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教員免許の取得から1年。無事に今年度の授業を終えました。ではいけない

ちょうど去年の今頃、教員免許を取得しました。東京都庁にある東京都教育委員会からの帰り道、大学生のときにアルバイトをしていた飲食店を横目に見つつ、いろいろと思い返したり、考えごとをしながら、新宿駅まで歩いていました。あれから一年がたちました。

2022年3月17日:教員初年度の授業を終えてハッピー、とはならないこと

大学院に在籍しているときに、同級生の現役の先生から、「学校では色々あるけど、卒業式を迎えると、『先生やっていてホントよかった』って、辛かったこと、嫌なことはすべて吹き飛ぶよ」と聞いていました。

私は卒業学年を受け持ってはいないので、卒業式で生徒を送り出すことはしなかったのですが、それでも年度最後の授業での、生徒からの、

「1年間ありがとうございました」

の一言は、純粋に嬉しく、そして年度末を無事に迎えることができたことに、安堵の気持ちを感じました。

ただ、こうして教員の仕事は年度単位のパッケージで進むのですが、年度が切り替わるとリセットボタンを押して心機一転、新しい生徒を迎えて仕事スタート、ではいけない。

以降の文章は、ちょうど一年前に別のブロクで書いた記事からの転載です。
この文章の一番最後に、

本日、ようやく教員免許の申請が受理されました、よかったね、ちゃんちゃん。ではいけない、と思う。

とありますが、無事に今年度の授業を終えました、よかったね、ちゃんちゃん。ではいけない、と思っています。

この1年を振り返りつつ、さらに積み上げていけるよう、生徒への感謝を胸に、2022年度も非常勤講師・フリーランス教員によるon-shi-onの事業をどんどん広げていきます!

(以下転載)


2021年3月18日:教員免許の申請が受理されてハッピー、とはならないこと

今日ようやく教員免許の申請が受理されました。
まだ手元に教育職員免許状はないけれど、これで晴れて中学校社会科、高校地理歴史科・公民科の教員になることができます。

ちょうど1年前、2020年3月に大学院教育研究科を修了したときは、「教育学の修士号はオプショナル」なんて、通過点にしか過ぎないと言っていたけれど、先週と今週の2回も訪問することになった東京都教育委員会がある都庁から新宿駅への帰り道を、今日はちゃんと感慨深く歩いていました。

教員免許は、難しい試験に向けた対策が必要なわけでも、競争倍率が著しく高いわけでもなく、大学の教職課程で必要な単位をそれこそパズルのようにはめていって、必要な提出物というアイテムを集めて提出して、介護等体験や教育実習などのイベントをクリアしていけば、全員が取得できるもの。

それでも、安堵で胸を撫で下ろしたのは、この長かった3年間に区切りをつけて、ようやくスタートラインに立てるから。

ここからは、教職課程を振り返っての所感です。

教職課程を通じて、教員に必要な知識や考え方を学ぶことができ、資格を得るために必要な過程である。だけど、これは違うのではないかという違和感を感じたこともある。

2016年に免許法が改正された結果、私が教職課程に在籍中の2019年4月から新しい教職課程が始まった。科目等履修生は毎年ステータスが切り替わるため、2018年から教職課程を始めていたとしても新法が適用される。そのため、追加で履修が必要な科目と単位が増えて、実際に、この追加必要単位が新たに登場したことで、最終的に免許取得を諦めた友人もいる。

この新課程で、「やらないよりはマシ」「あれもこれも詰め込み」という教育の悪いところの一端を自ら経験することになった。私も、別に楽して教員免許を取りたいわけじゃない。子どもに接する大人として、大きな期待と責任がある職業であるため、しっかり教育を受ける必要があることはわかる。ただ、教員になるために意味のある形で学んで、心身ともに準備をしたいだけなんだ、という気持ち。

この3年間、リアルの通学と通信教育を併用して、それに大学学部生時の取得単位を加えて、3箇所から学力に関する証明書を取り寄せて、合わせ技で必要単位を満たした。

通信教育課程は、指定教科書や課題書籍を読んで、既定のお題についてのレポートを提出し、それに合格して初めて筆記試験の受験資格が得られるというプロセス。

10科目以上のレポートを提出したものの、とても残念なことに内容へのフィードバックはほぼなく、コメントがあったとしても、「引用は” ”(ダブルクオーテーション)ではなく、「 」(かっこ)にしましょう」など、形式的なものばかり。レポートの形式や体裁、さらに学問的誠実性は大事であることは理解できるものの、レポート内容についてのフィードバックがなければ、理解が正しいのか、仮設や主張は妥当なのか、改善すべき部分があるのかなどを学ぶことができず、なんとも言えない気持ちになった。

筆記試験も、コロナウイルス感染拡大防止のため、2020年度はすべての試験が代替レポートになった。この試験代替レポートを提出した「日本史概論」が唯一、不合格となった科目だった。通常の試験と同様、この代替レポートは内容や結果へのフィードバックは一切なされない。何がダメで不合格となったのか、受験者はわからない。正答を知りたいのではなく、自分のレポートの振り返りや改善のしようがない状態では、学びにつながらないことが大きなストレスだった。

ちなみに、最初に返却された成績表にある「評価:D」が不合格であるとは理解できず(不合格は「F」だと思い込んでいた)、最低評価だけど単位は取得できたからよしとするか、と成績表を受け取ったときには気楽に捉えていた。あとから不合格で単位取得ができていないことに気がつき、2021年1月の最後のタイミングで再度、試験代替レポートを出すことになってしまった。これに不合格となれば、2021年4月の教員免許状の取得に間に合わないというプレッシャーの中、試験問題開示から1週間後の提出期限まで、調べて、本を読んで、書いて(しかも手書き!)をこなさなくてはならなかったのは、私を含めて仕事をしながら通信課程を履修している多くの学生にとっては、結構きつかったのではないか。

折しも、教員免許制度の見直しが文部科学省を中心に進められている。

以前の記事で

❝ 教職課程については一言も二言もモノ申したいことはあるけれど、ゲームのルールが気に食わないなら、そのゲームから降りるか、ゲームのルールを作る側に回るしかない。

「教員志望者が足りないなら、もっと民間出身者が教員になれるようにすべきだ」のような「べき」論を振りかざしても仕方ない。教職課程の道のりを無理ゲー、クソゲーと批判していても始まらない。
先生になると決めたからには、このゲームを何が何でもクリアしないといけないと腹をくくってやってきた。❞

と書いたけど、教員免許制度の改正を待てず、無理ゲー、クソゲーに心折れてしまう人もいるだろう。しかも、どのように変わるのか、その展望は見通せない。

大学側が教職課程を履修する学生に対して、小さい頃から先生になりたいと思う学生の純粋な志望動機に頼っているだけでは、あまりにも無責任。また、その純粋な思いもあいまいで漠然としていて頼りない。

だから、教職課程の中で、教職の素晴らしさや、逆に教員の大変さについて講義するだけではなく、また教職課程で必要な単位をいたずらに増やすのではなく、教員を目指す学生に必要なのは、学生の気持ちと将来のキャリアビジョンに寄り添ったコーチングやカウンセリングなどの支援だと思う。

それと、教育実習というたった3週間の現場実践にすべてを集約させるのではなく、大学生の早い段階から点ではなく面で学校と関わる時間を設けるべきではないか。2020年度はコロナウイルスの関係で、元々5月に予定されていた教育実習が9月に延期になったけれど、その時点で、民間企業や他の進路を選択している実習生も実際にいた。もっと教職課程の早い段階で実習ができていたら、1度切りではなく継続して何度も学校現場に関わっていれば、教員という仕事との相性や、やりがいや課題など、学生の実感として見えてくるものがあるのに、と思う。

本日、ようやく教員免許の申請が受理されました、よかったね、ちゃんちゃん。
ではいけない、と思う。

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