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今までの参加レコーディングを振り返る vol.5 辛島文雄/Elysian Air 2002

今までの参加レコーディングを振り返る vol.5 (年代など順不同です)

辛島文雄/Elysian Air 2002

僕が辛島文雄さんのトリオに参加しての初めてのアルバムです。
当時はまだニューヨークに在住していたのですが、夏と秋に日本に行って辛島トリオの活動に参加していました。トリオのレギュラーメンバーとなって2年目に沖縄のあしびなーホールでのライブ録音です。

僕と辛島さんとの出会いは1999年の冬に辛島さんがトゥーツ・シールマンスとのデュエットアルバム「ランコントル」のレコーディングでニューヨークに来ていた時でした。それまでは面識はあったものの、ものすごく親しいというわけでもなかったのですが、レコーディングの空き時間に同じく在米中だった奥平くんの家に辛島さんが遊びに来ていた時の事。

急にセッションがしたくなった辛島さんの要望に応えて家に奥平くんが電話してきました。「今から辛島さんがセッションしたいと行ってるけど来ない?」
と。
しかし、その日はニューヨークは2月で大雪が降っていて、すでに雪が何十センチも積もって真っ白に。普通ならお断りするところでしたが、何かの啓示を受けたように僕は「行きます!」と言ってしまったのでした。
そして何とか走っているタクシーに無理やりベースを押し込んで奥平くんの家に到着。(当時、ニューヨークでタクシーにベースを乗せるには、後部座席に横たわらせて窓を開けてネックを車外に飛び出させた状態で乗るしかなかった。そして後部座席のネックの下に座るので窓から降りしきる雪が顔面を直撃なのです。)

奥平くんの家に到着すると、すぐにセッション開始。小型のアップライトを辛島さんが弾き、奥平くんはイエローページという電話帳をブラシで、僕は生音という状態でしたが、みんな無心で何時間にもわたって演奏。まさに音楽に導かれるように何の見返りもなく演奏しました。
その時の感触が忘れられなくて僕をニューヨークから呼んでも毎年ツアーがしたくなったと後年ことあるごとに辛島さんは語ってくれました。
人との出会いとは時に瞬間で決まることもあるといいますが、こんな男気溢れた決断をするリーダーのためには一肌脱ごうという気にもなります。

よく年のツアーから参加することになりましたが、せっかくなのでアルバムを制作しよう、ということになり生まれたのが「Elysian Air 」です。ライブならではの勢いとホールの良い響きもあって、このCDは各地から好評をいただきました。その後2007年まで毎年ツアーに参加。2004年に日本に帰国してからもトリオは続きました。

余談その1。「Open the Gate」のドラムソロの途中でバスドラのビーターが外れてしまったらしく奥平くん的には苦労したそうですが全く影響ないように聞こえます。コンサートでは最後の曲でしたがアルバムには一曲目に収録。これもライブアルバムならではのスリルです。

余談その2。この日の前日にみんなで「山羊鍋」をいただいたのですが、山羊は精力をつけるものとして沖縄では普通に食べられているものらしいですが、食べなれない僕たちは、翌日のレコーディング当日、みんな体調が悪くて、楽屋ではみんなグッタリと横たわっていました。でも本番はかえって力が抜けてよかったかもしれません。

余談その3。「Norwegian Wood」でイントロに毎回、フリーでのベースの即興が入るのがライブの定番となっていました。このレコーディングの当日も渾身のベースソロを。辛島さんにも今までの集大成のソロをよろしくとお願いされていました。ところがアルバムの編集段階で収録時間がオーバーしてしまってそれはカットに。まあ、人生とはそんなもんですよね。

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