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涙は雪で溶かすのが吉

「君は海千山千だからなぁ」

むかし付き合っていた年上の男にこう言われて、落ち込んだことがある。

落ち込むのは、自覚があるからだ。海千山千レディとしての。

以前書いたnote(『サカナとヤクザ』の感想文)のようなことを経験しているから、そう言われるんだろうな、とは思った。

さらにその男からは、「いろんな経験をしているせいか、君には年相応の若々しさがない」とまで言われた。たぶんそのとおりなんだろうけど、ムカついたのですぐに別れてしまった。

だから、母との根室での地獄巡りのようなことは、私にとっては黒歴史というか、だれかに話したところで理解してもらえないだろうなーと思っていたのだ。

ところが、例のnoteを書いたところ、みなさんにお読みいただけるわ、楽しんでいただけるわ、『サカナとヤクザ』の著者の鈴木智彦さんからもメッセージをいただけるわ……と、予想とはまったく違う反応が返ってきた。海千山千レディとしては驚きだった。

ならば、もっと自分のこれまでのことを書こうか――そうは思っていたけれど、なかなかできなかった。私にとってはつらい思い出ばかりだったし、思い出さずにいられるなら、そのほうがいいと思っていたので。

でも、ちょうど今、書きたい気分になったので書いてみます。



10歳のときに父が亡くなり、私は母と二人きりの母子家庭で育つことになった。

母は、父の残した呉服店を切り盛りしながら、私を育ててくれた。おかげで食うには困らず、そこそこの生活ができていたように思う。

それでも、大学進学となると話は別だ。

18歳になり、私が大学進学を希望していることを告げると、母が少し考えたあとでこう言った。

「おばあちゃんに相談する気はない?」

母の言う「おばあちゃん」とは、私の父方の祖母のことだ。地元では有名な金持ちで、無駄な金は一円一銭一文使わない人だ。

金のことになると、相手かまわずに怒鳴りつけ、だれも寄せ付けない。冠婚葬祭の場には必ずタッパーを持参し、残り物をすべてもらっていく。よく言えば「倹約家」、カタカナで言えば「ケチ」だ。

それでも祖母は、孫である私にはやさしかった。私が孫のなかでも最年少で、学業の成績がわりとよかったこともあり、「よくできる子だ」とかわいがってくれていた。私の初節句には最高級の雛飾りを、小学校入学のときには最高級の学習机を買ってくれたほどだった。

そんな祖母は、息子である私の父が死んだあとに、母からなけなしの財産を奪っていった。

父が死んだことでつながりがなくなった「他人」である母に、我が家の財産を与える筋合いはない、というのが祖母の言い分だった。

父が死んでひと月も経たないうちに、祖母と父の弟妹がやってきて、父の生命保険証書や、店に残っていた売上金、そして店の在庫の一部までを、母から取り上げてしまった。

金庫にしまっていた保険証書や現金、店の棚にあった在庫を運び出す、父の弟と妹。その横で、まだ小さかった私を抱えて生きるのに必死だった母が、祖母を怒鳴りつけ、さらに祖母が怒鳴り返していた。

私は何もできず、大人たちの様子を見ているだけだった。怖かった。母と祖母の様子だけでなく、父の弟妹の変わりようも怖かった。

父の弟妹は、ずっと「親戚のおじちゃんとおばちゃん」として、私にやさしく接してくれていた。お年玉をくれたり、「いただきものだから」と果物やお菓子を持ってきてくれたり、「いい子だね」と褒めてくれたり。

そんな人たちが、感情がまったく読み取れない表情で、家の金庫を無理やり開け、中身を出し、無造作にカバンに詰めていた。あれはいったい何だったんだろう。いまだに理解できない。

それ以来、私と祖母の縁は、ほぼ切れていた。

そんな生涯の敵ともいえる祖母に頼れというのだから、母も切羽詰まっていたのだ。

大学進学にはハンパではない金がかかる。どんなに生活に困っていなくても、それを母が一人で工面するのは無理がある。それについては、私も十分理解していた。

そこで私は、祖母に会いに行くことにした。大学の授業料を負担してもらえないか、とお願いするために。もちろんノーアポイントメント。札幌の三越で買っておいた折菓子を手土産に持つ。

3月の末だというのに、その日は大雪だった。ふくらはぎぐらいにまで雪が積もっている。冬の終わり特有の大粒の雪が体に当たるのを感じながら、漕ぐようにして足を進めた。

生活費とかはいいんです授業料だけで奨学金もとるつもりですから私けっこう優秀なので授業料半額になる奨学金をとったんですすごいでしょう生活費はアルバイトで自分でなんとかするつもりですから節約もしますええ今時流行らない苦学生です――

頭のなかで、祖母に言わなくてはいけないことをくり返す。授業料だけ、授業料だけでも。そんな言葉の隙間から、かつての母と祖母の怒鳴り合いが蘇る。

「ぜんぶ寄越せと言ってるだろが!」
「子どもがいるのに、いったい何をする気だ!」
「この家と店だって、本来はワシのもんじゃ! さっさと渡せ!」

ああ、そうだ。あのとき、在庫をぜんぶ持って行くと言った祖母を、父の弟妹が「まぁまぁ母さん、まだ由子も小さいんだから」なんて言って宥めたんだった。しぶしぶ納得した祖母は、自分でいくつかの在庫を選び、奪っていったのだ。

たしか、反物にして20から30。あのときの祖母の目。着物の反物を見ているのに、見ていない。どれが金になるものか、と値踏みするだけの目だった。

しかし、その目はかなり的外れで、安い反物ばかりを持って行っていたはずだ。残念でした。

そんなことを思い出すほどに、足が重くなる。風に巻かれた雪が「お前は何をしてるんだ」というように体を叩く。

ほんとうだ。何をやってるんだろう。どう考えてもおかしいだろ。父が残してくれた財産をほぼほぼ奪っていった相手だぞ。私と母の敵じゃないか。そんなやつに頼ろうっていうのか?

ゆっくり歩いて30分。祖母の家についた。すでに80歳を過ぎているにもかかわらず、数年前に新築したと話題になっていた、大豪邸だ。

その家には、なぜかインターフォンがなかった。呼び鈴もない。ドアをノックしてみたけど、反応はない。試しにドアの取っ手をひねると、鍵はかかっていなかった。

そこで私はドアを開け、「ごめんください」と叫んだ。数秒後、かすれた老人の返事が聞こえる。そしてさらに数秒後、玄関までつながる廊下に老人が姿を現した。

祖母だった。私の記憶にある祖母よりも、明かに老いているが、たしかに祖母だった。私は史上最大級の勇気を振り絞って、声を出した。

「おばあちゃん、由子です。わかりますか?」

祖母は即答した。

「いや、知らない。どちらさん?」

ボケているように見せて、まったくボケていない口調。こっちを問答無用に切り捨てる言葉に、私は「すげぇな」と思ってしまった。

それから先のことは、よく覚えていない。たぶん、「そうですか。すみません」とか言って、祖母の家をあとにしたんじゃないかな。

玄関を出たら、外が真っ白だったのは覚えている。何も見えない。このなかを歩いていったら、私の小さい体なんてぜんぶ消えてしまうように思えたから、あえて歩いた。雪に向かって、ガシガシと歩いた。

泣いていたとは思う。どんなに泣いても、吹雪のほうが勝っていた。顔に叩きつける雪が、肌の熱で溶ける。それが混ざるおかげで、涙が真水に変わる。これで泣いたことが母にバレずに済む。ラッキー、と思った。

家に着き、母に事の顛末を話すと「そう」と頷いた。そして、「やっぱりすごいね、あの人。ボケてないのに、ボケたフリしたってことでしょ?」と言った。たぶん、そうなんだろう。

結局、私は母に教育ローンをお願いして、ローンの返済を自分ですることになった。奨学金とアルバイトで稼いだお金で、生活費とローン返済をするのは大変だった。大変すぎた。もう一度やれと言われても、絶対にやらない。そして、ほかの人にもやらせたくない。

それでも、やっぱり人の金に頼ろうとしちゃあダメだなーとは思っている。

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