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日本近世史を見通したい! 小野 将

 二〇二三年、シリーズ『日本近世史を見通す』が刊行の運びとなった。日本史の他の時代と比べても、近世史だけを取りあげるシリーズというのは、近年にかぎってみれば、さほど多く出版されていないように思う。今回まことにすぐれた編者の方々のご参加を得たことで、刊行の実現にこぎつけることができた。

 ところでいったい何ゆえ、本シリーズの題名には「見通す」なることばが選ばれているのであろうかと、いぶかしく思われる向きもあるのに相違なかろう(実際、筆者も職場で同僚から書名について質されたことがある)。正直なところ、厳密に説明を与えることは難しいのだが、端的に言ってしまえばそれは、現在の近世史研究が置かれている状況が、全体として視野の見通しがそれほど効いていない状態に陥っており、にもかかわらず研究者としては、どうにか総体としての展望を得たい、と考えていたところからきている。全体のタイトルにて「見通す」とうたってはいるが、その内実としては、「見通したい」という願望を表現しているもの、といったように言えるかもしれない。すなわち切実な願望というか、眼前にある課題としての、「日本近世史を見通したい!」である。研究の面であっても教育の場であっても、それに類したような想念にとらわれる瞬間というのは、多かれ少なかれ当事者の誰にでも訪れるような気がするのだが、違うだろうか。

 かつてシリーズ『日本近世の歴史』にて編集を手がけられた藤田覚氏は、当時の近世史研究が陥っていた問題点について、そこで次のように述べられていた。〝近世史研究の現在は、いくつもの部門史の「くだ」の寄せ集めでしかなく、しかも前期と後期とでは「管」が途中で詰まっているかのような状況にある〟といった趣旨の指摘である(本誌一〇四号掲載)。まず個別分野ごとの研究は進んでいても、政治史や社会史・経済史といったそれら分野間での成果共有はあまり進んでおらず、あたかも「没交渉」のようである。これが全体の見通しの効かない第一の理由、よく言われるような解消しがたい「研究の個別分散化」の拡大による弊害である。あるいは日本史の他の時代についても、同様の問題が起こり続けているのかもしれない。これと不可分な問題なのだが、第二に、数世紀におよぶ近世につき時期を区分したうえで、各時期ごとに別個に研究が進められていて、近世史の全時代を見通して研究がされているようには見えない、という原因が挙げられている。まるでパイプの閉塞のごとき譬喩でもって言い表されているが、こちらは研究・教育にとっての障壁をなすような、本来有用たるべきであった「通史叙述の不在」、とも言いかえることができよう。藤田氏によるこのような指摘がなされて以来、およそ一〇年が経過しているが、果たして全体としての研究状況は改善され、また右記の問題は克服されてきたのであろうか。

 このシリーズにおいての、編者による問題意識は、藤田氏による指摘とも共通する部分が大きいものの、さて実際に書籍として世に問われた成果が、右のような大問題を解消するに至ったかといえば、なかなかそのようには言いがたいところがあろう。一応は、本シリーズの前半(通史編、1~3巻)では、その管詰まりの問題というか、〝パイプの閉塞〟に対する処置の対応を試みており、また後半(テーマ編、4~6巻)では、分野別の研究には必ずしもこだわらない編集を心がけたつもりなので、ぜひとも本シリーズの全体をあわせ読まれたい、と切に願う次第である。そのうえで大きな見通しへの展望については、最終巻(7巻)にて再び、シリーズ全体をふりかえりつつ、討究することとしたい。

 現代に生きるわれわれが、近世という時代の歴史とどのようにかかわるのか。こうした問いを避け得ないと考えるひとも当然いるはずである。みなそれぞれのかかわり方があり、一線にいる研究者たちにはそれなりの自負や覚悟があって、容易に譲り得ない問題意識をも有してきているはずである。今日にあって、同時代における様々な拘束のもとにある人びとは、現代の視座から過去の時代をどのように見通そうとするのか。こうした事柄にも自覚的でありたい、と私のような者は考えている。

 ある意味では、近世のような遠い過去とのかかわりであっても、問題は否応なしに生じる、という場合がある。例えば近代日本史について読書していると、「幕藩体制の中に、それなりに明治国家体制の枠組としての立憲主義を受け入れる条件が準備されていた」という主張に出会うことがあったりするわけである。これは、近代政治史研究者として高名な三谷太一郎氏の、名著たる評価が確立している『日本の近代とは何であったか』(岩波書店、二〇一七年)での一節だが、これに接して筆者は考え込んでしまった。三谷氏は書中で、かかる「条件」として、幕藩政治史については、権力集中の抑制に資する合議制と、政治権力の分散や相互の監視体制、といった事象を挙げている。

『日本近世史を見通す』シリーズの書影

 だが、江戸幕府でいえば老中ろうじゅう評議・諮問や、諸役人の身分的配置、さらには目付めつけや密偵による監視・情報収集といった種々の制度や政治的装置すべてについて、専制的権力や伝統的な寡頭支配などの特質の一部と考えるのではなく、もっぱら近代日本の立憲主義政治に接合して考える、というのでは、私のごとき近世史研究者にとって即座に納得しがたいものがあった。他の研究動向でも、議会制や民主主義の扱いについて、近代化論的な研究姿勢が類例として認められることが、しばしばあるように思われる。立憲主義の基礎のごとく、近世のなかにすでに「近代」の要素は出現したという評価だが、近年に至りこのような視方は広く共有されてきているようであり、それこそが柔軟な発想に根ざす「江戸時代像」として認められるということであろうか。

 現代世界でのトータルな体制の在り様について、「新自由主義時代」という歴史的把握に基づき考察する視角が存在している(例えば『岩波講座世界歴史二三』岩波書店、二〇二三年)。私はこのような現代史についての把握に賛同しており、現在の歴史研究もまたこのような時代的な拘束を受けるところが大きい、と考えている。研究の主体が新自由主義による影響圏の外に独立しているということはあり得ず、今日の学術体制自体が重大な影響をこうむっているというべきであろう。様々な形態をとる近代化論は、いわば「新自由主義時代の歴史学」における顕著な動向のひとつであるとも考えるのだが、同意を得るのは困難であるかもしれない。高校歴史教育において近現代史を主体とした理解を求める「歴史総合」教科の発足も、こうした近代化論を誘発ないし強化する可能性が、ありはしないだろうか。

 「新自由主義時代の歴史学」という研究視角については、多様な分析視点を否定するもので特定の政治的見解やイデオロギーに歴史研究を従属させるものである、との批判を、最近ある近世史研究者の近著のうちに見出した。現代世界の政治体制や統治は例外なく新自由主義化しており、その意味では一個の時代として把握すべきであるという見解が、学術的な意義を何ら有さず無内容であるかどうかについては、およそ将来の歴史的帰結によって判定されることになるだろう。

 さてこのシリーズ、編者のみなさんと企画を立ててからというもの、けっこうな月日が過ぎてしまった。この企画自体が、新型コロナウィルスの流行状況と完全に重なってしまい、執筆者の方々にご苦労をおかけしたところが多かった。シリーズ各巻には記す余裕がなく、ここに謝意を特記させていただく次第である。

(おの しょう・東京大学史料編纂所准教授) 


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