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「役に立たないとダメだ」病の治療法

テレビゲームなんかして、何の役に立つのか
一生日本から出ないから、英語を学んでも役に立たない
役に立たない本を読んでいないで、ビジネス書を読みなさい

こんな風に家族や、上司に言われたこと、ないでしょうか。
また、社会人経験が長い人ならば、言う側に回ったこともあると思います。

役に立つ。最近これを意識して生活を組み立てています。
朝起きた時、すぐにヨガをする習慣は、健康のために役に立つ。
買い物をした日、夜の内に家計簿をつけておくと、1ヶ月の収支を確認するのに役立ちます。

自分の行動が、次の一手を楽にしてくれる。
もっと快適になる。いい流れになると思って、日々見直しています。

ただ、同時に暗い部分もあります。
役に立つものを際立たせていると、その反対もはっきりした輪郭をもつようになるのです。
つまり、役に立たないものが生まれます。

マカロンは生活に役に立つ?

二度寝、三度寝は疲れも取れないし、心の弱さの現れ。健康には役立たない。
白砂糖を使ったお菓子は美味しいだけで、身体のためにならないし、家計にも良くない。役に立たない。

ある程度の知識を経た上の意識なので、思い込みだけではありません。
逆に、ある程度の事実を含んでいるだけに、タチが悪いとも言えます。

なぜかと言うと、反論しづらい正論として、他人にぶつけられるからです。

大上段に構えて、二度寝している家族、甘いものに目がない同僚を批判できてしまう。
そんな事していても、食べても、役に立たないよ、と。

結果生み出されるのは、ちょっとした優越感と、そして相手の改善、、、、とはなりません。実際は劣等感や嫌悪感が先立ちます。

言い返せないけど、、、腹が立つ

正論を説かれる時ほど、自分は今責められていると感じてしまうからです。
心を守るために、あなたを敵とみなすかもしれません。


こうして、役に立つ・立たないという考えを浅はかに相手に押し付ける癖がついてしまうと、誰彼構わず批判の目を向けてしまいそうで、怖くなります。

これはコロナ禍における、行き過ぎた「自粛警察」に似ています。
言われた相手の気持ちを考えずに、正しいことを叩きつけて気持ちよくなっている。あの感じです。

個人的に、そういった気持ちはバッティングセンターぐらいで憂さを晴らしてもらいたいものですが・・・なかなかそうはいきません。

そんなうやむやした気持ちを抱えている時、友人の一人と朝ごはんをいっしょに食べる機会がありました。

帰省の時だったので、せっかくだからと近くのファミレスで食事をしたのです。
近況を報告する中で、先程のなんとも言えない気持ちも話題にしました。
役に立つ事だけを選択していることは本当に正しいことなのか?

友人の返事はとてもシンプルでした。

僕は空いている時間を、いかに役に立たないこと、くだらないことに使うか考えている。一日中楽器を弾いたり、好きなゲームをしたりとか。
恵まれている状況というのは、そういった、役に立たないことに時間が使えることなんじゃないの?

自分以外のヒトの視点は、本当に頭でっかちを柔らかくしてくれます。

なるほど、役に立たないが豊かの印。そういう考え方もありなのか。と感心しました。
役に立つ、が正しいに直結するとは限らない。一見役に立たないことでも、そのヒトにとっては「目的そのもの」という場合もある。

その時は、逆説的に「役に立たないからこそ、(そのヒトのためには)役に立っている」とも言えそうです。

また、これをきっかけに、言葉の意味も考えてみました。

「役」という言葉は、その場を演劇の舞台のように例えた時の言い方です。ある舞台ではこの役柄は必要、つまり役がしっかり立っている。
しかし、別の舞台では、その役柄は必要ない時がある、つまり役柄が目立っていない(不要だ)ということがあり得ます。

例えば、「舞台:浦島太郎」には「犬」、「さる」、「雉」の役柄は必要ない。
しかし、「舞台:桃太郎」では必要不可欠なトリオです。

この3つの役どころが同時に役立つ舞台は 1つだけ

同じように、ゲームを遊ぶ事、プレイヤーという役柄は、一見ある立場(舞台)では役立ちそうにありません。

しかし、別の立場(他の舞台)では、ストレスを下げる、現実世界では学べない気づきを得る、新たな友人を得る、といった機会になるかもしれません。

同じ趣味の友人を得るために、とても役立つ娯楽だと言えます。

役に立つ、と言葉を使うときには、どの舞台の話をしているのか自覚すべきではないか。これが友人との朝食で学んだことです。


結論です。
自分の生活では役に立つことをしたい。
ただし、それは他人からみて役立っているとは限らない。
自分の将来や、気持ちのために役に立つ確信があるならば、それは続けていきたい。
逆に、ヒトのために役立つと言われていることでも、自分がストレスを感じすり減っていく仕事や習慣ならば止めるべきだ。

役に立つ、立たないと思わず判断している時、どんな舞台を想定しているのか。自分の思い込みを自覚することから、まず始めたいものです。


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