休校中、子どもたちに「勉強しなさい」と、言わなくていい。むしろ好きなこと、違うことをする。


1ー 教育を受けるのは子どもの権利であって、「勉強しなさい」はむしろDV。暴力。
2ー 学校教育そのものを見直すチャンス。
3ー 学校がしないことをしてみる。
4ー 最後に。


1ー 教育を受けるのは子どもの権利であって、「勉強しなさい」はむしろDV。暴力。

私はオンライン家庭教師ですが、休校中に親から過剰に「勉強しなさい」と言われてストレスになっている子どもを何人も見かけます。
ほとんどの場合、それは学校という暴力に親が加担することであり、DV一歩手前か、下手するとすでにDVです。言われれば言われるほどストレスがたまり、勉強が嫌いになり、勉強しなくなります。
逆に自分が家にいて毎日「お父さん、お母さん、仕事しないの?仕事しなきゃダメだよ?」って言われるのを想像してください。

そもそも、教育を受けることは日本国憲法で保証された子どもの権利なのに、国がそれを提供しないのが悪い。子どもは全く悪くない。子どもは休校で教育を受ける権利を侵害されていることに怒っていいし(大抵、学校で元々侵害されてるけど)、逆にコロナに感染する危険な状況で登校させる場合にも自分を守っていい。
そこで親が子どもにキレるのは本末転倒でしかない。「教育を受けさせる義務」の果たし方に迷っているとも言えるかもしれないけれど。

まあ突然、いつもお互いが学校や職場にいる時間が消えて長時間、家という密閉空間で一緒に過ごすことになりました。なのできっと次のような理由でそうなってしまうのだと思います。

・今は大人も子どもも、いつも以上に日本社会の異様なコロナストレスに晒されて、誰かにぶつけたかったりもする
・子どもは学校にもどこにも行けず、同じ空間で暮らすリズムを作り、さらに風景が何も変わらない中で勉強もしていくという習慣がうまく作れないことが多い
・学校から代替の教育手段(オンライン授業など)が提供されず、何をしていいかわからない
・親からすると子どもが家にいて勉強していないように見える
・とりあえず「勉強したの?」が口癖になっている

私がそういう家庭や生徒さんに伝えているのは次のことです。
・休校中、何かストレスはないか?生活のリズムは大丈夫か?
・毎日勉強しなくてもいい。ちゃんと思いっきり休んで、勉強できる時に勉強する。
・せっかく学校が休みなので、自分で自由に効率的に勉強してしまおう。好きなことしよう。
・これは数カ月から1、2年の長期戦になる可能性があるので、そのつもりでいく。
・これは歴史的な事態だから、自分で考える。世の中をしっかり見ておく。

あと、親が急に教育者になるのは無理です。だから子どもに何か教えようとしてできなくても凹まなくていいです。で、そこで自分を責めたり子どもに八つ当たりしたりしないのが大事です。民間の教育アプリやオンライン家庭教師、Youtubeなど、そこに対応できる方法を見つけた方がいい。

何より余計な暴力を発生させないのが第一。


2ー 学校教育そのものを見直すチャンス。

で、どうすれば子どもの教育を受ける権利を保障できるかというと、元どおり登校できる状況にするか、登校しているのと同じ状況をオンラインで作れば解決する、という訳ではありません。
元々、日本の学校教育は子どもの良質な教育を受ける権利を阻害し、かつ社会がおかしくならないようにする重要な役割を果たしていない、という重要な問題がありますので。
つまり、休校が学校教育の悪い部分から子どもを助けている部分もある、と言うことです。

ちなみに休校にオンライン授業などの方法で対応している国は、中国、韓国、オランダなど、いくつもあります。休校中も教育を受ける権利を保障しています。むしろ、登校しない=授業がない、という状況の方が後進です。
参考:オランダの対応『「世界一の教育」オランダ公立小学校が実施するコロナ休校中の「授業」』
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71397

[ 日本が対応できていない理由 ]
1. あまりに教育自体がIT化に乗り遅れ、各家庭にもオンライン化に対応するためのネットやPC環境がない場合が多い。
2. そうした家庭に対し政府がネット環境やPC・タブレットを提供する気すらない。
3. そもそも教育制度自体が、教師が同じ年齢の生徒に一律で画一的な集団授業する、というスタイルをとっており、フレキシブルな対応ができない。

これを機会に日本の学校教育がいかに子どもや社会や人間のためにならないか、周回遅れかを考えてみます。
最大の問題はおそらく、前世紀まで必要だった、「読み書きができて集団行動ができて、良い兵隊になる」ための教育から変化していないことです。
[「読み書きができて集団行動ができて、良い兵隊になる」ための教育が続いた結果 ]
・あまり楽しくない、前世紀的な、一種刑務所のような建物の中で過ごす
・教育そのものよりも、好きでもない人とも仲良くし、集団的かつ協調的であることを植え付けさせる
・「いじめ」「体罰」という名の暴力をいつまでも許している
・時代の変化に即した、そして人間が幸せになるための学びのシステムを阻害しまくっている

9年間義務教育を受けても、身につかないものが多すぎる点も、列挙します。
国語:成人として生きていくのに必要な国語、コミュニケーションの力が身についていないし、人や社会、自然と本質的かつ対等に向き合える言葉や論理、教養の力がつかない。
英語:日本の「学校教育の英語」という独特のジャンルがあって、大半が中高6年間英語に貴重な時間を使うのに、まるで英語が使えない。
算数・数学:いまだに計算機を使わない。(38歳のオランダ人に話したら、「僕の頃から使ってたよ。基本的な計算のことを学んだら、あとは機械がすることに人間が時間をかけるより、効率的だから」と言われて死ぬほど羨ましかった)
社会:社会を学ぶ科目なのに、暗記に終始し、政治・経済・社会が全然わからない大人が量産されている。
体育:富国強兵、軍国主義のもとの「良い兵隊を作るため」の科目のまま。
全体:もう暗記はあまり意味がない。
*理科については教えていなくて正しく書ける自信がないので、もし誰かご指摘頂ければ幸いです。

そういう諸々を全部空中分解させて、いや、もう空中分解はとっくに始まっているので、学校は何だったのかを思い知り、違うことをしてみるいい機会です。
学校が始まっても、学校がおかしければ行かなくてもいいです。
休校措置を取らない学校に対して日本の学生が署名運動からストまでしていますが、休校以外にも教育を受ける権利を色々使っていいです。休校した上で教育を受けること、そして本当に良い教育を受けることを。


3ー 学校がしないことをしてみる。

私は入試や試験対策の家庭教師・塾講師を長くしてきましたが、その実態は学校教育のやり方を好きなように無視して、好きにやっています。(もし興味がある人はご連絡ください。)
今もオンラインで1対1でやっていますが、これを機に多人数で何かしたいと思っています。

その理由の1つは学習格差です。
余裕のある家庭はオンライン家庭教師をつけるなり、遅れを取らない手段があります。中高生以上で自分で学習できるタイプの子は、むしろ自分で効率的にできて気が楽そうです。
今私にできているのは、この層をより楽にしてあげることだけ。
けれど、この休校による最大の問題の一つは、教育弱者がもっと弱くなること。例えば学校に通っていれば読み書きができるようになった子どもが、できないままになること。教育が最低限できないといけないのは、読み書きなのに。

次に、私自身のやり方がこのままでいいのか、という疑問です。
下手したらこのまま入試や各種試験が1年か2年なくなるかもしれない。多く国の学校や世界の大学がオンライン授業を始める中、教育の仕組みそのものが変わる可能性がある。
その中で私と生徒1人だけのコミュニケーションではなく、学年も無視した複数人数でのコミュニケーションが起こるものに移行したい。そこでは私はむしろ、オーガナイザー、コーディネーターでいい。生徒がただ「はい」って全部言うこと聞いてるの、嫌なんですよ。
教育に求められることとは、次の3つだと考えています。
1. 最低限の読み書きができるようになること
2. 人が社会で幸せになれるように、それを良い意味で再生産できるように、教育の中身を決めること
3. 上記2つを達成するために、良質のコミュニケーションがあること

それに向けて動けるよう、自分に対して発破をかけているのかもしれません。


4ー 最後に

余計な暴力を生まないのが第一です。
で、せっかくだから面白い余計なことをしませんか。

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