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「なんでミュージカルって急に歌い出すの?」など(「アイの歌声を聴かせて」感想)

0 まえがき(ちょっとだけスタァライトの話をさせて)

職場に有休をとらされたので、ちょうど良いタイミングと「アイの歌声を聴かせて」を観てきました。
結果、有休を無理やり入れてくれた職場に感謝しかないです。早く観るべき作品でした。

極めて個人的な話ですが「レヴュースタァライト」の沼に溺れてはや数か月、ここ最近は沼が干上がってきて底に取り残されてすっかり「ロス」の状態になっていて、何とかせねばと壁をよじ登っていたところでした。
その私を思いっきり引っ張り上げてくれたのがこの作品でした。

列車は必ず次の駅へ。
――舞台少女は、次の舞台へ。
――私は、次の沼へ。

本当に最悪。

1 まず素直に楽しかった

そもそも作品として素直に楽しい。まっすぐに楽しめるエンターテイメントという点でもう観た方が良いです。
その上で、SF的な面白さ、緻密な構成(この辺りは「イヴの時間」で驚いたのがパワーアップしてやってきた感がある)、音楽の良さ(ここも大きい。土屋太鳳の歌に惹きつけられる。)、色々とあるのですが、観ながら一番「おおっ!」と思ったのは、標記のとおりです。

2-1 なんでミュージカルって急に歌い出すの?

高校の時、合唱の部活でオペラをやっていて、この問いかけをよく受けました。

Q)ミュージカルとかオペラって、なんで急に歌い出すの?

色々と答え方はあるのですが(それはそういうものでは??etc.)、私としては(「アイの歌声を聴かせて」を観た今ではなお)こう答えます。

A)あんな内容を普通に喋ってたらもっと怖いじゃん。

得てして歌にのせられる歌詞は、歌うその人の喜びや怒り、殺意から恋心まで、感情のうねりが形となって現れてきます。
それというのは、極めて内心の奥にある、感情に最も近い言葉をひねり出すのには、言葉よりも、日常性がなりをひそめる「歌」の方がしっくり来る(発する方も受け取る方も)気がしているからだと思うのです、がいかがでしょう。
(もちろん、音楽に乗せることでより感情が乗せやすくなっているということもありましょうが。)

2-2 勝手に歌い出すシオン

さて、「アイの歌声を聴かせて」で、AIを搭載し、まるで人間と見分けのつかないロボットであるシオン(芦森詩音)はまあとにかく急に歌い出すのですが、その曲目がこちら。

・ユー・ニード・ア・フレンド ~あなたには友達が要る~
・Umbrella
・Lead Your Partner
・You've Got Friend ~あなたには友達がいる~
・フィール ザ ムーンライト ~愛の歌声を聴かせて~
(うわー!!! 1曲目と4曲目でタイトル引っ掛けてきてる!!!)

このうち特に1曲目と2曲目。
1曲目は、シオンがサトミ(天野悟美)の幸せとして「友達」を作ろうとするシーンで流れます。(歌詞はこちら
2曲目は、ついすれ違ってしまうゴッちゃん(後藤定行)とアヤ(佐藤綾)の仲を取り持つシーンで。(歌詞はこちら

これを映画館で聞くと、まず「恥ずかしい!」となり、
その後に「この内容をなんでシオンが歌ってるんだよ!」となりまして。

2曲目は特に、普通なら途中でシオンがゴッちゃんとアヤの手を取って3人で歌い出しかねない。
何なら、パンフレットで作詞の松井洋平さんは「(シオンが)そんな二人に伝えるメッセージは回りくどいものじゃないほうがいい」といいます。
その一方、作曲の高橋諒さんは「ゴッちゃんのアヤへの気持ちを静かに吐露する曲」と表現しています。

ここにまさに表れているかと思うのですが、この曲には、当事者2人の感情というメインテーマを、シオンが(半ば勝手に)代弁するという構図があります。

2-3 なんでシオンは急に歌い出すのか?/歌い出せるのか?

本作の登場人物たちは、ゴッちゃんとアヤは上記のとおり、サトミの方はトウマ(素崎十真)と過去のある一件のせいで、思っていることを上手く伝えることができずにすれ違い続けています。そのほかディスコミュニケーションの数々。

その思っていることも、事ここに至ったとて、そう簡単に出てくるはずがない。

そこに、シオンが「歌って」思いを伝えて、つながりを作っていく。
(あるいは当事者からすれば軽々にも。)

劇の中の理屈として、(そもそもなぜシオンは「歌う」のかという点は核心が過ぎるのでここでは割愛しますが)、AIを搭載したロボット(ということをほとんどの登場人物は知らないので、あるいは不思議な転校生)という特殊な立場なおかげで、日常の中でも「歌う」ことが受け止められるようになっています。

そして、劇の外の理屈として、2-1に書いたとおり、「歌う」ことで違和感少なく感情をあらわにさせることができ、登場人物たちをつないで、物語を展開させていくことができているのか、と考えてしまいました。
(これが、単にお節介なキャラ、というだけでは物語として成立しなかったのでは、と考えています。)

無論、そんな理屈なしに音楽劇という形式は成立しますし、パンフレットでも吉浦康裕監督が「周囲をひっかきまわすシオンというキャラクターに与えるべき突飛な性格」として「『場所を選ばず突然歌い出すという』というアイデアが浮かびました」と述べているので、上記のような効果を格別狙った作品ではないのかなとは思っています。

ただ、標記の問いかけに対する回答としてここまでクリーンヒットする作品が出されると、こうして考えずにはいられませんでした。

3-1 AIやテクノロジーの世界観について(最高だった)

冒頭からずっと「こういう未来が見たかったし来てほしいんだよ!!!」と思わされ続けます。めちゃくちゃ興奮した。「イヴの時間」でも感じた独特の機械観が随所に垣間見られます。

最たる例が冒頭の炊飯器
サトミが炊飯器に柔らかめのご飯を頼むようお願いすると、炊飯器は水の量などを数値で具体的に示して確認を求めました。
あの地に足のついた描き方は、ありそうでなかなか見ることができない気がします。

「竜とそばかすの姫」でもその辺りはかなり実現していて嬉しかったんですが、同作はインターネット空間の中の比重が大きく、物理空間を描く時間が本作に比べると短かったので、なおさら舞い上がってしまいました。

しかし、「竜とそばかすの姫」と「アイの歌声を聴かせて」が同じ年に公開されるというのが、もう2020年代に入ってしばらく経つのに現実はまだこの体たらくか? と疑問を投げかけてきているような気がしないでもない。
せっかくフィクションが現実の先を示し続けているのに、肝心の現実が足踏みしすぎている。

3-2 テクノロジーの危うさを描かないこと

テクノロジー関係で考えてみると、興味深かったのは、AIを筆頭とするテクノロジーの危うさの影が意図的に薄くさせられているように感じました。

それこそ「イヴの時間」では、舞台がロボット法違反を自他共に認めるところの喫茶店であり、しかも規制強化のため内偵が行われるなど、人間とロボットとの付き合い方がかなり緊張感を持って描かれています

対する「アイの歌声を聴かせて」は、シオンのテスト自体が、違法かどうかギリギリの(所管省庁に上手く根回しをすれば問題なしにできるかもしれない)ラインですし、何よりAIやロボットに否定的(危険視している)西城は「敵」として描かれています。
そして、本作の核心(いわば最後に明かされる秘密)では、「消去しようとしたAIが人間に気付かれずにインターネットに飛び出し何年もの間逃げ続けて、その間も「幸せにする」命令の対象であるサトミを様々な機器を介して密かに監視し続け、ついに対面することにまで成功する」という、とうに人間の手綱など振りほどいて自由に活動している様(しかもその内容は特定の人間の監視)が描かれますが、その描かれ方はかなり好意的(サトミにとっても観客にとっても感動的なもの)といって良く、当否は劇中であまり議論になっていません。
(私もボロボロ泣いてしまった。)

サトミの母・天野美津子が危惧するように、世界中で「安全なものとして」活動するAIが、シオンのように動き出すことがあり得るわけで、現に星間エレクトロニクスのロボットや設備はシオンの逃亡に際して立ち上がって動き出す(とあのシーンは理解しているのですが)ので、既にもう始まってしまっているともいえます。

この点、サトミとシオン(とトウマ)という当事者間においては問題ではない、ということかもしれないですし、もっと言えば、これはAIやテクノロジーの問題ではなく、それと向き合う人間の姿勢の問題である、ということであればわかる気がします。
(上記のシオンの逃亡のシーンで、ロボットを危険視する当の西城が、星間エレクトロニクスのお掃除ロボ等を電源も入れずに単なるバリケードとして扱う姿はまさに象徴的な姿勢でした。)

4 「ムーンプリンセス」とは正反対の終わり方

本作の軸ともいえる架空の映像作品「ムーンプリンセス」について。

劇場で観ている時は、いわゆる批判的な文脈でいう「ディズニープリンセス」(王子を待つお姫様、王子と結婚してハッピーエンドetc.)的なものかと思っていたのですが、パンフレットに載っているストーリーを見るにむしろ正反対で、コンセプトとして「自分の信念を貫くプリンセスや友情に重きを置いた、近年のトレンドに則った物語」とまで言っています。
(詳しくはパンフレットを読んでみていただければと思いますが、完全に竹取物語です。)

劇中でも、あのソーラーパネルと風車に囲まれたステージをシオンがきらびやかに演出するシーンで、サトミが「ムーンプリンセス」についてまさに上記のような典型的なハッピーエンドの話ではない、という趣旨の発言をしていましたし、このことからも、曰く「近年のトレンド」に対して極めて意識的であることがうかがい知れるんですよね。

それでいて、あのラストシーン、すなわちシオンの取り持ちでサトミとトウマが結ばれる、という結末にしたのは、あまりに挑戦的で正直驚きました。
(あとはサンダーがかわいそう。)

このラストを、旧来のテンプレと捉えるのも、そう批判することへの再批判ととるのも、あるいは野暮ということなのでしょうか。

有り体に言うなら、誰かが誰かのことを思って、幸せにしようとする極めて単純かつ素朴な行いは、それだけで十分に意義のあることであることなんだ、とか。
(自分の主張を仮託した感じがあって正直空々しいのは承知しているんですが。)

3-2に書いたテクノロジーの件もそうですが、全体として、やや理想的な(夢想的ですらある)気もします
ですが、それも、間違いなく陰の部分も織り込んだ上で(織り込んでいなければこういう描き方にはならず)まっすぐに描いた結果だと思います。
それはひとつ希望をもたらしてくれるということでもあり、そしてフィクションだからこそできることでもあり。
何があれって、その辺りのバランス感覚というか見せ方が本当に上手い。

5-1 その他(ゴミ箱に見えるサーバー!)

○伏線回収の妙
「伏線回収」というと陳腐かもですが、思いも寄らないところで要素と要素がぱちっとはまる気持ち良さが溢れていて、観ていて非常にわくわくしていました。
最たる例が、トウマの拠点である屋上の電子工学部部室にある、ゴミ箱に見えるサーバー
「それ相応のIT企業の人間が家探しに来てサーバー見逃す奴が……奴が……あったかあ……ゴミ箱に見えるもんねえ……」とつい思わされてしまう。悔しい。

5-2 その他(登場人物の名前)

・いわば「敵役」である西城(支社長)と野見山。月が沈む方角だったり、月を遮る典型の象徴だったりするのはなるほどなあと。(ラストで宇宙にまで飛び出したシオンにとっては、もはや方角や地形などというのは支障にならないのかもしれませんが。)
・シオンの名字「芦森」なんですよね……あと地名に「潮月」とか出てきたり……シオンで言うなら、どちらかというとシオンの花の花言葉の方が心に来るかもしれませんが。(「君を忘れない」、「追憶」、「遠方にある人を思う」って。出典。)最後の人工衛星の名前が「つきかげ」というのも踏まえるとなおさら。花言葉好きよねえ。好き。

5-3 その他(「○○になった」シオン)

本当に雑談も良いところなんですが、最後に1点だけ。
シオンが星間エレクトロニクスから「脱出」したシーン、いわゆる芦森詩音のボディは抜け殻となって、目を開いたまま力なく横たわる姿は「死」を迎えたようでありながら、その実、精神はネットワークを経由して、人工衛星「つきかげ」に至ったわけで。
文字どおり「星になった」のは今まで見たことないな……とさっき気付いて「うわー!!! もうやめてくれー!!!」ってなっています。

沼はもがくほど沈むんですね。

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