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 日本にいる時は、森林(bos)に囲まれた自然豊かな公園は近くにありませんでした。しかし、オランダに来てから、自転車でいける範囲であちこちに自然に囲まれた公園があり、よく家族で遊びに出かけます。

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 私の娘は、森の中に入った途端、何かのスイッチが入ります。
 そして、森の中の世界を特別な世界として、想像の世界の物語が始まるのです。

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 木を自分たちの家に見立てて生活の真似をしたり、落ち葉や枝を拾ってきては何かの道具として使い、でこぼこの道や倒木の上を歩きながら、想像力を駆使して自分の世界を創り出しています。
 友達と遊ぶ時は、自分は今どういう世界にいるのか、自分たちはどんな人物なのか、遊ぶために何を準備するのかなど、友達とあらゆることを真剣に話し合っています。

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 森の中では、遊び方が豊富です。
 寒い季節に倒木をめくると虫が密集して冬眠しているようすを見かけたり、凍った水たまりの氷の厚さを比べて割ってみたり、水たまりに木の棒を突っ込んで水の動きを見てみたり、いろんな観察ができます。

 遊ぶ方法や遊びの趣向などは子どもによってそれぞれですが、子どもは自然の中だといきいき遊んでいるように私は感じます。
 それは自然がくれるパワーなのかも知れません。私も森林に囲まれている時はリラックスした気分になります。

 私も子どもたちが楽しそうに遊んでいる様子を見ながら、日本語の学びも自然な形でできるのならば、きっと楽しく学べるだろうなと考えたりしています。

すべてが便利である必要はない

 私の娘は「ごっこ遊び」が大好きで、自分で場面を設定したりするのが好きなようです。
 家にいる時も、決まって「ごっこ遊び」をしています。最近は「学校ごっこ」が流行っています。部屋の中で遊ぶのも楽しそうなのですが、森林の中だと遊びへの集中力が格段に上がります。

 自然の中の方が、彼女の想像が無限大に広がるようで、森の中に散歩をしにいくと、せっせせっせと木を運んだり、石をたくさん持ってきたり大忙しです。
 また、自然の中にはいろんなものがあるので、それをどのように見立てて遊ぼうかということにわくわくしているのかもしれません。

 「不便益」という言葉にあるように、不便だからこそ発想力を刺激しているのだと思います。
 例えば「ごっこ遊び」をする時、食べ物の形をおもちゃやキッチンセットみたいなものがあれば、すんなり遊び始められます。
 しかし、それがなければ、自然の中にあるものから自分の想像力を駆使しなければなりませんし、また友達とも自分のイメージを共有しなければなりません。
 娘が他の友達と遊ぶ時は、普段からことばのやりとりがとても多いです。さらに自然の中だと、打ち合わせすべきことが増えます。
 時には自分の提案が通らなかったり、上手く伝えられなかったりという経験をするかもしれません。しかし、自分の考えをうまく表現しようとしたり、友達といろんなことを積極的に話し合おうとすることは、とても価値のあることのように思います。
 自然をいっぱい感じながら、子どもたちにとってみればただ遊んでいるだけなのですが、実はとても大切なことを学んでいるように見えるのです。

 また、そこで得たものは、子どもの自信や姿勢の変化となって現れると思います。
 そういった経験を通して、学校など社会で何かを決める時には、「当事者」という意識が芽生えたりもするのかもしれません。

 私も子どもたちの成長に負けないように、日本語のより良い学びを提供するため、もっと自己研鑽に励み、オランダに来て感じたことを活かした実践をしたいと思います。

最後でお読みいただきありがとうございました。

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