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色と音のない世界

というのはヘレンが自叙伝『私の生涯』の中で自分の世界を表した言葉だ。
知らない人のために簡単に彼女を紹介すると、彼女は一歳半の時に罹った熱病で視覚、聴覚を失った。聴覚が無いということは当然喋ることもできない。見えない聞こえない喋れない、漆黒の世界。
その世界は7歳の時、家庭教師として来る当時20歳のアン・サリヴァンが来るまで続いた。ちなみに「奇跡の人」という映画があるが原題は「The Miracle Worker」つまりサリヴァン先生を描いた映画だ。20歳から付っきりでヘレンを導いたサリヴァン先生は二人三脚でヘレンを大学卒業させ、その後も一緒に生活しサポートし続けた。

この本はヘレンの自叙伝だが、ヘレンは本が大好きで点字を覚えてから貪るようによんだそう。といっても当時は点字の本は少なく読める本は非常に少なく、盲人が読める本を増やしたのも二人の功績。いずれにせよ、そんな本好きのへレンが書く文章は美しく、素晴らしい本だったのでここで引用しながら紹介したいと思う。


これはヘレンが子供の時のある冬の体験

私は外套をつけ、頭巾をかぶり、外へ出てみました。空気はまるで火のように私の頬をかみます。やがてにわか造りの道を通り、比較的浅い吹きだまりをすぎて、私たちは広い牧場の外側にある松林までたどりついた のです。
木は身動きもせず静かに、大理石の絵様帯のように、まっ白く立っていました。そし て松葉の香りもなく、太陽の光が木の上に落ちると、小枝はダイヤモンドのように輝き、私たちがさわればはらはらと落ちてきました。その光はほんとうに強烈で、私の目を包んでいる暗黒をさえ貫くかと思われるほどでありました。

わたしの生涯 ヘレン・ケラー

ヘレンは目が見えないが強烈な光が暗闇を貫いたのを見た。これはサリヴァン先生が説明してくれた言葉が情景を、光を生んだのか?よくわからないが、この文章の光はいつだったか同じような経験をした気がする。


サリヴァン先生の生物の授業で

小さい水生動物が打ち寄せる波のまん中で、太平洋の美しい珊瑚礁を造ることや、有孔虫が多くの白堊の丘を造ることなどを習った後、先生から「部屋のあるオウム貝」 (アメリカの詩人ブランイアントの詩)という詩を読んでもらいました。
この時私は軟体動物の殻を造る過程が、 ちょうど人間の精神の発達を象徴していることを教えられました。オウム貝の魔法のマントが、 水中から吸収した材料を変化してできあがったのと全く同じ方法で、人の拾い集める知識の断片が、同じ変化をうけて思想の真珠になることを学びました。

わたしの生涯 ヘレン・ケラー


ラテン語を勉強している時に

私は常に感じるのですが、ようやく親しみはじめたばかりの外国語によって、よび起こされ る消えやすい刹那の心象や感想はど、美しいものはないでありましょう。またあの気まぐれな 空想によって形づくられ、色づけられて、心の空をかすめて飛ぶ思想ほど美しいものはないでありましょう。

わたしの生涯 ヘレン・ケラー


優れたる旅路の発足とは、いかなるところにあろうとも、君が到達し、かつ過ぎ行くべき を除いては、ほかに何物をも見いだすことなく、 またいかに遠くとも、君が到達し、かつ過ぎ行くべき以外に時なきことを思い、 さらにまた、延々として君を待つ道、いかに長くとも、果てしなく打ち続きて君を迎う道 にあらずば、見上げ見下すことなく、 しかして君が人々に行き会うごとに彼らの頭脳からは思考を、彼らの心からは愛を取り集めることにあるのだ。

わたしの生涯 ヘレン・ケラー

特に書かれてはいなかったけど、この詩はヘレンのものだと思う。ヘレンも書いているようにウォルト・ホイットマンの『大道の歌』のような大いなる意思が書かれている。宮沢賢治の『生徒諸君に寄せる』みたいな。ホイットマンも賢治ももし読んでなかったら読んで欲しい。



アレクサンダー・グラハム・ベル博士と

博士はシェークスピアの書いた『ベニスの商人』に出てくるポーシャの慈悲の演説が好きで、ドライデンの訳したホレースも好きだといっておられました。

今日をわがものといいうる人ぞ幸いなる
明日はいかにもあれ、われ今日を よく生きぬといいうる人のみぞ幸いなる
雨、降らば降れ、陽、照らば照れ
わが喜びは常にわがもの 天さえも過去は改めえじ
過ぎしものは過ぎしもの われなすべきをなしおわりぬ。

わたしの生涯 ヘレン・ケラー

博士というのはアレクサンダー・グラハム・ベル博士のことで、電話を発明した人。


成功は自分の力じゃない

かつて私は、人間はおのが運命の自主であって、これをどんなにでもすることができるものであるというふうに考えていたのです。だからして私はこれまで、なんでも強く欲しいと思いさえすれば、必ずどうにかして得られるものだと信じておりました。私にしたところで、聾者であるということを征服して幸福になれるのですから、だれでも勇ましく人生とたたかいさえすれば勝利を得られるものだと思っておりました。
しかし、私は処々方々を旅行してまわっている間に、自分は今まで自分にも よくわかりもしないことを、いかにもわかっているような顔をして話していたのだということ に気がつきはじめました。
私の今日あるは、生まれ落ちてからの環境のよかったことによるもので、尚それよりも多く人々の情によるものであることを忘れてしまっていたのであります。 ゆえに私が今日のような人間になれたのも、それにふさわしい環境があって育ててくれたためによるものであることを忘れていたのであります。私はまるで鏡ばかりでできている宮殿に住 んでいて、その鏡に映る自分の美しさのみをながめていた王女のようなものだったのです。ほんとうに私は自分の幸福の影ばかりをながめていたのです。けれども、今ようやく私は、成功というものはだれにでもむやみにできるものではなくて、機会によって与えられる教育、家柄、 友人の尽力に基づき達成しえられることを知ったのです。
私はまた、人間は僅々五十年の間に、それ以前には何千年もかかってようやく得たものに比べ、なお多くのものを得はしたものの、 自分の幸福と成長とを見失っていることを悟りました。
御覧なさい、人間を望みのない労働か ら救い出そうとして濫用された動力が、いまや人間そのものを支配するにいたっていることはなんと嘆かわしいではありませんか。
鉱山や、工業都市へ行った時にはことにこの感を深くしました。そこでは多くの労働者たち が、自分らにはなんの関係もない慰安や、美を創り出すために、悪い空気の中で立ち働いているのであります。

わたしの生涯 ヘレン・ケラー


制作のはなし

今にして思えば一冊の書物を書くということは、リーブリング大佐の絵画建築のようなものであります。私たちの意識というお盆の中には、経験という紙片が無数に散乱しております。 あるいはそのお盆の中には分裂した自我が載せられているといってもよいでしょう。そこで私たちのしなければならないことは、その分裂した自我と、それから山もあれば川もあり、大洋もあれば大空もあり、噴火山、沙漠、都会、人間もあるといったような周囲の世界をことごと く総括して一個の統一体に仕上げるということなのです。
ただこの場合困難なことは、同じ紙片でもそれを見る時の私たちの心持ちによって、ただちに感じが違ってしまうということです。 たとえばある紙片を取り上げたにしても、すぐにそれがいろんな連想や当時の信仰、人事の往 来というようなもののためにハムレットの言葉ではありませんが、「青白い憂慮に白ちゃけ」 てしまっていることに気がつくのです。私たちが新しい経験を重ねるごとに、その紙片もふしぎに変わってゆきます。そしてあれでもないこれでもないと考え抜いたあげく、おいて見たものが、てぎわよく組み合わないということもあります。またせっかく良い絵ができあがったと 思っても、お盆の中にはまだたくさん他の紙片が残っていて、それらも使ってみたい気持ちがしはじめ、また事実、仕事がはかどるにつれてその取り残された紙片もたいせつであることがわかってきて、壊して初めからやり直しというようなことにもなるのです。それからまた図案の中の一つの経験を不規則な糸をたぐってたどってみると、初めの計画と現実の事実とが奇妙な取り合わせになっていたりして驚くというようなこともあります。

わたしの生涯 ヘレン・ケラー


特別扱いしない

親愛なる読者よ。私はここであなたにしばらく、近所にいる盲人のことを思い出していただきたいと思います。あなたはその盲人がたびたび街中を、降っても照っても杖でベーブメントの上をこつこつとたたき、からだを硬直させて、耳を澄ませ、闇の迷宮の中を歩ませてくれる音響を捕えようと、見えない同胞の間を縫うようにして用心深く歩いている姿を見たことがあるでしょう。
あなたはその盲人を見てかわいそうだと思い、いったい盲人の思想や感情はどんなに違っているものかしらんなどと考えながら素通りして行かれたことでありましょう。だが、こんな間違った、残酷な考えだけはやめてほんとうのことを学んでください。心はどこまでも心で、苦痛はどこまでも苦痛であるのです。あなたのうちにあると同じように、盲人のうちにも、歓喜も、恋も、野心もあるのです。
あなたの欲しいと思うものは、盲人だって欲しいと思うのです。あなたと同じように盲人だって愛や、成功や、幸福のことを夢見るのです。あなただって何か怪我でもして明日にでも盲目になったとしても、今のあなたの欲望はそのまま欲望として残るだろうという想像はつきましょう。

わたしの生涯 ヘレン・ケラー


最後に


ここまで本の中で僕が心に残ったことを載せた。他にもたくさんあるんだけどこの辺で。でもこの本で本当に強烈な部分はヘレンが先生、守護神と語る『アン・サリヴァン先生』を語る時。僕は今までこんなに愛が伝わる文章を読んだことがない。感謝と愛が溢れ出ていて、読むだけで愛の片鱗を感じることが出来る。




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