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名探偵コナン「ハロウィンの花嫁」はなんでハロウィンだったんでしょうね、とか(ネタバレ感想)

劇場版名探偵コナンの「ハロウィンの花嫁」を観てきました。

聞こえてくる前評判が全部良い(というか「前評判良いよね~」という評判しか聞かない)ので、若干おっかなびっくりに観に行ったのですが、確かに凄かった。考えれば考えるほど練られているポイントが見つかって腕組みせざるを得なくなる。

(以下、全編ネタバレです。過去のコナン映画のネタバレも含みます。というかそれに触れざるを得ないということがネタバレかもしれない。)

「ハロウィンの花嫁」って!!!!!!

タイトルでネタバレする勇気

その最たるものがタイトルで……

今回の犯人、クリスティーヌ・リシャールは自分の計画を妨害した警察学校組への復讐、そして邪魔な存在である「ナーダ・ウニチトージティ」の排除を果たすべく、警察関係者(村中努)に近づき、花嫁の「仮装」をして壮大なテロ(あるいは「悪戯」?)を計画する。まさにハロウィンの花嫁……

というのを佐藤刑事と高木刑事の結婚式と思われていたシーンが警護のための訓練だった(→2人の晴れ姿は仮装だった)と判明したところで気づいて、本当にそうだったら最高すぎてどうしようと思っていたら、犯人当ての直前に「まさか、村中さんがプラーミャ……!?」というくだりが出てきたのでうきうきでした。ルートが固まった瞬間。悪い見方。

今までのコナン映画でも、観た後で意味が変わる、というようなタイトルはあったと思います。
「緋色の弾丸」は、赤井秀一の撃つライフル弾、というイメージを与えつつ、赤色の「日本の弾丸」(時速に応じて車体のライティングが変化する超電導リニア)を撃ち込む、というオチを暗示させていたわけで。
ただ、「ハロウィンの花嫁」はこれまでにないレベルで直球だったので驚きました。ってか勘の良い人は予告でわかった気もする。
こんな堂々と観客に挑戦してくる脚本の大倉崇裕さんが格好良すぎる。

秋を舞台にしたところで気づくべきじゃん

コナン映画は従来、GWに公開されることを踏まえて作中の時間軸も春~夏を設定することが多かったので(「時計じかけの摩天楼」はまさに。暖かくなる時期は爆弾テロが旬。)、わざわざ10月のイベントを持ってきたのはどういう意図なんだろうとぼんやりとは思っていました。
(ただ、「沈黙の15分」の例外があったので、まあたまには季節を外さないとか……くらいに考えていたのです。浅はか。)

今になって考えると、「揺れる警視庁 1300万人の人質」が秋だったことも踏まえれば警察学校組が主軸になる作品で秋のイベントであるハロウィンを主軸にするのは自然、という見方にもなるんでしょうね。罠が多い。

新しいことと古いこと

次に気になった点でいうと、新しいことへのチャレンジと原点回帰が入り混じっているのが印象的でした。

チャレンジ

前者としてはまず、メタ的な描写があります。毛利小五郎に麻酔の体制ができているとか(ツイッターで流れてくる二次創作でよく見る)、新参の松田刑事に米花町はやたら事件の絶えない町だとツッコませているのとか(犯沢さんの立つ瀬が)。
あとは冒頭の説明パートの構成です。年々演出が変わっていっているなあとは思っていましたが、始まりと終わりの本編との繋ぎが随分シームレスになったりタイトルがパートの最後にばーんと出たり(普通のアニメ映画っぽくなった感がある)。

原点回帰

後者でいうと、まず驚いたのが冒頭のどこでもボール射出ベルトの強化に失敗したシーン。あの地面をえぐるほどの爆発を見ると、原作第1話で阿笠博士が実験に失敗して隣家の新一を叩き起こすほどの爆発を起こしたシーンを思い出しました。
さらに、その強化版ベルトでボールを膨らませて液体爆薬同士の接触を防ぐシーンで「キミがいれば」を流すのは「時計じかけの摩天楼」の東都環状線を退避させるシーンを想起させます。勝ち確BGM
(でもそこで終わらせずにもう一回クライマックスを持ってくるのが憎い。確かに東都環状線のシーンもまだ事件全体としてはまだ中盤。「この素晴らしい世界に祝福を!」のアニメで1回目の山場ではOPが流れる感覚を思い出す。出せる例がそれしかない。引き出しがなさすぎる。)

そうなった理由(があるのだとすれば)

特にこの「キミがいれば」をあえて持ってくるところなどは、本作はこれまでのコナンの歴史の延長線上にあるぞ、という主張を感じなくもない。
そういう主張があるのだとすれば、なぜそうする必要があったのかと考えると、まさに本作が原作エピソード「揺れる警視庁 1300万人の人質」の物語を明確に引き継いである種のケリを付けるものだったから、という意識があったのかなあと。

松田刑事が捜査一課に転任してから観覧車の一件に至るまでの間が補完される過程、警察学校組の面々の扱い方(特に諸伏景光が公式には消息不明であることに対する周囲の反応の仕方など)を見ると、この「続編」がある前提でかの原作エピソードがあったのではないかと思わせるほどです。
その精巧な作り込みがないと、警察学校組を主軸にした作品としては成立しないわけですが、それをやろうとすると原作漫画を筆頭とするコナンの歴史との連続性をどうしても意識しないといけない。

でも、あくまでこれはアニメの新作劇場版であって、その歴史に囚われすぎてもいけない。

なんかそういう葛藤があったのかなあと、漠然と思ってしまいました。

※そういう葛藤があるのだとすれば、それが一番表れていたのはむしろ、松田刑事の携帯電話かもしれません。まさかスマホになっていると思わなかった。毛利蘭はまだガラケーなのに(そら新一からプレゼントされたものだから仕方ないんだろうけど……)
これが一番しちゃいけないネタバレな気がする。

現実の渋谷を描くことへのこだわり

109が109だ!!!

最初に109が出てきた時、「ちゃんと109って書いてある……!」とびっくりしたんですよね。たいていフィクションに出てくる109って数字を変えているじゃないですか。
それ以降も実在する建物名が次々出てくるので「これ全部わざわざ許可とったのか……」と思ってたんですが、もっときちんと考えるべきでした。そらあのオチやるなら許可とらないといけないですよね。「紺青の拳」でシンガポール政府観光局がクレジットされていたのと同じく。
ここに描かれているのは本物の渋谷なんだ、と強烈に認識させることであのラストをきちんと観客に受け止めさせることができますもんね……

そんなに街を破壊したいのか

「紺青の拳」でシンガポールをめちゃくちゃにしたところでも思っていましたけど、脚本の大倉崇裕さんって過去の映画に負けないように破壊するなら街ごとやるという気負いがあるのか、そもそも街を破壊したいという欲求があるのか、どちらなんですかね。
(「GODZILLA」(アニメ版ゴジラ)のノベライズもやっているので後者なのかもしれない。)

ラブコメ要素

全ての関係性に触れてやろうという気概


あとは大倉崇裕さんの脚本といえばラブコメ要素の押し出し。
「から紅の恋歌」の和葉-平次(-紅葉)、「紺青の拳」の新一-蘭(-灰原)に比べると、本作での佐藤刑事と高木刑事の描写は若干物足りないような気もします。特に原作で着実に関係を進展させてきたこともあり。
(劇場版で大きな展開・見せ場を作って良いものかという意識から控えめになったんですかね……)
その分、周囲の恋愛関係に全部触れてやろうという気概を感じました。
白鳥警部-小林先生しかり。(これのために、その前にわざわざ博士の家で灰原の「誰かさんの花嫁姿を想像していたみたいだけどね」から始まるくだりで元太(?)に「小林先生か!?」と発言させたのかと思うと丁寧すぎる。)
千葉刑事-三池さんしかり。(だから千葉刑事襲わせたのか~~)
歩美-コナンしかり。(光彦と元太が、ずるいぞコナン(君)、という表情をしているのを久々に見た。)

灰原の内心が読めない

ちなみに、「紺青の拳」の時は新一-蘭のべったりぶりに感情を露わにする灰原の描写があった気がしたんですが、今回はかなりからっといじっていた気がしますね。
と書きながら、「まあ今のあなたは子供だから毛利蘭との関係を進展させられないんだけどね」という余裕があってのことだったのかもしれないと気づく。
櫻井武晴さんの脚本に見るコナン-灰原の相棒的な関係性よりじとっとしたものを感じる。

コロナ禍との関係(これがわからない)

いまだに解消できないのが、渋谷中央病院に明らかにコロナ禍のものっぽい感染症対策のポスターが貼られていたり、ラストの渋谷の居酒屋の店頭にコロナ対策認証店の表示らしき張り紙があったりしたこと。この世界ではコロナ禍(何らかの感染症)が広まったのか?
爆弾テロで無人になったスクランブル交差点や、プラーミャがペストマスクを付けていたりしたのもコロナ禍を想起させようとしているのか?
だとするとコロナ禍が終息して再びハロウィンができるような世の中になることを密かに願う作品だった……?

細々とした感想

  • 首輪(!)爆弾を付けられた安室さんが王座みたいな椅子に座っている光景が出てくるたびに面白くなってしまった。夢小説じゃん

  • 安室さんが初めてプラーミャを追いかけたときの印象的なジャンプが、再びプラーミャを追いかけてヘリに飛び乗るシーンで回収されるの気持ちよかった~~

  • 風見さんはコナンのことを知っているのか(知っている体なのか)、やや掴みきれませんでしたね。「ゼロの執行人」で確実に「得体の知れない小学生」と認識しているはずなので、もっと親しげに話してても良さそうでしたけどそれを捜査一課などの前でやるわけにはいかないか。

  • 白鳥刑事の「恋路を邪魔してきた負い目がありますからね……」とか、ラストの「勝手に死ぬんじゃねえ! 高木!」とか(あまりにブラックジョークすぎるけど)、みんななんだかんだ高木刑事をかわいがっているね。なかよし捜査一課

  • 夫と子供の復讐のためにプラーミャに銃を向けるエレニカが、それを止めるために(子供の姿と自分を重ね合わせることを承知で(?))銃口の前に立つコナンのシーン。あの一瞬で終わらせるには重すぎる。

  • 「紺青の拳」の時もゲスト声優が外国人役でしたけど、日本語は片言にできるし外国語の巧拙は日本人にはわかりづらいからあえてそうしているんだろうか。「紺青の拳」もそうでしたけど全然気にならなかった。

  • 蘭はさすがにメモの内容を見ていたなら警察に話そうよ。どれだけ場数踏んできたと思ってるんだ。

  • 小五郎が最初に灰原哀を守るのが最大の見せ場なのがちょっと惜しい。コナン映画は毛利家と少年探偵団のどちらをメインにするか、メインにしない方をどう処理するか、に毎回悩まされているんだろうか。クレヨンしんちゃんの映画で野原一家とかすかべ防衛隊のどちらを軸にするかという問題に通ずるものがある。

  • 一人のロシア人がしでかしたことをどうにか収拾するために、反目していた日本人とロシア人が最終的に共闘する流れがあまりに政治的すぎる。(本作が出来上がった後にそういう世の中にした社会がいけない。)

  • 本当に音楽が良かった。菅野祐悟さんの凄さがどんどん更新されていく。音響の良い映画館で聴きたい。スタァライトでそういう身体にされてしまった。結局その話に戻ってくる。

来週また観に行きます。感想は変わるだろうか。


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