【前編】病気に至るまでとなってから

2023年の3月に病気を患うまでと患ってからの前後を覚えてる限り書こうと思います。

2023年の11月から仕事の出張で福島に行ってました。
予定では5月のGW明けまで出張が続く予定でした。
ただ、11月からぶっ通しで5月まではきついので、月に1度程度、会社で出張の精算しないといけないとか色々あって、秋田の自宅には帰っていました。
出張期間中はホテル暮らしだったので快適そのもの。
出張の移動や慣れない仕事をしていたせいか、疲労が限界突破してたんだと思う。
そんな中、秋田に帰ったタイミングで、たまたま、普段神奈川に住んでる従兄弟が帰ってきてたので、ちょっと会ってバスケでもしようかということに。
(自分も従兄弟も学生時代はバスケ部だった。)
自覚的な出張の疲れは特になかったし(自覚がないだけで、確実に肉体的には限界だったんだろうな。)
久しぶりに従兄弟に会いたかったので、バスケを快諾し、いざ体育館へ。
二時間ほど1ON1やツーメンでひとしきり遊び、コートサイドに置いてあるペットボトルのお茶のとこで休憩をしようと座ってペットボトルを左手で手に取ろうとしたとき、「あれ?おかしい」と自分は呟いた。
左手でペットボトルが掴めないのだ。何故か力が入らなくなっていた。
それどころか、なんだか平衡感覚がおかしくてフラフラして全身が熱い。

最初は
久しぶりにがっつり動いたから酸欠になったのかなと思った。
もうすぐ三十になるし、体力なくなったな〜くらいにしか思わなかった。
学生の頃は4クォーターフルタイムで試合出てたのに、情けないな〜って。
「やばい、体なんか変だ。」
自分は従兄弟にそう言いながら、感覚がおかしくなった体で、バスケのシューティングを続けていた。
今思えばこの時点で病院に行くべきだったんだろうな。
そしてお互い充分楽しんだなと感じた頃、そろそろ帰ろっか〜となった。
しきりに「大丈夫?」と心配してくれる従兄弟と帰り支度を進め、受付の人に「ありがとうございました〜と体育館を後にして車に乗り込んだ。
久しぶりに従兄弟と会ったから楽しい思い出として終わらせたくて、できるだけ体調に問題ないように振る舞い、帰りの車で従兄弟とadoを聴きながら帰路についた。
「このまま解散もなんだし、おばあちゃんちで飯でも食ってから帰るか」とお互い納得し、車はおばあちゃんちに向かった。
おばあちゃんちにて、椅子に座ってご飯を食べている途中、本格的に体調がまずくなってきた自分は、右手に持った缶のサイダーを飲もうとして頭を反らしたとき、いよいよ座っていられなくなって、自分は椅子から転げ落ちるように、左側に倒れた。
人生で初めての失神だった。
右手にサイダーを持ったままだったので、
あ、やばい、サイダー溢れてると思ってた。
これちゃんと拭かないとベトベトして気持ち悪いんだよな〜とかそんな変なことばかり考えてたのを覚えてる。
「ちょっと大丈夫〜?」
と従兄弟がオネエみたいな声音でシュワ〜と溢れてる右手のサイダーを取り上げた。
失神してるのに聴覚ってはっきり残ってるんだ。
傍にいたおばあちゃんちも「おや、大丈夫だが!?」
と焦ったように心配してくれていた。
従兄弟が洗面所の方にいたおじいちゃんを呼びに行って、
「あや〜、なんとした?」
と落ち着いた様子で心配してくれた。
こういうときはさすがに年長者で、おじいちゃんもおばあちゃんも変に焦らず、落ち着いて自分を心配してくれたのだ。
この時点ではまだ体が動いたので、なんとか自力で椅子に戻り、途中だったご飯を食べた。
体調としては、フラフラするけど、感覚的には、昔食中毒で40度の熱を出したときみたいに、フラフラして、めちゃくちゃ熱があって、平衡感覚がおかしい感じだった。
とりあえず落ち着くためにアイコスを2、3本ほど吸うと、体はおかしいけど多少は心が落ち着いたような気がした。
それからもう少し体調が落ち着くまでおばあちゃんちでゆっくりして、従兄弟とスプラトゥーンの話とかしてた。
「そろそろ帰るわ……」と自分は自宅に帰る準備をする。
「心配だから家まで送る」と従兄弟が傍に付いてくれて、車で自宅まで送ってくれた。
当時自分はアパートで母親と二人で暮らしていた。
そのアパートの二階が自宅だったので階段を昇る必要があり、従兄弟が自分の後ろにぴったりと付いて階段を踏み外さないように支えてくれた。
やっとの思いで自宅の扉を開け、部屋に転がり込んで、シャワーを浴びてから自分の部屋の布団に寝転がった。
出張の荷物がそのままで、ちょっと寝てから片付けようと思った。
母親に「バスケ行った後おばあちゃんちで倒れちゃった」と話すと、「は!?なにあんた大丈夫!?」と大きな声で心配してくれた。
「またすぐ出張行かないとだしあんま休む暇ないし、今のところはとりあえず大丈夫だから、明日も普通に仕事行くよ」
当時の自分の頭は仕事のことでいっぱいで、体調を顧みることをしなかった。
もう出張先のホテルの予約とかしてるし、体調がどうであれ、自分の体は然るべき日時に然るべき場所にないと駄目だから、体調不良とか言ってる暇ないぞ、と。任せられてる仕事があってお金をもらってる以上はやらなきゃいけないだろと。
思えば仕事を始めてから健康を犠牲にして仕事もプライベートも時間を作ってきた。
多少しんどくても自分よりしんどい思いしてる人間はたくさんいるんだから、この程度で弱音を吐くのは失礼だし、情けないだろ、と。
その後は二時間ほど気絶したように眠って、目が覚めてから身体の強烈な違和感に愕然とした。

床に布団を敷いて寝ていたのが、身体の左側に力が入らなくなって、いつも通りの力の入れ方では布団から起き上がれなくなっている。

まずは上体を起こして、右側の力を使って捻るように体全体を起こして、膝立ちになってから立ち上がる。

こういったプロセスをひとつひとつやらないと立ち上がれなくなっていた。

なんとか立ち上がって、次の日の仕事の準備と、もう少し先の出張の準備をあらかた済ませてから、寝覚めのシャワーを浴びて、母親が作ってくれたご飯を食べた。


この日はそんな感じで、寝るまでいつも通りゲームしたり仕事のことを考えながら過ごした。

そして次の日、体調はまだおかしい感じがしたけど、ちょっと身体の動かし方に違和感あるかな〜くらいで、まだ普通に動けてはいた。

なので仕事には普通に行って、上司と昼飯にラーメンを食べに行った(この日は3/6で、写真が残って
る。)

区切りがいいので、この記事はここまでで、次に救急車に運ばれてからを書こうと思います。

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