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身をもって愛を込めて、歳を重ねる。

 50歳になった時、何だか心許ない気持ちになって驚いた。
 若いとは毛頭思っていないが、歳をとっている感覚が薄かった。人前では年相応の振る舞いを心掛けているつもりだけれど、普段の私は、年齢に対して無自覚だ。
 年々歳々、顔のあちこちにシミやシワは刻まれているけれど、比例して視力も低下しているからあまり見えていない。

 人が自身の加齢を意識するのはどんな時だろう。
 私は漫画を読んでいても映画を見ていても、冒頭から何で泣いてるのと思われるところで周囲が引くほど泣いていることが多々ある。同世代の知人は「歳をとると涙もろくなるからね」というけれど、子供の頃からこの手のことに関しては涙もろかった。太りやすいのだって、夜うまく眠れないのだって、更年期のせいではなく、思春期からの変わらない体質や習性だ。

 これまで、年齢を気にせずに生きてこられる環境に身を置いてきたのも大きい。仕事は、20年以上もフリーランスの物書きだし、雑誌や書籍を作る現場には、パワフルな働く女性たちがいつもセンターにいた。あまり年齢のことは話題にならないし、ハラスメントを受けることもほぼなかったから。 

 その場所で時を忘れて暮らしていたのだ。浦島太郎というよりは、竜宮城で舞い踊っていた鯛やひらめのようなものかもしれない。

 そんな私が年齢をこれまでよりも強く意識したのが、昨年のこと。
 40歳と50歳では見える景色が違った。どう違うのかというと、それまでは地続きの草原を歩いていたのに、急に海へと出てきたような感覚。肌身で感じることが異なっている。この先は、これまでとは異なる筋力や術を身につけて進まなければならないのではないかと感じた。

 まずは何より体の変化だ。大きな病を患ったわけでもないし、更年期症状が重いわけでもない。40を過ぎた頃から体力は少しづつ落ちているけれど、体調は下りの階段というよりは、常に揺れている。私のカラダは、波のように、凪いだり、荒れたり、流されて遠くへ行ったり、今ここへと戻ってきたりしている。不思議な感覚。

 今だって、大好きなお肉も300gは食べられるし、お酒もたくさん飲める。ロングランで飲める。でも、その場は良くとも明日の私が許さない。もう、体が欲しがっていない。夜うまく眠れないことも、翌日に大きく響くようになってきた。起きるのが億劫な朝や、起きても集中力のスイッチが容易には入らないことも少なからずある。

変化する自分との付き合い方


 私の生は、体に支配されている。
 
 心や頭が追いつかなくても、体は前に進んでいく。半世紀生きて、そんな当たり前のことを体感して目が覚めた思いがした。
 命には限りがある。幼少期から早々に家族のメンバーを定期的に病で亡くしてきた身としては、その都度、思い知らされてきた現実。だけど、自分の体で感じる生の限り、これは味が全く違う。

 とはいえ、今の私は歳をとるのが嫌だとか怖いというわけではない。 

 かつて、家族を亡くした時は、死も老いも眠れなくなるほど怖いものに感じられた。今思えば、家族とはいえ、他人事だったから死や老いが得体の知れない怪物のように思えたのだろう。

 こうして死や老いを自分ごととして捉え、切に向き合い始めてみれば、むしろ怖さは薄れた。何事も自分ごととして手元に引き寄せて、じっくり観察すると見方が変わる。現実的な対処法や楽しみ方すら浮かんでくるものである。

 今のところ、加齢における自分の微細な変化が面白い、体とともに心が変化していくことが面白い。
 体力は落ちたが、その分、心の扱い方が上手くなった。気持ちの抜きどころがわかる。相変わらず涙もろく、心を揺さぶられる振り幅は変わらずとも、その振り子は自分の意思で鎮められる。感情にあまり引きずられることなく、翌朝を迎えられるようになった。私にとっては画期的なことである。

 他にもさまざまな変化が現在進行形で起こっていて、それを自覚して味わっている最中だ。冷静につぶさに自らの心身を観察して、ゆっくりと思考や生活をギアチェンジしていくことは、若い頃には持ちえなかった健やかな自己愛だとも思う。

 もちろん、加齢はこれからが本番だ。
 
 翌朝どころか、一日中、起き上がれないほど疲れている日が増えたら? 顔の中央あたりに、より明らかなるシワが刻まれ始めたら? 私の心はどんな風に動くんだろう。不安になったり、自暴自棄になることもあるかもしれない。

 それでも雨の日も風の日も、経験値を持って手に入れた観察眼や自己愛を糧にして、その時々の新しい自分を可愛がってあげたいと思う。

身軽になればいいんじゃない?


 加齢においては、自分と向き合うことも大切だけど、この世にはすでに加齢の達人たる先輩方が数多いる。

「素敵に歳を重ねるには?」

 人物インタビューを生業の1つとしてきた私は、女性誌やカルチャー誌にて、そんなインタビューを数多行ってきた。プライベートでも折りに触れ、先輩方にこの設問を重ねてきた。その時々、もらった知恵や言葉の数々が、時を超えて、今の私により深く染み込んでくる。

 1つ分かっていることは、加齢の楽しみ方や処方箋は私が思う以上に、たくさんあるということ。年々歳々、身軽になっておくことは、多くの先輩が教えてくれた加齢における大切なキーワードだ。

 『有閑倶楽部』や『プライド!』などの数多のヒットで知られ、“少女漫画界のレジェンド”と呼ばれる 一条ゆかり先生は、60代半ばになって人間関係と暮らしをミニマムに変えた。
 私が出会った頃の一条先生は、50代半ば。港区と郊外の二拠点生活を送り、締め切りが終わると夜な夜な街に繰り出して華やかな社交を楽しんでいた。年齢より若く……というよりは、年齢を超えたゴージャスさを持ち、珍種の花のような芳しさを漂わせていていた。愛とユーモアがあり気風のいい人柄で、いつも多くの人に慕われ、囲まれていた。

 エネルギッシュに生を謳歌していた先生は、ある時、「そういう生活はもういいかな」と言って、それまでより小さな家に住み替えて、「パーティーより家庭菜園が楽しいから」とそれまでのライフスタイルや人間関係をさらりと変えた。

 ヘアメイクアーティスト界を長らく牽引してきた、藤原美智子さんもやはり、その時々、不要なものを捨てて身軽になってきた方だ。
 ヘアメイクアーティストとしての活動も、それまで経営してきた会社も、60代半ばにして手放した。その理由を尋ねると、「ひらめき! もう良いかなと思って」と。さしたるきっかけがあるわけでもなく、自分の中に生まれた違和感を見逃さなかった結果、手放すこと、変化することを選んだのだという。
 
 今は、ビューティーライフスタイルデザイナーとして、女性のライフスタイルや生き方をオーガナイズする仕事に注力しながら、60歳を過ぎて始めたバレエに夢中なのだと少女のような笑顔で話す。

 万物は流転する。

 体と心が変化し続ける以上、思考もライフスタイルも仕事のあり方も全ては変化することは自然であり必然なのだと、先行く方々の背中を見て思う。
 そして、人生も半ばを通り過ぎたなら、限られた生を、残された時間を色濃く生きるためにも、より軽やかに変わり続けること。そのためには、不要なものは手放して身軽になるのが得策なのだろう。

 私も加齢するほど、持ち物も仕事も感情も思考も習慣も人間関係も、今の自分にとって大切なものを絞りこみ、それ以外は、手放していこうと改めて。
 近頃、モノの片付けを進めていることは前回語ったが、すでに手放しているものは多々ある。たとえば、メイクは限りなく薄づきでポイントだけ絞るようにしているし、人に会うこともそれほど頻繁ではなくなった。この先は、体重にとらわれるマインドを手放しながら体脂肪を絞っていきたいし、クローゼットもより大好きなもので埋めていこう。
 何かを手放すことは、自分に還ることであり、眠っていた宝物を掘り起こすための作業なのだと今なら心の深部で理解できる。

記憶は美しく書き換えればいい

 手放すことと同様に大切なのは、忘れることだと先人たちは語る。人生において忘れたくないことも多々あるけれど、忘れたいことや忘れてもいいことは確かにある。

 キョンキョン(小泉今日子さん)は、「50過ぎたら、嫌な思い出は忘れちゃっていいと思う。自分の中で都合よく記憶を書き換えちゃってもいい。だって、ここまで頑張って生きてきたんだもん。自分で自分を労ってあげないと」と。

 達観した思考をチャーミングな笑顔と口調で語る。
 たしかに、自分なりに酸いも甘いも味わって、散々、思考を巡らせて、もがきながら進んできたのだ。もう十分だ。自分を苦しめる思考や思い出ならば、忘れるくらいでちょうどいい。繰り返すが、命には限りがあるのだから。

 そう考えると、年齢もね……普段は忘れて生きているという私の無自覚な策も、なかなか得策なのかもしれないなぁ。

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