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「表現」って何だろう

ここ最近、頭の中をぐるぐるしている問いがある。

「僕にとって、表現って何だろう」

文章を書くこと、講師として話すこと、歌うことや弾くこと。
僕にとって大事なそれらの行為に共通する言葉として出てきたのが、表現すること。今の僕に、そしてこれからの人生において、重要な鍵を握る予感がする。表現を取り上げられた生き方は嫌だから。

でも、表現さえできればそれで満足かと問われたら、それも違う。僕のほかには誰も存在しない世界で表現し続けろと言われても、拷問でしかない。

表現することによって誰かに何かを伝える、伝わる、共有する、感じ合う、気づく。そんな営みを期待してこその、表現ではないか。
ただ、そうした場合、他者の存在が必要になり、他者の反応は必ずしもこちらの望み通りになるとは限らないし、望み通りの反応が得られなかったらその表現は無意味なのかというと、それもまた違う。

自分にできる行為は、明確に認識できる誰かを想いながら、でも相手の反応は期待せずに表現すること。この時の「誰か」は、表現の場に存在する直接の対象者であってもいいし、その状況を他所から知ってもらうだけでも、僕にとっては意味がありそうだ。

表現は、何かの手段であり、目的ではない。そこに何かの、意味、意義、価値を感じている。
この記事を書き始める前よりも少し思考が深まって、何かの輪郭をつかみかけたような気持ちになった。ひとまず、ここではここまで。

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