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【連載】「こころの処方箋」を読む~4 絵に描いた餅は餅より高価なことがある

「絵に描いた餅」という言葉がある。基本的にはこれはネガティブな言葉である。目の前に実在している食べられる餅ではなく、食べられやしない、においもなく、触ることさえできない、そんな餅である。

用法としては、何か計画を立てるときに使われるときに使われる。その計画が実際には何の役にも立たず、実現性の乏しい理想にすぎない、そんなニュアンスで用いられる。

だから、単に「空想上の餅」ということではなく、これは「食べようとしている餅」なのである。食べようとしているが、まだ目の前にはない餅。もっと言えば、そんな餅は実在するのか、ちょっと信じられないような餅。多くの人にとって見たこともないような餅である。

本人としてはそれはきっと食べられる餅であり、食べるつもりの餅なのだが、多くの人にとってはそれはそうではない。だから、それを揶揄して「それは絵に描いた餅であって、食べられやしないのではないか」というニュアンスで、「絵に描いた餅」という言葉は使われる。


河合は絵に描いた餅を「ヴィジョン」と言い換えている。そして、このヴィジョンというものを、日本人は過小評価する傾向が強いのではないかと言っている。

多くの人は、絵に描いた餅を食べられやしないと言う。そして、食べられもしないものに価値はないと言う。しかし河合は、その絵に描いた餅自体にも価値があるのではないか、もっと言えば、食べられる実在の餅よりも価値があるものかもしれないとまで言っているのである。

もちろん、空腹で仕方がないときには、絵に描いた餅では空腹はしのげないかもしれない。けれども、絵に描いた餅には、絵に描いた餅としての価値があるのではないか。


一方で現代においては、この絵に描いた餅が大量生産されていることもまた、危惧される点ではある。

それが実際にどのように自分にとって役立つのか、自分の幸福にどのようにつながるのか、はたまたそれ自体が幸福であるかのように喧伝される餅が、大量に配られている。

資本主義が代表的な絵に描いた餅だろう。資本主義それ自体は、食べることも見ることもかなわない。けれども、多くの人がそれをありがたいものとして、価値あるものとして受け入れてきた。

そんな得体のしれないものが、どんどん生み出されている。

資格ビジネスや協会ビジネス、投資商品に不動産、学歴にお金に家族にコミュニティー。それ自体が即座に否定されるものではないにせよ、その餅が自分にとって本当に価値を持つものなのかは、立ち止まって考えてみる機会が必要だろう。ともすると、大して考えてみることなしに、その絵に描いた餅を価値あるものとして、自明の幸福として受け入れてしまっているのではないか。


絵に描いた餅の価値は、普遍的なものではない。それを見るものによって、持つものによって、その価値は違うのである。だから、隣の家の人が持っているからといって、自分も持てば良いというものではない。

それでも絵に描いた餅は魅力的である。それは実物の餅を食べるのが苦手であっても、そこに価値を見出せば、価値あるものになるのである。

そんな容易に変わってしまう価値の中で、我々は試されている。


河合は、絵に描いた餅の価値の一面として、餅を手に入れるまでの過程に注目している。

絵に描いた餅は、その餅を手に入れるための羅針盤である。計画書である。「ヴィジョン」である。それを持ち続けることで、最終的にはその餅を手に入れることができる。

しかし、仮にその餅を手に入れることができなくとも、絵に描いた餅自体にも価値はあったのではないか。絵に描いた餅をにぎりしめ、餅を手に入れるために経た過程の中で、その絵に描いた餅は果たして実在しなかったのか。その過程において、既にその餅は実在したともいえるのではないか。

それは心の中にだけあった餅だと言い換えてもいいかもしれない。心の中にだけあった餅に、価値はないのだろうか。また、心の中にだけあった餅は、餅ではなかったのだろうか。

「マッチ売りの少女」が灯の中に見た光景は、果たして実在ではなかったのか。もしくは、実在以上の価値を持つものではなかったのか。


一年の計は元旦にありというが、そのヴィジョンは、もしかしたらずっと価値のあるものなのかもしれない。

それは必ずしも、現実的に思えるものでも、一般に実現可能だと認められるものでなくても良いのではないか。

餅を描いただけで、その価値は既に生まれている。そして、その絵に描いた餅を持ち続けることで、その価値は実在として立ち現れてくる。

そんな自分にとっての密やかなヴィジョンとしての絵に描いた餅を描く新年というのも、雑煮の餅にも負けず劣らず価値のあるものなのかもしれない。





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