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【百年ニュース】1921(大正10)6月17日(金) 法学者の有賀長雄が死去,享年60。有賀は1860(万延1)大阪で歌人の家系に生まれ, 1882(明治15)東京帝大文科卒。欧州留学でシュタインに学び,戦時国際法の専門家となった。1913(大正2)袁世凱の法律顧問となり帝政運動を擁護,日本の対華21か条要求に反対した。

法学者の有賀長雄が死去しました。享年は60歳でした。1860(万延1)年に有賀は大阪で歌人の家系に生まれ、1882(明治15)年に東京帝大文科を卒業したあと、欧州に留学しウィーン大学でローレンツ・フォン・. シュタインに師事し、戦時国際法の専門家となりました。1913(大正2)年には中華民国政府の袁世凱の法律顧問となり帝政運動を擁護、対華21か条要求に反対して当時の大隈重信内閣の外相加藤高明らと激しく対立しました。

有賀長雄はノーベル賞創設からわずか8年後の1909年、ノーベル平和賞の候補者となりました。これは日本人初のノーベル賞候補者になります。推薦したのはスイスのベルン大学教授のヒルティ(Carl Hilty)。しかし結局同年の受賞者は仏外交官エストゥールネルとベルギーの政治家ベールナールトとなり、有賀は受賞を逃しました。

なお1909年の有賀長雄に続いてノーベル平和賞の候補者となったのは渋沢栄一でした。渋沢は1926年、翌1927年と二年連続で平和賞候補者に推薦され、日本は米国も巻き込み活発な推薦活動を展開しましたが、当時は受賞者が西欧中心に偏っている時代でもあり、米国では一定の知名度があるものの、欧州では無名だった渋沢は残念ながら受賞に至りませんでした。

吉武信彦「ノーベル賞の国際政治学―ノーベル平和賞と日本:第二次世界大戦前の日本人候補―」『地域政策研究』(高崎経済大学地域政策学会)第 13 巻第2・3合併号2010年11月,1頁~ 15頁

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有賀長雄

有賀長雄2

エストゥールネル・ド・コンスタン2

オーギュスト・ベールナールト2


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