見出し画像

淡々とそして脈々と


「冬のにおいがするよ」と某ジャパニーズポップスターのように、とても微笑ましく福岡の大通りで隣を歩いている友達が楽しそうに言った。なにしろ島に住んでいると歩かないので久しぶりにとても歩いた。島では散歩という概念が淘汰され車社会に染まり散らかしている。と勝手に思っている。

12月の福岡は2年ぶりで、とても暖かかった。(寒くないんかい)。正確には滞在中は晴天に恵まれて雲ひとつなく、さえぎるものがないのでお天道様のまなざしを感じざるを得ない日々だった。こんなに晴れてると白昼堂々計画していたかもしれない銀行強盗団も悪事を投げ出して公園でピクニックしてもいいじゃないかぐらいな気持ちにさせる陽気な天気であった。いや、そもそも週末だったので銀行はしっかりとシャッターを降ろしてセキュリティは万全のはずである。

話を進めます。

近頃はリアルコミュニケーションという言葉が自分の中の巷でぐるぐると蠢(うごめ)いている。
リアルコミュニケーションというと怪しいカタカナに見えるかもしれないが、これは福岡に向かう2週間前に宮古で出会ったハワイから来たという2人組が発していた単語だ。聞けば、某国の某リゾートホテルから送り込まれた刺客で自分たちの足で歩きながら宮古の街の情報を得ていると話しておりそれがリアルコミュニケーションだと某国の英語で話していました。つまりフリーのタウンガイドやSNSの情報に惑わされず自分たちの嗅覚や感覚で街に散らばっている情報を繋ぎとめひとつのマップにするということでありました。
たまたまその日はバーでその2人と居合わせたので愉快な夜を過ごしました。

福岡の話しに戻します。

福岡ではいつもお世話になっている方主催のエキシビジョンが週末からスタートし、そこをメインに再び福岡の地に降り立つことにしました。展覧会前日に来福決行を企んだため、ほぼ無計画状態でしたが久々に会った福岡に住んでいる友だちのスーパーアテンドにより福岡の地で営んでいるたくさんの人々と巡り会うことができました。

その中でひとつ。
来年で創業51年目を迎えるという珈琲屋がありました。そのお店では自分でコーヒーカップを選び、カウンターの目の前でお店のマスターにコーヒーを淹れてもらうという贅沢極まりない体験が訪れました。半世紀という時間を経て培ったマスターの所作やひとつひとつの無駄のない動き、コーヒーの香りはもちろん、コーヒーをとりまく設(しつら)え、レコードで流れているバッハのクラシック曲など言葉にするのも簡単ではない物語を体現することができました。優しいマスターはなんでもお話しに応えてくれ、自分の店が休みの日は自分の息子が淹れるコーヒー屋飲みに行くと語ってくれました。
翌日、紆余曲折を経てその息子さんのお店に立ち寄ることができました。前日、優しいマスターのコーヒーをすすったのも束の間、記憶がよみがえってくるように同じようにコーヒーカップを選び、同じミルで豆を挽き、同じフィルターで淡々とコーヒーをドリップし、終始和やかなおしゃべりで締めくくった完全無欠な日曜日の朝が福岡にはありました。同じDNAに刻まれた五感で感じる全てが世代を経ても脈々と受け継がれている光景を垣間見ることができたのかもしれません。
画面を通してではなく実際に現場を訪れることがいかに大事なのか、リアルコミュニケーションという謎めいたワードの深さを体験した次第です。
そこで起こった出来事はとても色濃く、そして今後も日常で暮らしていく上でも記憶の中に刷り込まれる旅であったのに違いありません。

愉快な夜でありました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?