見出し画像

給食と天使がくれた元気

気付けば上京して29年経つ。28年前にプロミュージシャンとしてデビューした頃、牛丼屋もマックもファミレスもこんなになかった。コンビニはまだ24時間営業ではなかったしインターネットも普及していなかった。そもそも携帯電話すら一般的ではなかった。
あれから29年。時代が目まぐるしく変わっていく中、現在も醜態を晒しながら細々と活動を続けている。

僕は1972年(昭和47年)生まれ。3月で51歳になった。愛知県の田舎で育ったので幼少期はまだカマドや火鉢、掘りゴタツが現役だった。初任給2万円の時代。若くして結婚した両親は「家を建てる」という目標を掲げ倹約生活をしていたので衣食住を切り詰めていたため、外食とは無縁であった。

とは言え喫茶店王国愛知県なので喫茶店でサンドイッチやナポリタンくらいは食べたことはあるが、そんな事すら年に数回の話で、それ以外の外食の記憶はほとんどない。そもそも喫茶店以外の飲食店がほとんどないのだから。たまに法事や冠婚葬祭で親せきの集まりがあると宴会座敷のある割烹料理屋に行って会席料理を食べるくらい特別な事だった。しかし、そんなものは子供心に全く嬉しくなかったし、ほとんど手を付けなかった。

昭和50年代初頭、通い始めた保育園では昼食に食パンと脱脂粉乳が供されていたが、あのカスッカスの食パンと芋飴で作った無果汁のイチゴジャム、ヤカンから注ぐ生ぬるい脱脂粉乳がなぜか大好きだった。決して美味しくはないが家では食べられない味。今思うとあれが僕にとっての外食であり、楽しみだったと思う。

小学生になるとその思いは顕著になった。給食にはまだ米食が導入されておらず、鯨肉も当たり前に献立に並ぶ。ひじきの煮物や鯨肉の大和煮を先割れスプーンですくい、食パンと食べる。そんな変な時代だったが、僕は給食が大好きだった。

4時間目の授業が始まる頃、給食センターから運ばれてくる給食のにおい。腹ペコの少年にとって給食のにおいは苦行か拷問であり、ワクワクの増幅装置でもあったし、カレーや煮込みハンバーグだったときのテンションの上がり方は忘れようもない。あのワクワクは“外食”に対する憧れの様なものもあったのだと思う。

“給食当番”により配膳された給食は本当に美味しく楽しいものだったが、子供用に味付けされたあの“給食の味”は家庭では再現できないのではないだろうか?
僕の母親の料理は父親がまだ20代だったのもあって味付けが濃く、しょっぱかったのもあって、給食の「辛くないカレー」やしょっぱくない煮物や炒め物がとても美味しく感じた。

しかし、一度大好物であった給食の“ひじきの煮物”をこっそりタッパーに入れ、家に持って帰って食べたのだが全然美味しくなかったし“ソフトめん”も持って帰ったことあるけど家で食べてもちっとも美味しくなかったのは何でだろう?

中学生になると給食の献立も量も増え、余ることも増えたので僕は一人2枚であるはずの食パンは6枚食べ、牛乳は4本飲んでいた。空手とバレーボールをやっていた育ち盛りの僕にとって給食は毎日の「元気の源」と言っても過言ではなかった。
その中でもさらに元気をくれるメニューというものがある。それが「おたのしみ献立」だ。
教室に掲示されている献立表には学期末や年度末の“給食最後の日”に「おたのしみ献立」としか書かれていない日があった。何が出るかは当日まで分からないが、子供たちに人気のメニューだけが並ぶ、お子様ランチの様なまさに“おたのしみ献立”だった。

カレーライスやミートソースにソフトめん、煮込みハンバーグを食パンに挟んで食べる“ハンバーガー”など、人気メニューが供されるが、中でも子供たちのお楽しみはデザートだった。当時の給食で出る甘いものと言えばゲル状の“イチゴジャム”か、やたら苦みのある“マーマレード”、もしくは“冷凍みかん”か“フルーツみつ豆”くらいのものだったが、この時ばかりは“アイスクリーム”や生クリームを使った“ショートケーキ”が出た。
カップアイスが50円の時代、子供のお小遣いで買うには中々ハードルが高く、ケーキはバタークリームが主流だったこともあり、「おたのしみ献立」は本当に楽しみだった。
もちろん、乳脂肪分が限界まで少ないアイスクリームだったし、生クリームは極薄に塗られ、イチゴではなく缶詰のミカンが乗っているショートケーキだったが、それでも僕には最高に美味しいデザートだった。
この「おたのしみ献立」のデザートには忘れられない思い出がある。

中学3年の二学期最後の給食の日。「おたのしみ献立」のデザートに僕の地元の銘菓「あんまき」が出た。簡単に言うと“どら焼き”を平たくして筒状にしたものだ。しかも、給食で出たのはこの“あんまき”を天ぷらにした「天ぷらあんまき」だ。僕はこれが大好きだったので、給食で出た時は嬉しくて嬉しくて興奮が止まらなかった。

人気メニューをあっという間に平らげ、本日のメインイベント「天ぷらあんまき」を箸で持ち上げ口に運び…
「あ゛あ゛~っ゛!」
なんと、口に入る寸前に床に落としてしまったのだ。誰も見ていなければ平然と拾い上げて食べている所だが、いかんせんここは教室。大人気の「天ぷらあんまき」を落としてしまった失態は全員に目撃されている。もし、ここでウッカリ食べてしまえばその後どんなあだ名を付けられるか分からない。それでも食べたい。
食べるか食べざるか…僕の挙動に注目が集まる中、
「これあげるよ」
天使の声が聞こえた。

クラスのマドンナ「Nさん」だった。
美人で明るく活発かつ、学校一の才女であり誰からも好かれる彼女に僕も密かに思いを寄せていたが、その彼女も大好きであろう「天ぷらあんまき」を僕に差し出してくれたことに驚きを隠せなかった。

遠慮という言葉を知らないクソガキの僕は躊躇なく頂き、油をしっかり吸った衣と粒あんのマリアージュを楽しみ、牛乳で流し込んだ。
今にして思えば、彼女は裕福な家庭だったので天ぷらあんまきに僕ほどの思い入れはなかったのだろうが、言い様のない自分に対する怒りと悲しみのどん底から救ってくれたのは紛れもなく彼女の優しさと美味しい天ぷらあんまきだった。

甘いものもコンビニで24時間安く買え、外食も特別な事ではなくなり、給食の献立も多様化された現代において給食の持つ役割というものは僕の時代とは大きく違うものになっていると思う。
しかし、今でも僕にとっての給食は“外食”であり“元気をくれた食事”であり“たくさんの思い出をくれた食事”なのだ。





みなさんのお気持ちは毛玉と俺の健全な育成のために使われます。