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悩みの突破口を開くカギは物語にあった!【学校に行くのがツラい子どもに伝えたいこと】

こんにちは、野口嘉則です。

今日は、悩みの突破口が開ける、
物語療法について話します。

物語療法は、
ナラティヴ・セラピーとも呼ばれるもので、
きっとあなたのお役に立つ話になると思います。



<あなたが悩むのは、出来事のせいではありません>


まず最初に、質問です。

「これまでの人生で起きた出来ごとの中で、
あなたを悩ませた出来事、
あるいは今もあなたを悩ませている出来事には
どんなものがありますか?」


いろいろと、答えが思い浮かぶでしょうか?

さて、僕は今
「あなたを悩ませる出来事」
って言いましたよね。

でも実は、この質問、
言葉の使い方が正しくないんです。

なぜなら、
「あなたを悩ませているのは
出来事ではない」
からです。

僕たちは、起きた出来事に
なんらかの意味づけをしています。

そして、
その「出来事につけた意味」
が僕たちを悩ませる
んです。

次の場面を想像してみてください。

登山をしている
10人ほどのグループがいました。

その山に登るのは、
リーダー以外みんな初めてです。

しばらく登り、
ある地点に到達したところで、
嬉しそうにリーダーが言いました。

「みなさん、いい発表がありますよ!
僕たちなんと、もう半分まで来ました!!!」

すると、メンバー達からも
「いえーい!!」と歓声があがりました。



ところが、おなじ地点に到達したときに、
もしもリーダーが深刻な表情で
こう言ったらどうでしょう。

「みなさん、悪い知らせがあるんだけど、
落ち込まないでね。
僕たち、まだ半分しか来ていません」

すると、メンバー達も
「えぇ、、、まだ半分しか来てないのか」
と気分が沈むのではないでしょうか。

同じ場所に到達しているのに、

「すでに半分も達成している」
という意味づけをした場合と、
「まだ半分しか達成されていない」
という意味づけした場合、

それぞれでまったく違う現実
を体験をしていますよね。

つまり、
意味づけが現実を作っている
ということなんです。


僕たちは、
自分の人生に起きた出来事に
無意識に意味づけをし、
それらを結びつけてストーリー化し、
物語にしています


「あなたの人生は
どんな人生か教えてください」

という質問に対して、
その人が答えることは、
客観的な事実ではなく、
その人が意味づけをし
物語化したストーリーなのです。

何事においても、
達成できたことに
焦点を当てる人の人生は、
「達成の物語」になっています。

逆に何事においても、
達成できていないことに
焦点を当てる人の人生は
「なかなか達成できない物語」、
つまり「報われない悲劇の人生」
という現実を生きています。


僕たちは
自分が作りだした物語の中を
生きているのです。

悲劇のヒロインという物語を
生きている人にとっては、
人生で起きる様々な出来ごとは、
悲劇の要素として意味づけされていきます。

一方、成長する人間の物語を
生きている人にとっては、
人生で起きる様々な出来ごとは、
自分を成長させてくれる要素として
意味づけされていくわけです。

あなたが現実だと思っていることは、
実は、あなたが意味づけし、
あなたが物語化したものなんです。


ということは、
物語を変えれば、
現実を変えることができる
んです。


<真実はいつもひとつ!ではない>


ここでひとつ、質問をしましょう。

1492年、
世界の歴史になにが起きたでしょうか?


世界史を学んでいる学生に聞くと、
「1492年は、
コロンブスが新大陸を発見した年だ」
と答える学生が多いと思います。

でもそれって
本当なんでしょうか?


1492年に
コロンブスが新大陸を発見したっていうのは、
客観的な事実なんでしょうか?

違いますよね。
それは、西洋側から見た物語です。

新大陸を発見というのは、
希望に満ちた物語ですが、
実はそれは西洋川からみた解釈なんです。

一方、先住民側からすると、
1492年は、
「海の向こうから侵略者がやってきた年」
ということになります。

先住民にとって、
そこにある大陸は新大陸なんかじゃありませんし、
そこに外から侵略者がやってきたわけです。


また、あの有名な桃太郎の話も、
どの視点で見るかによって
物語が違ってきます。

一般的に桃太郎は、
人間側からみたら
「ヒーロー」として描かれてますよね。

でも、鬼側からみたら
「奇襲をしかけてきて殺戮を行い、
金目のものをすべて略奪していった存在」
なわけです。


それから、黒澤明監督の映画に
「羅生門」というものがあります。

殺人事件が起き、
目撃者4人が証言するのですが、
それぞれが語るストーリーが
まったく違うのです。

この映画が語源となってできた
心理学用語に「羅生門効果」
という言葉があります。

ひとつの出来事について、
それを経験した人たちの語ることが
まったく違うことを指す言葉です。

出来事は一つでも、
どの視点から見るかによって、
まったく違う物語になるのです。


つまりこれって、
「真実は人の数だけある」
ということなんです。

そして、それぞれの真実は、
その人の持っている
物語によって作られています。

3人のレンガ職人
という寓話を紹介しますね。

男がレンガを積んでいた。
旅人が
「なにをしているんですか」と聞くと、
男は答えた。

「見ればわかるだろう、
レンガを積んでいるんだ。
朝から晩まで
俺はレンガを積まなきゃいけないのさ」

旅人は、なぐさめの言葉を
伝えて歩きはじめた。


数メートル歩くと、
レンガを積んでいる別の男がいた。
「なにしているんですか」と聞くと、
男は答えた。

「俺は時給10ドルの
仕事をしているんだ。
これで収入を得て
家族をやしなっているんだ」

旅人は、はげましの言葉を
伝えて歩きはじめた。

さらに数メートル歩くと、
レンガを積んでいる別の男がいた。
「なにをしているんですか」と聞くと、
男は答えた。

「俺はここに大聖堂を造っているんだ。
人々がつどい、悲しみをいやす大聖堂。
それも後世にまで残る大聖堂をね」

旅人は、感謝の言葉を
伝えて歩きはじめた。

3人のレンガ職人は、
全員おなじようにレンガを積んでいるのに、
まったく違う物語を生きています。


1人めの男は、
やりたくもないことを
やらなければいけない人生を。

2人めの男は、
家族のために働く人生を。

3人めの男は、
世の中に貢献する喜びを
存分に味わう人生を生きています。


自分にとっての真実は、
物語によって作られていることが
よくわかりますよね。


どんな物語を
採用しているかによって、
人生は喜びや生きがいに
満ちたものになったり、
色あせたものにもなる
ということです。


<いつのまにか信じている物語>


ここで、
アメリカの空軍大尉の話を紹介します。

心理学者のジュリアス・シーガルが
著書で紹介している話です。

彼は、
ベトナム戦争で10年ほど、
過酷な戦地において、
苦難に耐えて戦いました。

最後には敵の捕虜にもなりましたが、
強い精神力をもって生きのび、
無事、アメリカに生還することができました。

ところが、
彼はアメリカに帰ってきて、
解放された喜びを語った
その1ヶ月後に自殺をしてしまったんです。


彼が書いた遺書には、
「私の人生には価値がない」
という言葉がつづられていました。


彼がアメリカに帰ってきた当時、
アメリカには
「ベトナム戦争はナンセンスだ」
という世論が広がっていました。

そして、彼の妻や両親までもが、
戦争反対の活動家になっていたのです。

彼は、
「10年も自分を犠牲にして
戦ったことは無意味だったというのか。
この自分の人生には価値がない」
と思うに至ったわけです。

彼は
「国のために命をかけて戦うヒーロー」
という物語を強烈に信じることで、
さまざまな苦難に耐えて、
10年近くも生き抜きました。

ですが、国に帰ってきて、
戦争はナンセンスなもの
という世論の中で、
「国のために命をかけて戦うヒーロー」
という物語が通用しない
現実に直面したのです。



ここで新たな別の物語を
採用することができればよかったのですが、
彼は別の物語にチェンジすることが
できなかったわけです。

これまでの物語に固執した結果、
「自分のやっていることには価値がない」
と思ってしまったんですね。


物語っていうのは、
チェンジできるんです


自分の持つ物語は、
選べるし、作り直せます。


だけど、ほとんどの人が
このことに気づいていません。

そもそも、
「自分がどんな物語を信じているか」
というのを自覚している人が
ほとんどいない
んです。

なぜなら、
僕たちの人生を決めている物語は、
僕たちが気づかないうちに
(無意識のうちに)
採用してしまっているからなんです。

その物語は、
社会通念や常識、
あるいは親や家族との会話によって、
気がつかないうちに
植えつけられていたりするのです。


一般的に人は、
社会で共有されている常識や
社会通念をなんの疑いもなく信じこみ、
それを自分の物語の脚本にしてしまいます

日本の社会で常識とされていること。
学校社会で常識とされていること。
自分の家族の中で常識とされていること。
そういったものを
丸々鵜呑みにして信じこんでしまいます。


また、子どもは
自分の親が信じていることを
無条件に受けついで、
それを自分の物語の脚本にしてしまいます

こうやって出来あがって、
僕たちを支配するようになった物語のことを
「ドミナント・ストーリー」といいます。
ナラティヴ・セラピー(物語療法)という
心理療法のなかで使われる言葉です。


けれど、僕たちの
ドミナント・ストーリーを作っている、
社会通念や常識っていうのは、
時代や文化とともに変わるものですよね。

いま僕たちが当たり前だと
思っている常識や社会通念の一部は、
200~300年後の人たちが
歴史として学ぶときに、
「21世紀の日本社会には、
このような奇妙な社会通念が
まかり通っていた」といったかんじで、
この時代に固有の奇妙な風習
として学ばれるわけです。


人類の歴史において、
どの時代を切り取ってみても、
その時代には当たり前の常識だったことが、
のちに非常識に変わってしまうことが
いくつもあるんです。


ドミナント・ストーリーに
支配されつづけないためには、
あなたが何の疑いもなく
常識だと思っていることを、
疑ってみる視点を鍛える必要があります。

当たり前に真実だと
思っていることを、
疑って検証する作業が
必要になってくるんですね。


それをしなければ、
親との会話や社会通念によって
植えつけられた物語
(ドミナント・ストーリー)に
支配され続けることになってしまいます。


<当たり前を疑う>


僕たちの人生を支配する物語、
「ドミナント・ストーリー」を
疑って検証するにはどうすればいいのか。

まず、具体的な例を話します。

中学生のA男くんは、
学校の勉強が苦手で、
いつも悪い成績をとっています。

もしもA男くんが
「学校の勉強ができる子が、
すぐれた子である」
とか
「立派な大人になるためには、
学校の勉強が不可欠である」
とか
「将来幸せになるためには、
いい成績をとっていい大学に入り、
いい企業に就職する必要がある」
といった、かたよった信じこみを
持っていたらどうでしょう。

きっとA男くんは、
自分に自信を持てず
「こんな自分はダメだ」と、
劣等感を持つようになるでしょう。

彼にとっての自分の人生は、
「大切な課題をクリアできないまま
大人になっていくダメな人間」
の物語になってしまいかねません。

「学校の勉強ができる子が、すぐれている」

「立派な大人になるためには、
学校の勉強が不可欠である」

もしも彼がこの物語を
信じこむようになったとしたら、
それは、彼が所属する集団において、
そのような物語が信じられていたことになります。

彼が所属する集団というのは、
彼の家族だとか、
あるいは彼が通っている学校だとか、
あるいはこの日本社会などです。

A男くんが悩みの突破口を開くには、
まずあることに気づく必要があります。



なにに気づく必要があるのか。


それは、
自分のドミナント・ストーリー
に気づくことです。


「『学校の勉強ができる子が、
すぐれた子である』とか、
『立派な大人になるためには、
学校の勉強が不可欠だ』って、
自分の親がいつも言ってたのを、
僕はまるまる鵜呑みにしていたな」と、

自分が信じていた物語に
気づくことが大事なんです。

ドミナントストーリーに気づけば、
今度は、新しい物語を
創りだすことができます。

今までのかたよった
「ものの見かた」とは違う、
よりバランスの取れた
「ものの見かた」を見つけて、

そこから新しい物語を創るわけです。

A男くんが、新しい物語を
作りだしたケースを見てみましょう。

中学生のA男くんは、
学校の勉強が苦手で、
いつも悪い成績をとっています。

彼はこれまで、
「学校の勉強ができる子が、
すぐれた子である」
とか
「立派な大人になるためには、
学校の勉強が不可欠である」
とか
「将来幸せになるためには、
いい成績をとっていい大学に入り、
いい企業に就職する必要がある」
とか、そういったものの見かたを
採用していましたが、


この度、新たに、
「学校の勉強で
人間に優劣をつけるなんて、
ナンセンスだ」
とか
「立派な大人になるための道は、
無数にある」
とか
「そもそも立派な大人にならなくても、
幸せに生きていくことができる」
とか、
そういった柔軟なものの見かたを
見つけて、採用しました。

その結果、A男くんの人生は、
「大切な課題をクリアできないまま
大人になっていくダメな人間の物語」
から、
「自分の道を見つけだすまでの過程にある、
可能性を秘めた人間の物語」
に転換しました。


彼は劣等感から解放され、
自分に自信を持てるようになりました。

このような、
ドミナント・ストーリーに代わる
新たな物語のことを、
オルタナティブ・ストーリーといいます。

A男くんは、
オルタナティブ・ストーリーを
創り出したことにより、
自分の人生を再構築することができた
わけです。


物語が変わると、現実が変わるんですね。


<ドミナント・ストーリーの支配力>


ドミナント・ストーリーと
オルタナティブ・ストーリーについて学んだので、
ここで、ひとつ質問です。

1年のうち、
自ら命を絶つ中高校生の数が
1番多い日を知っていますか?


それは、9月1日です。

なぜなら、9月1日は、
多くの学校で夏休みが明け、
登校が始まる日だからです。


どうして、夏休み明けの
学校が始まる日に
自ら命を絶つ子が多いのか。

それは、
「学校に行くのがつらいのに、
学校に行かなきゃいけない」
と信じこんでいる子が
たくさんいるからですよね。

「学校は、行かねばならないところである」
と思い込んでいるのです。

いつの間にそんなことを
信じるようになったのでしょう。

たとえば、周りの人から、
「学校に行かないと、将来困るよ」
って言われてきた子も多いです。

だから、「学校に行かないと、
将来困ったことになる」と思い込んでいるのです。


ハッキリと言っておきますが、
それは間違った思いこみです


心理学の研究で、
「人が幸せな人生を実現できるかどうかは、
なにで決まるのか」ということは
解明されてきていて、
その結果わかったことがあります。

それは、
「将来、幸せな人生を実現できるかどうかは、
学校に行くかどうかとはまったく関係がない」
ということです。

一方、子どもが将来
幸せな人生を実現するためには、
「自分の気持ちを大切にできるようになること」
は必須です。

また、「自分で自分を守れるようになること」
も必須です。
これはつまり、
必要に応じて逃げることができるようになる」
ということでもあります。

子どもが将来幸せな人生を実現したいなら、
「自分の気持ちを大切にできるようになること」
「自分で自分を守れるようになること」
「自分を受け入れ、自己肯定感を高めていくこと」
は必須といえるほど重要なのですが、


学校に行くかどうかは、
まったく関係ないのです。


だけど、多くの子どもと多くの親が
「学校に行かないと将来困る」
と思いこんでしまっています。

親が、子どものためと思って、
ムリにでも学校に行かそうとするケースも
少なくないですよね。

それが子どもを追いこみ、
親自身もそれによってまた追いこまれていく、
ということが非常に多いです。

この「学校に行かないと将来困る」
という思いこみは、
高度経済成長時代に多くの人に信じられていた
「学歴神話」の影響があると思います。

学歴神話とは、
「高学歴を取って、一流企業に入れば安泰」
とか
「幸せな人生を実現するためには、学歴が必要」
といった物語です。

これを多くの人が信じていたわけです。


しかし、時代の流れとともに、
学歴神話はまったく根拠のない神話だ
ということが自明のものとなりましたね。

実際、一流企業に入っていても、
幸せじゃないと感じている人は無数にいます。

逆に、どんな仕事をしている人の中にも、
幸せな人生を実現している人はたくさんいます。

また、時代が変化してきて、
終身雇用制度や年功序列制
というものが崩れてきました。

さらに、人生100年時代に突入したことで、
「大企業に入ったら、
一生面倒をみてもらえる」という幻想は、
いまや誰も抱けなくなりました。


あと、もう一つ言っておくと、
世界中で進行しているAI革命もありますね。

今後、AI(人工知能)は
さらに進化していき、
ますます学歴というものが
意味を成さなくなっていくということを、
多くの有識者が語っていますね。

たとえば、
シンクタンク・ソフィアバンクの
代表である田坂広志さんは、
『教養を磨く』という著書の中で、


「学歴というのは、
知識を記憶する能力と、
論理的思考力の優れた人間が
獲得するものである。
そして、それらの能力は、
これからの時代、重視されなくなる。
なぜなら、それらの能力はすべて、
AIにとって代わられるからだ」


とおっしゃっています。

知識を記憶する能力と
論理的思考力において、
進化しつづけている
AIにかなうわけがありません。

つまり、
学歴というもので証明される力は、
今後ますます人間に
求められなくなる
わけです。

田坂さんは他にも、

「東大卒という資格を取れば、
実社会での活躍や出世が約束されている、
という東大神話。
その神話がまったくの
幻想にすぎないことは、
多くの東大卒の人材が、
骨身にしみて感じていることであろう」

と述べておられます。

そのような時代の変化を見つめるなら、
学歴というものにとらわれる必要は
すでになくなっているのですが、

学歴神話の影響を今も受けている人は
一定数いるんですね。


これが、物語のチカラです。
ドミナントストーリーの支配力なんです。

客観的に検証していけば、
ナンセンスだということに
気づきそうなことでも、
一度信じ込んでしまうと、
それが正しいことに思えてしまう。

そして、それが正しいということを
裏付けるようなことばかり見つけてきては、
それを証拠にして、
自分の信じ込みを強化してしまうんです。


<学校に行かないのは自分を守るチカラ>


話を、学校に行くのが
ツラい子の話に戻します。

実は、
「学校に行くのがツラいので、
学校に行かない」
ということができている子は、
生きるチカラがあります。

朝、起きることができない、とか、
ベッドから出ることができない、とかでも、
結果的に「学校に行かない」という
選択ができているということは、
「自分を守る」ことができているんです。


僕たち大人だって、
ストレスになるような場ってありますよね。
「あの集まりには行きたくないな」
と思うような場所です。

そんなとき、
「理由を作ってでも行かない人」と、
「どんなにイヤでも行くしかないと思って行く人」と、
どっちが健康でしょうか?


あるいは、職場の環境がひどいときに、
「転職活動をして転職する人」と
「最悪だと感じながら勤めつづける人」と、
どっちが自分を守るチカラを
持っている人でしょうか?

どちらの場合も、
後者の人のほうが心配になりますよね。


子どもでも同じです。


一番心配なのは、
「学校に行くのがツラいのに、
行くしかないと思って行っている子」
です。

そんな子は、
自分が信じている物語があるんです。
ドミナント・ストーリーに支配されているので、
ムリして行っているわけです。

その物語は、その子だけが
信じているわけではありません。

その子の親や親戚、
あるいは学校の先生も
信じている可能性があります。

どんなことを信じ込んでいて、
どんな物語に支配されているんでしょう?

ここで一つお伝えしたいことがあります。
自殺や自殺未遂をする人の多くが、
共通して持っている
と言われている思いこみがあります。


それは「逃げてはいけない」という思いこみです。


「逃げてはいけない」という思いこみは、
生きるチカラを奪います。

このような思い込みを持っていると、
この世界に逃げ場がなくなり、
追いこまれてしまいます。

そして、最後の手段として、
自殺にいたってしまうケースがあるわけです。


だから、
「逃げるチカラを養う」ことは
とっても大事です。


逃げるチカラは、生きるチカラなんです。


だから、学校に行くのが
つらい子どもたちに伝えたい。

学校に行くかどうか、
そんなことを命をかけてまで
葛藤する必要ないですよ。

学校は、
命をかけてまで行くとこじゃないよ。


<まとめ>


この機会に、
「自分がどんな物語を信じてきたか」
をぜひ振りかえってみてください


「自分はどんな物語を信じてるんだろう」

「社会常識や社会通念の影響で、
無批判に鵜呑みにしてしまった物語
があるとしたらどんな物語だろう」

「十分に根拠を検証することなく、
無意識のうちに取りいれた物語
があるとしたらどんなものだろうか」

それらを自分に問うてみてください。


そして、自分を生きづらくさせている物語や、
自分の自由を奪っている物語が見つかったら、
ぜひ新しい物語
「オルタナティブ・ストーリー」を創って、
新しい現実を作りだしていってくださいね。

<まとめ>

・意味づけによって生きる現実が変わる
・意味づけは、いつの間にか信じこんでしまった「ドミナント・ストーリー」に影響されている
・ドミナント・ストーリーを疑い検証する必要がある
・より柔軟な新しい物語「オルタナティブ・ストーリー」を創ろう
・「学歴神話」というドミナントストーリーの支配力
・逃げるチカラは生きるチカラ

僕のnoteでは、読めば読むほど
「自己肯定感が高まり」
「人間理解が深まり」
「人間力が養われる」
コンテンツをお届けしています。

これからも確実に自己実現へ向けて進みたい方、
ぜひフォローをして
たくさんのヒントを受け取ってくださいね!

ではまた、次回の更新をお楽しみに!



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