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「でっちあげ」 福田ますみ著 新潮文庫」


怖い本です。


福岡の小学校教諭が、生徒に対する暴力で保護者から糾弾され、学校を辞めることになり、それだけではなく民事裁判で訴えられ、マスコミからバッシングされることになってしまいます。

多くの人たちが被害者の訴えを頭から信じ、学校でも週刊誌でも新聞でもテレビのワイドショーでも、集団リンチのように加害者を徹底的に攻撃するのです。小学校教諭は実名報道され、自宅前にはマスコミが押し寄せるという状態になります。


しかし、その小学校教諭は、非難されるような暴力はふるっていませんし、曽祖父がアメリカ人であると言う生徒に対し差別的な発言もしていません。火のないところに煙は立たぬと言いますが、火のないところでも煙を立ててしまう人がいるのです。そして、煙はやがて大火事になっていったのです。


火のないところにも煙を立てて大火事にする人たちは、存在します。例えば、モンスタークレイマーと呼ばれる人たちです。彼らは、ある日突然、ターゲットに向けて攻撃を開始します。反対意見には聞く耳を持ちません。

その攻撃は凄まじく、その勢いに、攻撃された側は、とりあえず彼らをなだめようとしてしまいます。また、多くの組織のトップも、なんとか丸く収めようとします。


この事例においても、校長・教頭は、教諭の「暴力など振るっていない」と言う訴えに耳を貸さず、教諭のちょっとした不手際を針小棒大に非難します。


この事件でターゲットになった教諭も、生徒に暴力を振るった覚えはないけれど、生徒の両親から激しく罵られ、生徒が恐怖におののいていて嘔吐までしているとなれば(のちにこれは事実ではないことが明らかになりますが・・・)、心は揺れたことでしょう。

そして、おそらく最もきつかったのが、校長・教頭が教諭の訴えを全く聞いてくれず、モンスタークレーマー側に立って教諭を非難したことでしょう。

仲間が自分を見捨てたと言うことが明らかになった時、心は折れるものです。

僕自身こうした経験がありますが、そうなると、もはや冷静な判断ができなくなるものです。僕の場合、もうどうにでもなれ、批判するなら勝手に批判してくれと言う気持ちになったものです。この教諭も、ほとほと疲れてしまって似たような気持ちになったのではないかと思います。


そして、教諭は、自分も少しぐらいは傷つけることを言ってしまったし、ここは謝っておこうと決断します。


しかし、モンスターたちは、それで収まらなかったのです。マスコミにリークし、マスコミの多くが裏も取らずに実名で教諭を非難します。病院の医師は、生徒の様子を十分にアセスメントすることなく、重篤なPTSDと言う診断を出してしまいます。他の生徒の保護者たちは、多くの生徒たちが、「先生はそんなことしていない」と訴えていたにも関わらず、モンスタークレーマーからの報復が怖いので沈黙します。


結局裁判になり、生徒側には、大勢の弁護団が付きます。対して教諭側の弁護士は二人です。圧倒的に不利だと見られていた教諭側ですが、原告の母親の「生徒の曽祖父がアメリカ人で、母は幼少期にアメリカの学校に通っていた」と言う証言が嘘であったことや、生徒に対するPTSDの診断も母親の虚言を基になされたことが明らかとなるにつれ、マスコミもこの事件から引いていくのです。


最終的に教諭は無罪を勝ち取るのですが、それまでに事件から10年の月日を要しました。


かつてのヨーロッパにおける魔女裁判のような集団リンチとも言えるような出来事です。リンチに加担した側は沈黙します。彼らも目立ってしまったら、次のリンチのターゲットになってしまうかもしれませんからね。


マスコミは、自分たちが報道したことの結果に対して、責任を持って内省的な見解を示すべきでしょう。

福岡の小学校教諭が無罪を勝ち取るまでの10年の苦悩に対し、報道した側は、心からの謝罪は必要でしょうと思います。

別の事例ですが、マスコミに報道されたことで、自殺に追い込まれた人たちもいます。例え、その人たちが罪を犯していたとしても報道の責任はあるのではないかと僕は思います。

報道の結果についても、しっかりと報道することは報道する側の義務なのではないかと思うのですが・・・。


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