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【すべて世は事も無し】オオイヌノフグリ

部屋の整理をしていたら、1冊のノートが出てきました。
ノートには「天声人語」の書き写しがビッシリと……。

昨年(2020年)の今頃、下の子どもの休校で仕事のお休みを頂いていたときに、毎日天声人語の書き写しをしていたのでした。

子どもは、学校の勉強の代わりに山のような家庭学習をこなさなければならず、時間割を作って、午前中は勉強の時間としていました。
授業動画を見せたり、習っていない内容のプリントを解説したりと、私は「にわか先生」に……。そして勉強する子どもの横で、「私も勉強するからね! 一緒に頑張ろう!」と、せっせこ天声人語を写していました。

そのノートをパラパラとめくってみました。昨年の今日、4/15の天声人語はどんな内容だったのかな?
すると、こんなことが書かれていました。

……この春になって名前と姿が一致した花が、青くて小さなオオイヌノフグリである。こんな句とも出会った。<犬ふぐりへは小さき風小さき日>後藤比奈夫。大きな風であっても、小さな野草には小さな風が吹いているように見える。

筆者はコロナ禍で趣味の剣道ができなくなり、運動はもっぱらウォーキングに。毎日歩いていると、道端の野草と”顔なじみ”になってくる……というような内容でした。
天声人語では時々植物や自然の話題が取り上げられていて、そんな日は、書き写すのが楽しかったな、と思い出しました。
後藤比奈夫さんの句が素敵です。小さな花が感じているのは、小さな風なんですね。

そしてまた、オオイヌノフグリが咲く季節がやってきました。
今は天声人語どころか、新聞を読む時間もなかなか取れないような、バタバタした日々です。
でも、1年たっても、社会の状況はあまり変わっていないですね。

会いたい人にも会えないまま、一日一日が過ぎていく。そんなときにも、終わりは必ず来る。

と、この日の天声人語は結ばれていたのですが、まさか一年後までこんな状況が続いているとは、筆者の方も思っていなかったのではないでしょうか。

ため息をつきながら庭に出て、オオイヌノフグリを眺めました。


オオイヌノフグリは一日花だという説と、数日間咲くという説があるようなのですが、ためしにしるしをつけて観察してみようかなと思いました。

いずれにしても、オオイヌノフグリの一つの花が開いている期間は短いですが、虫がやってこなければ、夕方花を閉じるときに自家受粉して、タネをつくることができます。(参考:日本植物学会「みんなのひろば」)
植物は、あせってジタバタすることなく、状況に合わせて淡々と生き延びているんだな……。
なんて思いながら、光を浴びて輝く青い花を眺めていたら、「すべて世は事も無し」と思えてきました。
なんの言葉だっけ? 調べてみたら、ロバート・ブラウニングの詩の中の一節だったのですね。

時は春、
日は朝、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

じたばたしても仕方ない。風にちぎれることもなく、明るく健気に咲く、小さな花たちを見ていると、そんな風に思えてくるから不思議です。
まぁとりあえず、明日も頑張ってみようかなと思えた一日でした。

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