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行動こそが究極の優しさ、言葉はいつもあとからやってくる

今日は朝から小雨が降っていた。
ベランダからその雨空を見ていてふっとあの日の記憶がよみがえった。

その日も今日と同じように早朝に小雨が降りしっとりとした風の吹く夏のある朝、もう5年ほども前の話である。

夜勤明けの朝8時頃、天気は晴れ、自転車で帰宅中の私と道路にはところどころに水溜り、そして反対側から沢山の出勤する人々。ある小さな交差点、反対車線を自転車で走っていたおじいさんが転ぶのが見えた。

転ぶ、と言うにはあまりにもスローモーションなものであったが、これは説明が難しい、止まろうとして自転車を降りる際にそのままものすごーくゆっくり自転車と共に車道側に横たわる感じだった。

幸い車道の路肩を走っていたおじいさんの後ろには車は走っておらず、ひとまずは事なきを得た。

私は反射的に目の前の横断歩道を自転車で渡りながらおじいさんに近づいていった。その最中、すぐに周りの幾人かがおじいさんに気づいて近づいているのが見えた。
この段階で若干出遅れた感のある私はというと、反対車線に渡ってしまった手前、自転車を近くに止めて何かできることはないか探そうとした。

自分一人では起き上がるのに手間取っているおじいさんにはすでにベージュの背広の男性とすぐ近くに今にも声をかけようと近づいているキャリアウーマン、次いでもう一人紺色の背広の男性が近づいているところだった。

ベージュは40歳くらいのやり手の企業戦士といった感じの、まぁイケメンだった。ベージュはおじいさんには過度に触れず、一人で自転車を起こそうとしているおじいさんに優しく手を添え、おじいさんの体が再び道路へ倒れないように寄り添っている感じであった。

その様子はまるで女性を優しく扱うそれであり、完全にイケメンであった。

そしておじいさんに何か声をかけようとしていたキャリアウーマンもベージュの目くばせ(もう大丈夫だの視線)によって、何度か振り返りながらも足早に出勤の徒についていった。

二人のすぐ後に駆け付けた紺色はおじいさんの後ろから車が来た時のためにその後方で車道を見守っている様子であった。

紺色は定期的に左手の腕時計に目をやっているが、別に時間に急いでいるわけではなく、沢山の周りの目に配慮してのことだろう。
その合間、時折ベージュとアイコンタクトをとっているのが見て取れた。
そんな紺色は30歳くらいの、まぁイケメンだった。
その横を通勤途中の会社員と通学中の学生が忙しなく通り過ぎていく。

そこに夜勤明けで朦朧とした頭で冴えない顔つきの作業着の私が圧倒的に出遅れて到着したのだった。

私は自分の自転車を近くの広いスペースに止めると、まずおじいさんの自転車を起こすのを手伝うつもりだったのだが、さきのベージュの紳士な対応に心打たれ、なんでもかんでも力で解決するばかりでは無いことをすでに学んでいた。

その頃の私はというと、パワーとスピードこそが正義であり、大切なものを守るためには必ず物理的な力が必須条件だと考えていた典型的なガサツな人間だったのだ。

・・・そんな私にできることはない、私はやむなく紺色と反対側に位置して”キョロキョロする係”をすることにした。
そちら側からは車が来るなどの危険は特にないのだが、私に何かできることがあるとすれば、付かず離れずの距離感を保ち、何かできることはないか考えを巡らせるくらいであった。

その時、バスがゆっくりとおじいさんのかなり後方で停車し、停車位置のはるか後方、普段より数メートル手前で乗客の乗り降りをはじめた。

そのバスの運転手に紺色が軽く会釈したのが見えると、バスの運転手も被っている帽子に軽く手を触れ挨拶を返した。

そのタイミングで私もキョロキョロしながら自分の帽子の縁を見よう見真似でさわってみたが誰にも気づかれなかっただろう。

そして乗客の乗り降りが終わると、バスはゆるりと優しく発車をはじめ、おじいさんのためにわざわざ隣の車線まで一旦車線変更しながら迂回し通り過ぎ、次のバス停へむけて走り去っていきました。

この段階になっておじいさんはようやく自転車を起こすことに成功し、ベージュに頭を下げていた。

おじいさんには特に怪我などもなさそうで、恐らくこの地球上で最も遅いと思われる速さで自転車を漕いで走りだしました。

この段階で役割を終えた紺色は特に誰にも何も告げず足早に出勤の徒の波の中へと合流していった。その背を追う形でベージュも歩き出したのだった。

ゆらり、ゆらりとおじいさんが自転車で進んでいく。

最後に残された私は、一連の関係者の背を目で追いながら、この時に最も重要なことに気づいたのだった。

それは現在が朝の通勤通学ラッシュ時にもかかわらず、この交差点にはバスが一台だけしか通らなかったのである。
事実、すべてが終わった今、縦横無尽に多数の車が行き交っている。

その刹那の中、私だけが止まった時間軸の中を漂っている感じがした。
その私以外の誰がこのことに気付いているだろうか。

誰も彼もがこの後の学校や会社でのことで頭が一杯で、あの僅かな時間に不思議なことが起こっていたことに気づけていないのだ。

そんなことを考えながら私は朝の喧騒の中を再び自転車に乗ってみんなとは反対側へと帰路に着いた。

そんな小雨の後のカラリと晴れた夏の朝のことでした。

おじいさんが自転車で倒れてしまった実際の交差点です(撮影は後日)

これは5年ほど前に私が実際に体験した話だ。きっと私たちの人生には気づいていないだけでこのような体験に溢れているのだろう。
気づくかどうかはすべて自分自身に委ねられているのだ。

優しさとは言葉であり、声を掛け合うことで優しさを表現できる。
しかし相手を思いやるための行為は必ずしも声を掛け合うだけではないのだ、そもそも言葉とは、私たちの心を表現したものである。
私はこの体験を通じて身をもって、言葉とは心根のことであると、そのことにあらためて気づけたのだ。

再春館製薬所×note
お題企画「#やさしさを感じた言葉」投稿作品

タイトルイラスト

春田みつきさんよりお借りしています。
ありがとうございます。

プロフィール

私、那須ノの簡単な自己紹介となります。
惹かれたら是非ご覧ください。


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