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才能がはじまる

間違いなく、飽き性だ。

気になったことはやってみたくなる。
何気なく3ヶ月間ぐらいちゃんと続く
また気になるものが現れ、別のものを始める

こんなことを今までの人生繰り返してきた。
パッと思いつくものでもこれぐらい試してきた。

・カメラ
・テニス
・ロードバイク
・バイク
・MT車
・ブログ
・プログラミング
・グラフィックレコーディング
・動画編集
・筋トレ
・エッセイ執筆
・読書
・料理
・深夜ラジオを聴く
・お金の勉強
・ギター
・スノーボード

趣味ならたくさんあるけど、特技は全く無い。

新しいことを始めるも、少し上達したぐらいで
周りと比較して自信がなくなっていく。
ちょっと嗜む趣味にはなるが
人より優れる特技にはならない。

長い間、その繰り返しだ。

友人Aにはこう言われた。

「何か1つ絞れば? 中途半端じゃない?」

「…わかってる」

そうした方が効率が良いことは分かるが
私には難しかった。
どうしたって
憧れてしまうものが複数できてしまう。

・エンジニアとして、自分だけのアプリを作る
・エッセイ本を出す
・ラジオを始め、電波に乗る

しかし、
どれだけ甘くみても何一つ才能はないだろう。

エンジニアの勉強は分からないことばかり。
文章の書き方は自己流で面白くない。
人と話していても面白い会話なんてできたことがない。

「なんて世の中は才能で溢れているんだろう」

「…ちょっと待てよ? 才能ってなんだ?」

素質があるとか、何も考えずにできるとか、
独特だとか、早く走れるとか、要領が良いとか

才能ってかなり曖昧な言葉で抽象的じゃないか?

ネットやnoteを調べた結果、
この言葉たちがスッと胸に入った。
(引用させていただきます)

才能っていうのは『資質』ではなく『状態』です。

自分が持っている特性のひとつではなく、周りが『才能がある』と認めたら才能があるという事になる、つまりは『称号』とか『レッテル』なんです。
〜〜〜(中略)
でもそれは、特別なギフトがあったからじゃなく、「才能があると言われるような条件をたまたま満たしてただけ」だったからなんですよね。

https://note.com/jon_yakitory/n/n2301c4bac2b8

『才能がある』と言ってくれた人の数×その人の影響力で、
才能の大きさは決まるんです。

つまり、僕らが何となくイメージしている
『授かりもの』の才能なんて
誰も持ってない。
僕らはそもそも才能がないんです。

ただ努力していたり、好きで突き詰めてたら、
たまたま『才能がある』と言われるだけなんです。
〜〜〜(中略)
ただただ、自分の好きなことに没頭し、好きを突き詰めたらそれがいつの日か僕らの才能になる。

https://note.com/jon_yakitory/n/n2301c4bac2b8

天才とは
「世の中と自分がガチっとハマってる状態」。

そうじゃない多くの人は、自分と環境がマッチしてないだけだったりするんですよね。

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才能や天才という言葉は、
時間・環境によって変化する。

才能の大きさ = 『才能がある』と言ってくれた人の数×その人の影響力

まるで世紀の大発明をした気分だ。

星野源さんはエッセイを始めた時は
「才能がない」と多くの人から言われた。

才能があるからやるのではなく、
才能がないからやる、
という選択肢があってもいいじゃないか。

そう思います。
いつか、才能のないものが、
面白いものを創り出せたら、
そうなったら、才能のない、俺の勝ちだ  
(星野源)

働く男

才能がないのは誰にも見つかっていない状態。
自分の好きを突き詰めて、
それが誰かに見つかったら才能は突然現れる。

・エンジニアとして、自分だけのアプリを作る
・エッセイ本を出す
・ラジオを始め、電波に乗る

「なぁ自分よ。」
「才能なんてないと言って突き詰めることをやめてしまったのか?」

才能は自分では分からない。
他人の評価でしかない「才能がある」に
悩んでる時間はないし
何かを諦める理由にはならない。

自分が持つ好きなことを信じよう。

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