見出し画像

なぜ、繊維?

愛知県一宮市の繊維メーカーに就職し、5年半勤めていました。その中で業界の課題や閉鎖的な構造の問題に突き当たるたびに「もうちょっと今の時代にあった良い方法があるんじゃないだろうか?」と考えるようになり、いつしか、その仮説を実践するべく小さな会社を立ち上げることを目指すようになり、今こうして活動しています。

最初のノートで装いの庭の活動のきっかけについて触れました。この部分をもう少し掘り下げて書いてみます。

ぼくがメーカーに勤めていたのは2006年4月~2011年9月の間です。

最初の一年くらいは機械をいじったり、何kgもの糸を担いで、工場の間を回ったりといういわゆる“現場”の仕事をしていました。染工場の酢酸の匂いや、糸を繰る時のモーター音など、初めて出会う重厚な作りの生産用の機械とそれを操る職人さんたちの働き方は、古き良き時代の名残を残してあたたかみに溢れていました。ものを作るリアルな感触がそこにあり、そういった仕事の中で先輩たちから多くのことを学ばせてもらいました。

入社してすぐに”業界の課題や閉鎖的な構造の問題”に突き当たっていたわけではありません。見えてきたのは営業として東京に戻ってきて少し経った2009年の中頃くらいからでした。

ようやく仕事に慣れてきたころで、自分でもいろいろ考えるようになり、世の中がリーマンショックの余波にさらされていたころでした。

TwitterやFacebookが上陸し、SNSがビジネスツールとして使われだした黎明期でもあり、リーマンショックでゆらいだ終身雇用と相まって情報発信を生業にフリーランスやベンチャー企業が増えていました。zozotownやファッションスナップが成長したのもちょうどこの時期でした。

そうした流れの中で「もうちょっと今の時代にあった良い方法があるんじゃないだろうか?」と思いつつ、会社を説得できるような根拠も実績も提示できないぼくは、頭の中でああしたらこうしたらと考え続けながら悶々としていました。

そして、2011年東北の震災が起きました。それをきっかけに、当時、編集を軸に新しい挑戦をしていた(そして住んでいたところの近所だったため、時々ボランティアでイベントを手伝っていた)手紙社の門をたたきました。

手紙社でたくさんの経験をさせてもらいつつも、心の中には、繊維産業に対しての「もうちょっと今の時代にあった良い方法があるんじゃないだろうか?」があり、その方法を探していました。

そこまで固執しているのは、思いついた仮説を実証したいという気持ちに加えて、業界に対して育ててもらった恩返しによるところが大きいです。

新卒のころは、社会的な常識というものがまったくなく、今でも自分よりひどい新卒の子には会ったことがないくらいどうしようもない人間でした。目も当てられないような失敗をたくさんして、どの上司にもだいたい一度は取引先に一緒に頭を下げに行ってもらいました。怒られながらもかなり手厚いフォローをしてもらいました。成果だけを求められ、できなければ切り捨てられる会社だったら、自分の人生は早々に終了していたと思います。生産工程だけでなく、働く人にもあたたかみがありました。だからこそ「時代じゃない」の一言で終わってほしくないと思い続けています。

そうして想いから立ち上げた「布博」を経て、今の装いの庭の活動につながっていきます。

独立して7年。たくさんの出会いに恵まれて、事業に関わらせてもらってきました。今年はそこからさらにひとつ、大きな挑戦が待っていて、そのためにこうしていそいそとブログを更新し始めた次第です。その告知は今日の夕方にする予定です。