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ちゃんみなの「美人」を聴いて

ちゃんみなの「美人」という曲が好きで、何度も聴いている。

MV演出が強烈なメッセージを放っていて、ラストシーンが衝撃的なのでぜひ見て欲しい。

この曲はちゃんみな自身が17歳のときに受けた、見た目への誹謗中傷が元になっているそうだ。

才能が認められて有名になったら、”醜いブスが歌ってんじゃないよ”と言われ、努力して見た目を変えたら、”ちゃんみなまじ最近かわいい”と、手のひらを返したように称賛される違和感。

「私達は姿かたちが異なっても、それぞれの美しさがある」

それを表現するために、2ヶ月かけて体重を10kgも増減させてMVの撮影をしたというのだから驚きだ。

そうまでして「美」に対する思い込みから、過去の自分を、いま苦しんでいる誰かを救いたかったのだろう。

私は彼女のような有名人でもないし、誹謗中傷を受けたことも、見た目を直接的にバカにされたことはない。

けど、20代前半の頃は女の子は細ければ細いほどいいと思っていた時期もあったし、何も食べないで我慢すれば細くてキレイな体になると思いこんでいた時期もあったように思う。

そういえば、小学校を卒業するときのメッセージノートに女性の先生から「卒業おめでとう。七実ちゃんはぽっちゃりしていてかわいいかったですよ。」と書かれてショックを受けたことがあったような。

今は骨格に種類があることが一般的に知られているけど、昔は「なんで痩せてもあの子みたいな服が似合わないんだろう」「なんでくびれはできるのに下っ腹はへこまないんだろう」と絶望したものだ。(今思えば、それは私の骨格がストレートタイプだからなのだが。)

今の私は20代の頃より体重が増えているし、顔も年相応な感じ。

それでも、今までいろいろな人と関わったり、登山というライフワークを見つけたりして「美」の価値観も少しずつアップデートしたみたい。

見た目はどうか知らないけど、リングフィットアドベンチャーでマウンテンクライマーを60回連続でできる今の体のほうが圧倒的にいい感じだと思う。

「アイラインがキマったから、今日すごく美人!」

美の意識なんて、そのくらいがいいじゃん。

つまり、私の美は私が決めることだから誰かに言われたくはないし、人に対して私のものさしで美醜や幸不幸を判断しないようにしたいのだ。

コンプレックスは誰にでもあるし、美に対する価値観もさまざま。

ルッキズムに対して関心を持って、誰かを傷つけることがないようにしたい。


先生に”ぽっちゃり”と言われてショックを受けた小学校卒業時のわたし。

あの人は見た目がこうだから、私より幸せだろうとか不幸に違いないとか思うことで自分を守っていた20代前半のわたし。

できるなら今のわたしが救ってあげたい。

ちゃんみなみたいに、カッコいいセリフで。

(写真提供:ゆかり


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