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自分の素晴らしさに感動できる話 【セルフイメージの大転換】

こんにちは、野口嘉則です。

あなたは自分のことをどんな人間だと思っていますか?
その答えがあなたのセルフイメージ(自己イメージ)です。

そして、僕たちのものの見方や行動の仕方って、自分自身のセルフイメージにめちゃくちゃ左右されるんです。

今日は、あなたのセルフイメージが飛躍的にバージョンアップする話をしたいと思います。



<人間観とセルフイメージ>


さて、冒頭では、あなたのセルフイメージについて聞きました。
あなたが自分自身に抱いているイメージ・自分観、のことですね。

では、もう1つ別の質問をします。

あなたは、自分を含め、人間ってどういう生きものだと思っていますか?

その答えが、あなたの持つ「人間観」です。

実はこの「人間観」こそが、セルフイメージ、そして人生に大きな影響をあたえるものなんです。

たとえば、「自分は周りの人よりも優秀な人間だ」というセルフイメージを持っている人がいるとしますね。
だけど、その人の持っている人間観が「人間は運命に翻弄ほんろうされる弱い存在だ」というものだとすると、結果的にその人のセルフイメージは低いということになります。

たとえ「自分は他人よりも優れている」と思っていたとしても、そもそものベースである人間観が低いので、結果的にセルフイメージも低いといえるんです。

では、僕たちはどんな人間観を持てるといいんでしょうか?


<最強の人間観>


人間観を、僕なりに何年も探った結果、ある結論にたどりつきました。
それは、「人間は肉体を超えた存在だ」という人間観が最強ということです。

これをトランスパーソナル心理学の言葉で言いかえると、「人間はトランスパーソナルな存在だ」となります。トランスパーソナルとは、個人を超えている、という意味です。
つまり、僕の思う最強の人間観は、「人間は、個人を超えて他者や大いなるものとつながっている」という人間観です。

ちなみに、この逆の人間観が唯物論的人間観です。
「肉体こそが人間である。つまり、人間は肉体という物質にすぎず、意識も脳という臓器の働きに過ぎない」という考えかたです。

僕は、悩みに向きあったり心理学を学んだりするなかで、「この人はすごいなあ」と思うかたの伝記やエッセイなどをたくさん読んできました。
すると実に、その多くのかたが「人間は肉体を越えた存在だ」という人間観をもっていたんです。


<「人間は肉体を超えた存在」という人間観>


何人かご紹介したいと思います。

「人間は肉体を越えた存在だ」という人間観を持っていらっしゃることがわかる、具体的なエピソードをまじえて話しますね。

まず、経営の神様といわれる松下幸之助さん。

松下幸之助さんは、「宇宙根源の力が、我々人間の中で脈々と動いているんだ」ということをおっしゃっています。

幸之助さんは、真々庵しんしんあんっていう別邸を持っておられました。ものごとを思索するときには、よくそこにこもっておられたそうなんです。
そして彼は、この真々庵に、根源のやしろという社をつくって、そこに根源さんというのを祀っておられました。
その社で感謝の祈りをされていた、というのは有名な話ですね。

次に、京セラやKDDIの創業者である、稲森和夫さんです。

稲森さんのご著書また講演によく出てくるのが「人間の魂はほろびない」というお話です。
「肉体がほろびても、人間は生き続ける。だから魂をみがくことが大切ですよ」と述べておられます。

また、フォード・モーターの創設者、自動車王ヘンリー・フォードも、こんなことを言っています。

「どうやって、無一文から大きな財をなすところまでたどり着いたんですか?」とインタビューで質問されたとき、ヘンリー・フォードは次のように言いました。
「違います。私は無一文だったのではありません。人はみな、最初から宇宙の無限の宝庫につながっているんです」

あと、儒教の伝承者として知られている、孟子もうしの言葉も見てみましょう。

孟子の有名な言葉で、「万物みな我にに備わる」という言葉があります。

「天地間のあらゆる理法は、生まれながらに人間の中に備わっているんだ」と言っているんですね。

それから、僕は武道が好きなので、合気道の開祖である、植芝盛平うえしばもりへいさんの話も少し。

合気道を創始した植芝盛平さんですが、そこにいたるまでの修行をする過程で、ハッとひらめいた悟りがあったそうです。

それは、「我すなわち宇宙」という悟りです。

「自分と宇宙は一つ。自分はすなわち宇宙」という直感をえて、合気道という武道を創始されました。

武道の流れでもうひとつ。
実は、僕は少林寺拳法をやっていたのですが、そこにも通ずるものがありました。

少林寺拳法の開祖である宗道臣そうどうしんは、「全ての生きとし生けるものを生かすチカラが、宇宙のあらゆるところに存在している」と言っています。

そのチカラのことを宗道臣はダーマと呼び、「人間はそのダーマの分身・分霊である」と言っています。

このように、いま紹介した方たちは、人間を「肉体を超え、個人を超えた、トランスパーソナルな存在」だと捉えていますよね。

「人間は肉体のみの存在ではなく、もっと高次元な存在なんだ」という人間観が、勇気やバイタリティの源になっていたんじゃないでしょうか。
それに、この人間観って、生きていくうえですごく安心感をもたらしてくれるんですよね。


<合理的なチョイス>


と、ここまで、僕の思う「最強の人間観」について話してきました。
だけど、「すべての人が必ずこの人間観を採用するべきである」とは思っていません。人それぞれ好みがありますからね。

いま話してきたトランスパーソナルな人間観も、逆の唯物論的な人間観も、実は、どちらもそれが正しいってことは科学的に証明できないんです。

「肉体が死んだ後に意識が生き続けているなら、その意識をここに持ってきて、誰もが見えるようにしてください」って言われても、それはできないですよね。

逆に、「肉体が死んだら意識も終わる」ということを証明できた人も、いまだかつて1人もいないわけです。

なので、科学的にはどちらも証明できないんです。
どっちが真実なのかは証明できないわけですから、そうなると、どっちを採用するのがより楽しいか、より役に立つか、と合理的に考えたい、と僕は思うわけです。


<ユング心理学と集合的無意識>


ここで、ユング心理学の視点から、人間は肉体を超えた存在であるという人間観を裏づけるような話をしたいと思います。

僕たちのこころには、自分で意識できる部分と、自分では意識できない部分があります。
自分で意識できる部分を、単に意識と呼んだり、表層意識あるいは表面意識なんて言ったりしますね。
一方、自分で意識できない部分は、無意識と呼んだり、潜在意識と呼んだりします。

そしてユング博士は「僕たち全ての人間は、無意識の深いところで繋がっている」と言っています。これが集合的無意識と呼ばれるものです。

もともとユング博士は、仕事でクライアントの夢の分析をする過程で、神話の研究もしていました。

するとおどろいたことに、世界中の神話や伝説には、不思議なほど共通点があったんです。しかも、まだ文明や文化が交流をしていなかった時代に、地球上のまったく別の離れた場所にある、それぞれの民族の神話に共通点がいくつもみつかったわけです。

そこでユング博士は、「世界中の全ての人が共有している意識の層がある」と考え、集合的無意識というものを思いついたんですね。

そうして集合的無意識を研究していくなかで、ユング博士はある概念を提唱するにいたります。


<シンクロニシティ>


ユング博士が提唱した概念は、「シンクロニシティ」です。

かなり有名な言葉なので、聞いたことがあるかもしれませんね。
シンクロニシティとは、「偶然の一致のように見えるけど、それが単なる偶然ではなくて、その一致になんらかの意味がありそうだと感じられるようなもの」のことです。
偶然の位置にしてはあまりにも起こる確率の低い出来事である、っていうのが特徴ですね。

こういうこと、経験したことありませんか?

・久しぶりに知人のことを思いだしていたら、なんとその日にその人から連絡があった

・あることに関する情報が欲しいと思っていたら、電車で目の前に座ったカップルがそのことについて語りあっていた

・田舎に住んでいるおじいちゃんが夢の中に出てきて、起きるとおじいちゃんが夜中に亡くなったという知らせが届いた

・友人と、ある人のウワサ話をしていたら、まもなくその人が目の前を通りかかった

それから、僕の知人にもシンクロニシティを経験した人がいます。

知人がある日、仕事をしているときに、急におばあちゃんのことを思い出して胸さわぎがしたそうなんです。

彼は子供のころかなりのおばあちゃんっ子だったんですが、日ごろおばあちゃんのことを思い出すなんてことはほとんどないそうです。

どうも気になるので、仕事が終わってから田舎のおばあちゃんに電話してみたら、なんとその日、おばあちゃんが交通事故にあっていたそうなんです。
しかもその事故にあった時刻が、まさに自分が胸さわぎした時刻とまったく同じだったんだそうです。

これは「虫の知らせ」というやつですね。経験したことがある方も、かなりいらっしゃるんではないでしょうか。
この「虫の知らせ」や、さっき例に挙げた「夢枕に立つ」や「うわさをすれば影がさす」も、いずれもシンクロニシティです。

これらの現象は、意識の世界でわかる前に、先に心の世界で察知していたから起きたと考えられます。たとえば、知人が自分に連絡をしてこようとしていることを、実は無意識の深いところで察知していたから、連絡が来る前にその人のことを思い出したわけです。
これは、心が深いとこで繋がってるから起きうるわけです。

実は、ユング博士自身もシンクロニシティを経験しています。

<患者の死>

ある日の夜中、博士はふと目が覚めました。
そして突然、おでこと後頭部に激しい痛みを感じたんです。

そして翌日、ユング博士がかねてより非常に心配していた患者が、夜中に拳銃で自殺をしていた、ということがわかりました。
その拳銃の弾は額から後頭部へと打ち抜かれており、亡くなった時刻が、まさに博士が夜中に目を覚ました時刻だったんです。

<コガネムシのメッセージ>

博士は、ある患者に継続的に心理療法を行っていました。
しかしそのクライアントは、合理主義的な傾向がかなり強く、心をあまり開かない人でした。なので、治療になかなか進展が見られなかったんです。

そんなある日、セッション中にその患者が自分のみた夢の話をしはじめました。
黄金のコガネムシをもらう夢を見ました、と患者が語っているそのときに、ユング博士の背後の窓にコツコツとあたる音がしました。

博士が気になって、窓を開けてみると、1匹のコガネムシが部屋に飛び込んできました。そしてそのコガネムシの色が、まさに患者の夢に出てきたような、ちょっと緑がかった黄色のコガネムシだったんです。

「こんな不思議なことってあるんですね」といって、この出来事をきっかけに、患者はユング博士に心を開くようになりました。そして、その患者の再生に向けて、変容のプロセスが動き出したんです。

実は、コガネムシというのは、エジプト神話において「再生・変容」の象徴です。
実際、この患者にとっては、コガネムシが「再生・変容」のきっかけとなったわけですね。

こういった経験をいろいろする中で、ユング博士は、「身の回りに起きる出来事には意味がある」「人生にはなんらかの目的を持った流れが存在する」と考えるようになりました。
そして、その理論的な背景として、「人は心の深いところで繋がっている」と結論づけたわけです。


<肉体は1年で98%入れかわる>


もうひとつ、分子生物学者のルドルフ・シェーンハイマ―という人の研究の話もしましょう。

シェーンハイマ―によると、僕たちの肉体を構成する原子は常に入れかわっているそうです。
原子レベルで見ると、僕たちは食べたものから原子を取り込むとともに、自分の体からも原子を排泄してる、ということです。つまり、原子レベルでの新陳代謝が起きてるんです。
そして、僕たちの肉体を構成する原子は、1年で98%が入れかわり、数年ですべてが入れかわるそうなんです。

数年たつと、僕たちの今のこの肉体を構成する要素は、なにひとつ残っていないんです。肉体としての脳も、それを構成する原子は、すべて別のものに入れ替わっています。だけど僕たちの人格は継続してますよね。
肉体は確実に別物に変わっているのに、人格は変わらず継続しているわけです。そこからも、人間は肉体を超えた存在である、と言えますよね。


<人生とは魂のまなび場である>


それから、「人間は肉体を超えた存在である」という人間観を裏づける研究として、生まれかわりの研究があります。

生まれかわりの研究には3つの切り口があります。

・退行催眠において、過去世までさかのぼった人たちの研究

・もともと過去世の記憶を持っている人たちの研究

・臨死体験をした人たち(死にかけて蘇生した人たち)の研究

その中から、過去世の記憶を持つ人たちの研究について、少し紹介しますね。

たとえば、4歳の子ども(アメリカ人)が、こんなことを語ります。
「自分は前の人生では、■■■■■という名前で、フランスの○○○という村に住んでいた。そして30歳のときに馬から落ちて命を落とした」
もちろんこれは、子どもの空想である可能性が多分にありますね。なので、綿密に調査をします。
すると、本当に、かつてのフランスにそのような名前の村が存在していた。さらに現地調査まですると、たしかに当時、そのような名前の人物がいて、30歳のときに落馬して命を落とした記録が残っていた、といったようなケースが実はたくさんあるんです。

また、過去性の記憶を持つ人の中には、今回の人生では知ることができないはずの外国語を話すケースもけっこうあります。

あと、とても興味深いことに、過去生の記憶を持つ人の中には、前世で死んで今世に生まれるまでの、途中のプロセスを記憶している人たちが結構います。「中間世ちゅうかんせの記憶」と呼ばれたりするものですね。

そして、その人たちが語る話には、いくつも共通点があるんです。

中間世を記憶している人たちはみな、「人はみな生まれてくる前に、どんな親のもとに生まれるか、どんな環境の下で育つか、そして、人生でどんな試練に出あうか、をすべて自分で計画してから生まれてくる」と言います。

さらに彼らがみな口をそろえて言うのは、「人生とは、魂のまなびの場であり、魂をみがく場である」ということです。

つまり、肉体の死は、終わりではないってことですね。
さらに、これらの人たちの発言から導き出されることは、成長した自分は来世に持ち越せるってことです。

この考え方を採用すると、死というものを恐れすぎなくてよくなります。そして、死ぬまで生きがいを持つことができるんです。

そしてさらに、中間世を記憶してる人たちによると、乗り越えられない試練はやって来ないんです。
自分の学びのためにセットしたことだから、どんな大変な試練であっても乗り越えられる。そして、その試練に出会っていること自体、計画どおりうまくいってる、ということなんです。


<存在していることが奇跡>


さて、ここからは、「肉体を超えた存在」という人間観とは別の角度から、僕たち人間の素晴らしさを語ってみたいと思います。

仮に世界中の科学者が集まって、多額の予算をつぎ込んだとしても、単細胞生物ひとつ作ることができないそうです。そう考えると、生物ってすごいですよね。
その生物の中でも、僕たち人間はというと、大人で数十兆個の細胞からなる体を持っています。

遺伝子研究の世界的権威だった村上和生先生によると、人間の細胞1個に含まれる遺伝子情報は、1000ページの本だと1000冊分になるそうです。
僕たちの体においては、そんな膨大な情報量を含んだ細胞が、それぞれの役割を果たしながら全体として秩序をたもっています。
これはもう、僕たちは存在するだけで奇跡、としか言いようがありません。


<唯一無二のすばらしさ>


そしてもうひとつ、あなたが素晴らしい理由があります。

それは、「あなたと同じ人間は、この世界に他にいない」ということです。

ダイヤモンドやプラチナが高価なのは、希少価値があるからですよね。
あなたという人は、この世界の隅々まで探し回ったとしても、希少どころかたった一人しかいないんです。

あなたは人類史上ただ一人しかいないし、この宇宙に一人しかいない。つまりあなたは、代わりのいない唯一無二の存在なんです。

だからあなたは、存在しているだけで素晴らしい!
あなたの存在こそが、かけがえのないものなんです。

人生においては、前向きな気持ちになれないときもあれば、元気が出てこないときもあります。「自分にはなんの取り柄もない」と感じて、自分のことがイヤになるときもあります。
だけど、そんなときも、あなたの素晴らしい価値は1ミリも揺らいでいないんです。

そして、こうした人間観を持って生きると、「自分も素晴らしいけど、あなたも素晴らしい。みんな素晴らしい」と思えるようになります。
すると、僕たちは豊かなセルフイメージとともに、豊かな人間関係までもを築いていけるようになるんです。


<まとめ>


今日は、「人間は肉体を超えた存在だ」という人間観が、豊かなセルフイメージを持つことにつながる、というお話をしました。

「人生でどんなことが起きても、自分はそこから成長できるんだ」
「困難をチャンスに変えていけるチカラを自分は持っているんだ」

って、とても豊かなセルフイメージですよね。

この人間観は、僕自身のセルフイメージを変えるのにとても役に立ったので、あなたのお役にも立てたら嬉しいな、と思ってご紹介しました。

それでは最後に、ビートたけしさんの詩を紹介させてください。

人は何か一つくらい誇れるものを持っている。

何でもいい、それを見つけなさい。

勉強が駄目だったら、運動がある。

両方駄目だったら、君には優しさがある。

夢をもて、目的をもて、やれば出来る。

こんな言葉にだまされるな、何も無くていいんだ。

人は生まれて、生きて死ぬ。

これだけでたいしたもんだ。

「ビートたけし詩集 僕は馬鹿になった。」(ビートたけし著)より引用

<まとめ>

・人間観が自己イメージと人生への影響をあたえる
・人間はトランスパーソナルな存在という人間観
・ユング博士の提唱したシンクロニシティ
・人生とは魂のまなび場である
・僕たちは存在自体が素晴らしい
・役に立つ人間観を合理的に選択していい

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ではまた、次回の更新をお楽しみに!


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