覚めた。

 逃げる夢はよく見る。
 人や獣や何か得体のしれないものから逃げる、という夢はあまり見たことがない。シェルターとか防空壕的な夢が多い。夢の中で見る光の光量がすごい。

 よく見る夢は他にもある。子供の頃にはよく見ていたけれど大人になったらあまり見なくなった夢もあるし、その逆もある。

 子供の頃、幼い時分から、私はよく百貨店の夢を見た。
 各フロアをくまなく回り、何を買おうか品定めをするのだが、買いたいものがあり過ぎたり、逆に何もなかったりして、実際に買い物をしたことがない。そのうえ、夢の最後は必ず、賑やかそうだったフロアが急に無人になったり、電気が消えて真っ暗になったり、エスカレーターが止まったりする。閉店後のデパートはとてつもなく恐ろしい。人間の欲望を一心に受けたモノたちが闇の中で息をひそめているさまが。私は逃げ出す。そして決まって最後はバックヤードに入り込み、出られない。夢の中の私のデパートは、ユーミンの『時のないホテル』のようでもあり、イーグルスの『ホテル・カルフォルニア』みたいなものだ。

 実際にそんなホテルの夢もよく見る。
 赤い絨毯の格式ばったホテル。場所は東京や京都、外国だったり。シャンデリアだのグランドピアノだのが置いてあったりする。時にはホテルではなく、働いている会社のあるビルだったりする。
 エレベーターで目的階や自分の部屋、会社に行こうとするのに、階を間違えたり、目的地に止まらないエレベーターに乗ったりして、どうしてもたどり着かない。仕方なく階段を選ぶとそこはまたバックヤードで、暗い階段からフロアに出ると、目的地とは違う階についている。ここでもやはりイーグルスとユーミンの世界だ。乗り換えに次ぐ乗り換えをしても、どうしてもたどり着かなくて焦る。

 大人になってからはたどり着かない夢が圧倒的に多い。
 知っている土地にいたのに、バスに乗ったらまるで知らぬ場所に着いてしまったとか、近いところへ行くつもりで歩いていたらどうしてもたどり着かなくて、バスに乗ったり駅へ行ったり乗り継ぎが上手くいかなくて違うところへ行ったりと彷徨う夢も頻繁に見る。

 辿り着かないのと、囚われたままなのと、逃げるけれど逃げたところで終末を予感させるのと、どれがいいのかわからない。どれもハッピーではない。

 夢は総じて天然色カラーで音付きも多いので、うなされたり大声を上げることがたまにある。一度だけ、呵々大笑しながら起きたときは自分でも驚いた。起きたらなにが面白かったのかさっぱりわからなかった。

 家人は私がうなされるのを嫌がる。よほど不気味らしい。私自身は、金縛り中に必死に助けを求めていることが多い。確かに歯ぎしりなどと違い、人が夢を見てうなされているのを見るのは少し怖い。そこにいるのに違う世界にいるような気がするからかもしれない。

 昨日見た夢の話など興味ない退屈さ
 まわりくどい君の話し方なら なおさらさ

「君の話」スキマスイッチ

 スキマスイッチがそう歌っている通り、他人の夢の話は退屈なことが多い。夏目漱石の『夢十夜』のような完成度ならいざ知らず、それくらい、夢の話はするのが難しい。

 でも私は夢の話を聞くのが好きだ。

 みなさんの夢は、どんな夢が多いだろうか。

#シロクマ文芸部


 お久しぶりです。
 そして、ただいま。

 ずっとnoteに居たような気がする、と思われているかもしれませんが、一応、わたしなりにはバカンスを満喫して帰ってまいりました。
 ちょっとお休みします、といって帰ってこなかった人もいますから、吉穂はもう帰ってこないかもしれないな、と思っていた方もいらっしゃるかもしれませんね。

 有意義なバカンスでした。
 脳内旅行も色々な所へ参りました。
 楽しいことばかりではありませんでしたが、どんなことも勉強になったし、ある意味でこれから歩く道の道筋をつけることが出来ました。旅とはそういうもの、かもしれませんね。

 またnoteにお世話になろうと思います。
 まずは「シロクマ文芸部」さんへの参加から。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。