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社会人として

今年の二月を最後に、今まで書くことをサボっていました。理由は特になくて、なんとなく「書く」ことから離れてしまった。そんな感じです。


学生時代に書いていた記事を改めて見返すと、めいいっぱい力んで力んで、なんとかいいこと言ってやろうとか、新しい切り口見つけてやろうという気合が伝わってきます。

気合十分はいいことですが、なーんか読みにくい。文章がスッと頭に入って来ない。偉そうで賢そうな文体で、これじゃあ読んでもらえないよね、共感してもらえないよね、と思います。


だから、「だ・である」をやめて「です・ます」で書きます。こっちの方が、ゆるっと書ける気がするので。


書くことから離れてはや4か月。1年の3分の1が過ぎてしまいました。僕は社会人になりました。

リモートではありますが、毎日研修を受け、それっぽい社会人生活を送っています。今の生活にもすっかり慣れてきて、日々淡々と研修を受けているんですが、4月1日入社当日に書いたメモが不意に見つかり、こんなことを思ったんだなと(書いたことすら完全に忘れていました)びっくりしました。

”4/1 初出社

コロナの影響で在宅ワーク。

全国的に同じ状況の人が相当数いるだろう。

社会人になったという実感はまだない。にもかかわらず、だからこそというべきか、「社会人として」という言葉をこれから呪文のように何回も浴びせられるのだろう。僕はそれにどれだけ抗えるだろうか。

彼ら(上司)の言う「社会人として」は、彼らの思う理想像を押し付けるための体のいい決まり文句でしかないのだ。

zoomでの研修は超ムズイ”


当たり前ですが、自分が書いただけあって、共感しちゃいますね。リモートワークってめちゃくちゃ意思の疎通が大変だし、「社会人として」って言葉は大嫌いです。

本当、「社会人として」って何なんですかね。

社会に出てそこそこ年数を重ねた人はよく言いますけど、そもそも社会人って何ですか。

一般的には学生期間を終えて働き始めた人を指す言葉かなと思いますが、それだと労働者の方が的確ですよね。

働いているかどうかだけではなくて、社会に何かしらの影響を与えているかという要素も含まれている気がします。どちらかというと後者の方が社会人という言葉の定義に強く関与しているように思えますね。

じゃあ学生は労働者に比べて社会に影響を与えないのか、社会に対する働きかけが少ないのかと言われると、そうとも言い切れないでしょう。

思うに、社会人の定義を強く意識してこの言葉を使ってる人なんていないんですよ。


社会人歴の長い人が「社会人として恥ずかしくない行動を」とか、「社会人として良識のある」とか言い出す時って、ルールや規範から逸脱するなよと念を押すときなんです。

彼らはあなたが「社会人」という肩書にふさわしいかどうかは全く考えていません。彼らが考えていることは、「自分の規範を相手に無理やり押し付けてやろう」これだけです。


社会人という言葉の定義

社会人はこうあるべきという哲学

理想の社会

あなたの将来

これらは全く考慮されていません。ただただ、あなたを、彼らのルールの中に納め、ルールについて詳しく説明することもなしに、ルールを破ってはいけないと脅しかけているだけです。


そして、規範やモラルの整合性については思考停止しているので、社会人1年目の人間が唖然としてしまうよなマナーを押し付けてしまうことがあるのです。


最悪なことに、「社会人」の押し付けは何度も何度も繰り返されます。

最初は反発していた若い世代も、抗うことに疲れてしまい、何が正しいか・どうあるべきかを考えることをやめてしまうんです。そして、「社会人」を次の世代に押し付けるようになります。

自分は嫌だったけどそうしてきた。だからお前たちもそうするべきだ。

これは「社会人」をよく口にする人間の論理です。客観的に見れば暴論ですが、彼らからすれば真っ当なことを言っているように思えるようです。


僕のメモからは、そんな思考停止に抗うという意志が感じられました。今のところ、その思いは持ち続けられています。

いつまでそう思っていられるかは分かりませんが。



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