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【感想文】『ある巡礼者の物語』読了

 2週間前から読み始めた、『ある巡礼者の物語 イグナチオ・デ・ロヨラ自叙伝』(岩波文庫)を読了しました。

 この自叙伝は、イグナチオの口述をイエズス会のカマラ神父が書き止めたものだそうです。本書では、イグナチオは自身を「巡礼者」と呼んでいます。エルサレムや各地を巡礼したことだけでなく、彼の人生そのものが「道を求める巡礼の旅だった」と思われます。

 少し前までは、高校の世界史で習ったくらいの知識しかなく、イグナチオはイエズス会を作った人、『霊操』を書いた人、ということしか知りませんでした。時代的には日本と関係の深いフランシスコ・ザビエルと同時代の人で、ザビエルに『霊操』を授けて世界へと布教をするきっかけとなっています。
(1622年、イグナチオとザビエルは同時に列聖されました)

 「自叙伝」はパンプローナで重傷を負う場面から始まっています。たしかアッシジのフランチェスコもそうだったと思うのですが、戦地に赴くまでは裕福な家庭のお坊ちゃんで、結構イケイケな若者だったようです。世俗的な価値観を謳歌していたという意味で。
 ところが戦地で脚にひどい怪我を負って、とても辛い手術を耐え、療養中に読書をしているうちに、「何か」が起こるんですね。療養中に読んだ、キリスト伝や聖人伝がきっかけとなって、神に仕える聖なる生き方をしたいという想いに燃え立ったわけです。

 彼はそれまで、騎士道に憧れる青年で、運命の貴婦人のために身を捧げることにロマンチックな憧れを抱いていました。どうも高貴な想いびとがいたようです。それがあるとき、「私たちの貴婦人」である聖母マリアの出現を見、「何か」が働いて、猛烈な祈りの道に入ってゆくことになります。
 この辺りはなかなか興味深いものがあります。世俗の騎士からキリストの騎士に置き換わってゆくのですね。

 その後、歩けるようになったイグナチオは生家・ロヨラ城を後にし、各地を巡りながら清貧と苦行の日々を送るようになります。苦行の中で数々の神秘体験をしていますが、あまりの激しさに体を壊したりもしています。
 やりすぎも良くないよ、という体験が『霊操』で後続を指導する際に、生かされています。

 それから、悪魔の誘惑にしばしば襲われる描写があります。古今東西を問わず、修行者に訪れる魔境は、体験している本人にはそれが「魔」であるかどうかわからないことが多いものです。(むしろ良い体験、神々しい体験と感じられることも)イグナチオが、どんなふうに体験を霊的に弁別していくかというところも、興味深いものがあります。

 ローマでは教皇アドリアノ6世の祝福を受け、ベネチアからエルサレムと巡礼の旅は続きます。しかし、当時はイスラムとの戦いが日常的に行われており、泣く泣くヨーロッパに戻らねばなりませんでした。
 その後、バルセロナやアルカラで学問を学び、説教を始めると、今度は異端の疑いをかけられました。宗教裁判や異端審問は、たびたび行われたようです。獄中に入れられていた時期もありました。
 やはり、猛烈な改革者というのは、警戒されてしまうようです。

 釈放されてからはパリの大学で、ザビエルらと知り合って、同志が増えて行きます。活動が目立つようになると、ザビエルの回心に憤慨した者がイグナチオを悪しざまに言い出したり、スペイン人グループによる誹謗にも悩まされたりしました。迫害は1538年の教皇判決によって無罪判決が出るまでずっと、続いていたようです。

 世の中にはイエズス会陰謀論などもあり、それについては私には語るべきものはないのですが、16世紀の宗教改革の嵐の中、カトリック内部からキリスト教を建て直したいと望んだのがイグナチオであり、彼が作ったイエズス会でした。
 腐敗しきっていた教会権威の支配する世の中を建て直し、本来の愛の教えに立ち返って教えを広めたいという想いそのものは、強くて純粋なものだったのではないかと思います。

 この本は図書館で借りたのでしたが、読み返したくなり、ドン・ボスコ社から出ている『ロヨラの聖イグナチオ自叙伝』を取り寄せてみました。訳者が違うものです。
 恵み、慰さめ、試練、誘惑、浄化という、回心したキリスト者が辿る内的体験を記録したものとして、価値があると感じました。

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