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【百年ニュース】1921(大正10)7月16日(土) 海軍兵学校の卒業式(49期)。皇族2名,久邇宮朝融王,華頂宮博忠王。日本の原爆開発(F研究)を主導する三井再男(町田再男),また戦後日本の海上戦力復活を目指したY委員会主要メンバーで海上自衛隊の開祖(第2代海上幕僚長)長澤浩らがいた。

江田島の海軍兵学校の卒業式が開催されました。

最近日本では世界の基準に合わせた9月入学・9月新学期の制度に変更することが議論されていますが、明治から大正にかけては日本でも9月入学、7月卒業が一般的でした。4月入学の制度になったきっかけは、東京帝国大学をはじめ、各帝国大学が4月入学に制度変更したことですが、それがちょうど100年前の1921年(大正10年)でした。海軍兵学校も4月入学・3月卒業に改められました。海軍兵学校は4年制でしたが、この年から新入生は4月卒業に順次切り替わる一方、9月入学時代の上級生は今まで通り7月に卒業式を行いました。

なお100年前の今日卒業を迎えた海軍兵学校生徒たちは、第49期の卒業生ということになります。174名の海軍エリートがあらたに排出されました。そのなかには皇族が2名おり、ひとりは久邇宮朝融王あさあきらおう、もうひとりは華頂宮博忠王ひろただおうです。朝融王はのちの香淳皇后、当時の久邇宮良子女王の兄として有名です。また軽度の色覚障害があったとされ、前年の宮中某重大事件、すなわちのちの昭和天皇である皇太子裕仁親王と良子女王の婚約破棄未遂事件の重要な要因のひとつとされた人物になります。

また海軍兵学校第49期の卒業生として有名なのは、太平洋戦争末期に日本が進めた原爆開発、そのうち海軍が主導した、いわゆる「F研究」の推進者であった三井再男またおがいます。三井の旧姓は町田で、卒業者名簿には町田再男またおと書かれています。

さらにもうひとり、長澤こうも海軍兵学校第49期の卒業生です。敗戦後の日本が50年代以降、海上戦力の復活を目指した時期に、いわゆる「Y委員会」の主要メンバーとなり、「海上自衛隊の開祖」とも呼ばれた人物です。第2代海上幕僚長に就任しました。

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久邇宮朝融王

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海軍兵学校は1876(明治9)年に創立されました。広島県西部の瀬戸内海島嶼部の江田島にあり、江田島が代名詞となりました。英国王立海軍兵学校、米国海軍兵学校とともに世界三大兵学校のひとつに数えられました。全78期。総計1万2433名の卒業生を輩出しました。

徳川宗英 『江田島海軍兵学校 世界最高の教育機関』角川新書,2015


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