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29.愛と許し④〜他人を判断せず、内省すること〜

こんにちは^^
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今日は「愛と許し」シリーズ4つ目の内容です。

前回の記事では、「愛と許し」についての聖書の箇所を紹介しました。
神様の愛と許しを模範とし、他人にも情深く、あわれみ深い心を持ち、許し合う重要性を強調しました。私たちは神様の愛と許しを受けており、それを他人にも分け与えるべきだという話でした。
愛と許しは平和をもたらし、満たされた人生を実現する一歩だと考えます。

<はじめに>

今日は「他人を判断せず、内省すること」というテーマで記事を書いてみようと思います。
「許すことができない」・「他人によってストレスを受ける」という時は、大概「自分の価値観で他人を判断すること」から引き起こされます。
自分の立場からの視点だけで物事を判断したり、自分の価値観を押し付けるとまではいかなくても、「相手にある行動を望む」と、望み通りにならなかった時にストレスを感じてしまいます。

ではここでぜひ皆さんに知っていただきたい聖書の一部分を紹介します。

マタイによる福音書7章1節〜5節
「7:1人をさばくな。自分がさばかれないためである。
7:2あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。
7:3なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
7:4自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
7:5偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。」

<イエス・キリストの説教>

マタイによる福音書のこの箇所、7章1節から5節には、他人を判断せずに自己内省を行う大切さが説かれています。これは、私たちが他人を批判する前に、まず自分自身を見つめ直すことの重要性を示唆しています。
「はり(梁)」とは、床や屋根を支えるために柱と柱の間に架け渡された横方向の骨組みのことで、とても太い材木です。
そのような大きなものが自分の目に刺さっているのに、他人の目に入っているとても小さいちり・ほこりを先に取ろうとすべきだろうか、という例え話です。


聖書を見ると、ある日、イエス・キリストは弟子たちに対して、人をさばかないようにと教えました。
自分が他人をさばくことで、自分自身も同じようにさばかれ、そのさばきによって量り与えられることを説明しました。
この教えは、私たちが他人を非難し、批判することが実は自己をも傷つけ、他人が自分に対しても同じような態度を引き起こすことを示唆しています。

イエス・キリストの説教を通して、私たちが他人の行動や選択を非難する前に、まず自分自身を見つめ直すことが必要だと知ることができます。
私たちは他人の過ちを指摘することが容易ですが、自分自身の過ちや梁(大きな障害)を見落としてしまうことがあります。
イエスは、他人の目にあるちりを指摘する前に、まず自分の目から梁を取りのけるようにと教えました。

他人の悪いところばかりを指摘しようとせず、まずは自分自身を見つめ直し、成長させてこそ、成長した自分によって他人にも対してより寛容に接することができます。
自己内省を通じて、自分の欠点や課題を認識し、改善しようとすることが、真の成長と他人との良好な関係の鍵となります。

<あなたへのメッセージ>

noteを読みながら何かためになる情報を得ようとしているあなたは、人によくしてあげたいという思いや助けになってあげたいという思いも強いのではないでしょうか?
しかし私たちは皆、完璧ではなく、過ちを犯すことがあります。

だからこそ、まずは自分自身を向上させることが大切であり、他人を判断せず、内省することによって、より愛と理解に満ちた人生を歩むことができるでしょう。

ですから、私たちはマタイによる福音書7章のこの教えを心に留め、
他人を批判する前に、まず自分自身を振り返り、成長し、愛と許しの心を持つよう努力してみましょう。
自分の目にあるはりを取り除いた時に、はっきりと見えるようになって、相手に対してもより正確で、寛大に接することができると思います。

以上が、「他人を判断せず、内省すること」についてのお話でした。
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今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!

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