「書く」ことについてのあれこれ

わたしは頭の中でいろいろなことをじっくりと考えるのが好きなのですが、ときどき考えたことをちょっとひとに話すと、役に立ったと喜んでいただけることがあり、
え?これってずいぶん前からわたしの頭の中にあった珍しくないことなんだけど?あ、そうか、自分の頭の中のことは自分にしか分からないのか、

と当たり前過ぎることに気づき、少しずつ文章に表現していくことにしました。
文章にする、というのは、わたしにとってはなかなかしんどい作業で、頭の中を正確に表現したいのに、うまい言葉が見つからない、的なジレンマが、わりと大きくあり、そのジレンマが苦しくて、ずっと書くのをためらってきた、というのがあります。
ずっと、とは、社会人になってから20年くらい。

振り返ると、それまではたくさん書いていました。
小3のとき、江戸川乱歩せんせいに触発されて、自分なりにトリックを考え抜いた推理小説を書いたのを皮切りに、中高では授業中にポエムを書いて友だちと交換こして感想を言い合ったり、大学では、自分が書いたお話を朗読する、というコミュニティFMのレギュラー番組まで持っていました。我ながらよくそんなことやってたなと驚き。


その後就職して、なかなかゆっくり書く時間がなくなったのと、あとそのコミュニティFMのために話のネタを捻り出すのが本当に大変で、それが少しトラウマっぽくなり、それ以降ほとんど書くのをやめた、と自分では思っていました。
思っていた、というのは、実はちょっと違ったかな、ということを唐突に思い出したのです。

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わたしは学生のとき、上に書いたコミュニティFM含めていくつかラジオ番組をやってたんですね。(わたしは子どもの頃から生粋のラジオっ娘で、ラジオが大好きだったご縁から)
そこで、ラジオのスタッフさんにはとってもとってもお世話になっていました。なんせ、特にスター性があるわけでもない一学生のわたしがラジオ番組やるわけですから、いろいろ根回しとか、なんでわたしがこの番組やるのか、とか、アヤシイ関係があって起用してるわけではない(!)とか、いろいろな方面にいろいろな説明が必要だったはずなんです。
そんな大変さはおくびにもださず、いつも楽しく番組づくりをしていただいていました。

な、なのに、ですよ
わたしってばそのご恩に気づけずに、もっとこうしたい、こうできたらいいのにできない不満みたいなのがあったもんだから、それを知り合いの人に話したところ、なんかそれ、業界の裏話として面白いよ、そのネタで雑誌に書いてみない?と言われ、書く書く!と調子に乗って、これまで持ってた不満なんかを一切合切、雑誌の記事としてぶちまけてしまいました。
あぁ、本当に人として恥ずかしい。

その後の反響で、自分のやらかしたことの重大さに気づいたけど、後の祭り。泣きながらスタッフさんには謝りました。とても人間ができていた方だったので、彼は許してくれました。
でも、わたしはわたしを許してなかった。

そのことに、最近気がつきました。

あのとき謝ったけど、改めてもう一度謝りたい。
あのときわたしは学生で気づけなかった、社会や会社のいろんなことを知るにつけ、彼がわたしにやってくれたことがどれだけ大きなことだったか、今になって本当に身に染みる。

Tさん、ごめんなさい。
いただいたご恩は一生忘れません。
またどこかで会えたらうれしいな・・・

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