負け無いことよりも負けたときの対処法を考える

23歳の自分が最近思うのは失敗することが増えたということだ。
増えたというより、可視化されることが’多くなったと表現すべきかもしれない。

たとえば僕は大学に受験で合格して入学したが、第1志望ではなかった。
このことは、時を経ってしまえば、僕はなんでもないことに感じているが、他の人からすると、失敗と感じる人もいれば、大成功と感じる人もいるかもしれない。

この歳になると、失敗の可視化が多くなってきていると感じていて、それは社会的責任や、振る舞いの面で、今までよりも求められることが多くなってきているからだと思う。

そんな、失敗を対処するということの話を書こうと思う。

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失敗という状況に対処しようと考えた時に、まず思いついたのが、失敗は経験不足からくるので、年数を重ねれば失敗は防ぐことができるということだ。

そのとおりと思う。

しかし、この論理は経験したことの無いことに対する時、失敗をする確率を低くできないということに等しくなるという考えに至る。

つまり、もし仮に失敗しないような位置に40歳までになりたかったら、40歳までに残りの人生の分の経験を積まなくてはいけなくなるということだ。

これは、かなり厳しい戦いになると思った。

しかも、変化が激しい時代と言われる中で、経験をすべてするのは厳し目だ。

そこで考えた。常に応用がきき、カバー範囲がひろそうなポイントはないかと。

それが、失敗しても対処できる方法を用意しておくことだ。

このことは、よく語られるような話からも、うなずけると思った。
人は窮地に立たされた時に、其の人の器がでる。
それはつまり、窮地になったときの対処法を知っているのだろう。

だから、我は今後は失敗しない少女漫画にでてきそうなクラスのヒーローイケメンを目指すよりも、失敗しても常にドラえもんに助けを求め行動ができるのび太くんを目指すと考えたのじゃった。

終わり。

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