呪文

これは僕が社会人になる前の話。
僕は、内定者合宿を断った。
内定者合宿とは何かというと、入社直前の3月、大学最後の長期休暇期間に、弊社の内定者が集められ、何泊何日か寝食を共にしながら、課題に取り組むというもの(らしい)。
僕は主に給料が出ないことを理由にして不参加を表明した。
合宿を企画した会社の人たちに思うところは多々あるけれど、今回の論点はそこではない。

一番モヤモヤしたのは、僕が断ったと知った時の周りの人達の反応だった。
僕が内定者合宿を断ったと言った時、みんな参加させられるのだから行くべきでしょ、という趣旨のことを言われることが大半だった。中には冗談めかして「会社で嫌われちゃったらいいのに」とまで言う猛者もいた。正直、今でも根に持っている。

「みんな参加させられるんだから」論は、意見というよりもはや病気に近いと思っている。
させられる、のニュアンスからもわかる通り、この発言の根底には「他の人が苦労している中お前だけがそれを逃れるなんてありえない」という考えがあり、言い換えれば「みんなと一緒に不幸になろうね」でしかない。呪いの呪文だと思う。
良からぬことが起こるのを分かっていて、みんなでそれを回避すればいい。だけど彼らはなぜか、みんなで不幸になることを選択する。

この呪文は形を変えてありとあらゆる場所に現れる。
「みんな我慢してるんだから」
「アフリカの子供たちは満足なご飯が食べられないのに」
「勉強だと思いなさい」

この呪文の一番タチが悪いところは、あなたのためを思っている素振りとともに発せられることだ。
でも落ち着いて考えれば、あなたのためを思って不幸に陥れると言うのは矛盾している。
十中八九、自分が気に入らないから言っているだけなのだ。
この呪文の使い手は、「思いやり」が目に見えないことを良いことに、あたかもそこに「思いやり」があるように振る舞い、足を引っ張ることで満足する。

その人が自分に真摯に向き合ってくれているかどうかは、目に見えない思いやりではなく、実際の行動でしか判断できないということを、僕は学んだ。

他人のことを思いやったり、真剣に考えたりすることは、かなりのカロリーを必要とする。本気であればあるほど何と言葉をかけたらいいかわからなくなるし、どう振舞っても傷つけてしまうような気がするものだ。
だから、基本的に人は他人の人生をどうでもいいと思っているし、それなのに自分のことを本気で気にかけてくれる存在は貴重なのだ。

特に付き合いの深くない人間があなたのを思っている風に振舞っている時は要注意だと思う。そのアドバイスは、意見は、他人をコントロールしたい、であったり他人が楽をすることが気に食わない、といった歪んだ感情の現れかもしれない。

特に後者の、他人が楽をすることが気に食わないと本気で思っている人間は多いような気がする。僕も昔はそうだった。
目標を達成するには、苦しいことも我慢しないといけないかもしれないが、僕はどちらかと言うと苦しいことを我慢すれば目標が達成できると本気で信じていた。
今思えば完全に呪文に取り憑かれていた。
呪文が解けた時の衝撃は僕の考え方を180度変えてくれた。

今の僕は、本気で楽をしたいと思っている。
仕事をせずに生活できるようになりたい。
努力せずに賞を受賞してちやほやされたい。
道ゆく老人を助けたら身寄りのない大金持ちで、多額の相続を受けたい。
本気で僕はそう思っている。

呪文が解けて、みんなでヘラヘラ生きていけたらいいなと、そう思っている。

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