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偶然に同じ船に乗り合わせたような関係にこそ旅情を感じる

いつも通っているスタバの店員の方が、今日で退職されるらしい。僕が2011年に福岡に来て、その店に行き出した頃から、その方は働かれていたので、考えてみれば10年以上もよく顔を合わせていた。

客と店員という関係性ゆえ、あいさつ程度しかしていないけれども、それでも10年以上の間柄。最後のあいさつをして店を出る時は、なかなか寂しいものがあった。

このような、日頃頻繁に顔を合わせていて、お互いにうっすら認知し合っているような関係性を、どう表現すればいいのだろう。付き合いはないが、まったくの他人ではない。しかし友人でもなければ、知り合いでもない。出会ったとはいえないから、別れてもいない。

行きつけの店のスタッフや、職場のビルの休憩所でたまに一緒になっていた人、近所で頻繁にすれ違っていた人。
軽いあいさつはしてもそれ以上は話さない。いつからか見かけるようになり、いつの間にかいなくなっている。そんな「一時的なすれ違い」な関係でありながら、ヘタな友人や知り合いよりも印象に残っていたりする。

もし僕が外交的な性格で、欧米人のように初対面でもガンガン話せてしまう人間なら、そのような関係はすぐに「友人」に昇格できるのかもしれない。

しかしながら、あえて互いに距離を近づけない関係もいいような気がする。偶然に同じ船に乗り合わせたような、名もなき関係にこそ、「旅情」のようなものを強く感じるのだ。
今回はただすれ違うような関係であっても、また旅路のどこかで、「あ!あの時の!!」みたいな感じで、再開できるかもしれない。そんな偶然の面白みや期待も、生きている醍醐味なのではなかろうか。

スタバの店員の方、10年間どうもありがとう。また会う日まで。

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