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理想と現実、偶像と虚構の世界

この人は本物だ、この人は大丈夫。いいえ、それは誤りなのです。

偶像崇拝、って聞いたことありますか?

では、こう考えてみてください。オンラインサロンなどで人を募り、講演やレクリエーション的なことをしている団体があるとしましょう。その方々は、きっと今後の目標のために活動をしていると思います。

そのための目的として、支援者を募るための謳い文句、これをビジネスモデルやマネタイズといいます。ビジネスモデルによくある形として、みんなで心惹かれることをして、心響かせあって、幸せになろう!

きっと、こうした触れ込みを一度や二度は聞いたことがあると思います。

嘘なのか? というとそうでもありません。

彼らとて、自分がどうすればいいかなんてわかってないのです。だからこそ、とにかく思いついたことをやっているだけ。ですから、誰が本物で偽物でとか、詐欺かそうでないかとか、ある意味どうでもいいのです(悪質なものはれっきとした犯罪ですが)

良いも悪いも何も、みんなそれぞれ一生懸命。
誰もが守りたいものがある、ただそれだけ。

ここでサークル活動のようなことをしている人たちのことを、否定するために書いているわけではありません。

人間は生きる上で必ず衣食住が必要となります。そうした活動の中心となっている人たちも例外ではありません。夢や目標のために、目的や手段として、どのようなビジネスモデルであれ、そういった活動を行っているのだということ。

その人たちがどんなに著名で、立派な人たちであれ、その活動がどんなに素晴らしかったとしても、例えば弱い立場の人のためとか、子供たちの未来のためとか。

本当に申し訳ないのですが、その根底には欲望があるだけです。そして、きっとその方々はこう言うでしょう。

「国や政治家がやらないから」と。

ちょっと待ってください。本当にそうでしょうか?

そもそも国ができないことを、数十人程度(仮に数百人でも)の団体が行えるとは思えません。

我が国の令和6年度(2024年度)の一般会計の総額は112兆5717億円。

予算の全体像は(歳入と歳出) 令和6年度(2024年度)予算|NHK

大きすぎてピンと来ないほどの途方もないほどの予算、この予算の範囲で行えない事ということは、余程の内容であるといえます。

私たちが気付く程度のアイデアを国の要職の人たち(数百万人)が気付かないはずは無いし、方々から声が上がり、何かしらの対策を取っている最中(すでに取り終わっている)であると考えるほうが自然。

仮に自分たちにできることといえば、せいぜいどこかに一日会場を借りて、ペットボトルのお茶とお尻が痛くなるパイプ椅子が配られて、どこかで聞いたことがあるような話が壇上で語られ、実際にみんなで一緒にワークなどを行い、その日はテンションが上がり、意気揚々と帰宅、でもお風呂に入って寝たらもう次の日には、また元の生活…くらい。

おそらく誰もが一度はそのような経験をお持ちでしょう。ついつい人間は、信じたいものや自分にすぐに利益になるものに反応します。つまりそれは、心動かされるのではなく、頭の反応であるということ。

手を叩いた時、誰もが手に感覚を得ると思います。

頭と心の反応は別のものですよね? と言っているのです。

つまり、すべては欲が原動力であるという話。それを踏まえたうえでなお、心惹かれるなら活動に参加し、実際に体験してみるのもいいかとは思います。(※くれぐれも怪しい詐欺行為にはご注意ください。

はじめは幼稚園などで行うお遊戯のように、みんなでやってみて、やがて卒業の時期がやって来る。今この文章を読んでいる人の中に、幼稚園に通っている人がいないように。

仮にはじめは、お互いが共依存のような関係であってもいいと思います。
オカルトや陰謀論、超常現象などからきっかけを掴んだっていいと思います。でも大切なのは、タイミング。
何事も辞め時や、諦めが肝心なのです。であればこそ、はじめから一人でやればいいわけで。

今すぐ、一人でもできる唯一のこと、それが自分を生きるということ。

結局はそこに行きつくのです。

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