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夢を持ち努力を続ける人を見て、博士に行かず就職を決めた

2月もまもなく終わり、新年度を迎える。
進学や就職などで環境が大きく変わる人もたくさんいるだろう。

私も進学や就職、転職などの一大イベントを経験した。
そして、特に印象に残っているのは大学4回生の研究室配属だった。
今回は私自身の研究室選びとその後の進路選択について書いてみる。


やりたいことが特にない私は「人」でラボを選んだ

どんな人達と一緒に過ごすか、という点も大事

研究室を選ぶとき、おそらく最も重視されるのは「研究内容」だと思う。
私の周りにも「合成実験が好きだから有機系に行く」とか「理論を考えるのが好きだから計算化学系に行く」と言ってた人が居た。

ただ、私は研究したい分野や興味のある分野が特になかった。
なので「研究室の人たちと合いそうか」「いま、知識がなくても何とかなるか」「時間拘束はどれくらいか」などの観点で選んだ。

研究室配属とその後の流れ

私が在学していた京大理学部の化学専攻では4回生で研究室配属となる。
その前に「研究室訪問」というイベントが有り、各研究室の見学やスタッフや先輩との交流会がある。
そして研究室訪問後に第3志望まで研究室を選び、人数調整後に正式配属される。

また、ほとんどの4回生は大学院に進学する。
院試でも志望研究室をいくつか選ぶが、ラボを変えない人が多い。
なので、修士まで進むとしたら基本的に同じ研究室に3年間在籍することになる。

研究室の環境と人のタイプを踏まえ、最後はエイヤで選ぶ

前述の通り、当時の私は特定の分野に興味があるわけではなかった。
なので設備などの研究室の環境、スタッフや先輩の人柄、あとは厳しすぎずヌルすぎずという観点で選んだ。

分野を絞ってなかった私は色んな研究室を訪問して色んな先輩と話した。
そして最終的に以下の観点で選ぶことにした。

  • 人数:少ない方がいい。専門知識ゼロからのスタートなのでスタッフや先輩からの指導を受けたかったため。

  • 設備環境:整いすぎていない方がいい。自分で設備や環境を作り上げる経験もしたかったから。

  • 人柄:ここはほぼ直感。私のようなコミュ障でも普段から相談できそうな人がいるかどうか。

最終的に私が選んだのは物理化学系の研究室だった。
2年ほど前に別の研究機関から移っており、実験環境は構築中、先輩も少ないラボだった。
スタッフは結構丁寧に指導するし、話しやすい先輩もいた。
正直、ここ以外にも興味ある研究室はいくつかあったけど、最後はエイヤで選んだ。

先輩から研究を教わり、先輩を見て就職を決めた

様々なことを2人、3人で行ってきた

結論として、私の研究室選びは大成功だった。
スタッフとは週1回で定例のミーティングを実施、正直めちゃくちゃ厳しかったけども理不尽さはなく、研究に対する姿勢を叩き込まれた。
実験環境についても、ゼロから自分で設備を組み上げたので装置の仕組みから学ぶことができた。

ただ、何よりも良かったのは良い先輩に出会えたことだった。

夢を語りながら努力し続けていた先輩

先輩は2つ上で、当時とあるテーマを1人で研究していた。
配属された私はそのテーマを先輩と一緒に進めることになった。

私自身はそのテーマに関する知識はまったくなかったが、先輩は丁寧に説明してくれたし参考文献も沢山教えてくれた。
そして論文に書かれた数式の解読を一緒に何度も行っていた。
(ちなみにその後、後輩がやってきて論文の解読者は3人になった)

その先輩は大学院生のころから「自分は大学の研究者になり、研究活動と学生への教育に打ち込みたい」と言っていた。
そしていつも勉強していたし、学会では他大学の研究者や学生と交流していた。

その姿を見て、私は「この人は元々すごい人なんだ」と思っていた。
だけど本人は曰く「学部生の頃は『三バカ』の1人だったよ」と言っていた。
どうやら努力によって実力を付けていったらしい。

いずれにせよ、私はその先輩に本当にお世話になった。
大学院のころに研究以外のことで打ちのめされる出来事があったけど、そのときも助けてくれた。

私にとって研究室選びで最も良かったことはこの人に会えたことだと思う。

先輩みたいになれないと思って就職を決めた

さて、時は流れて就活シーズンが始まった。
ただ当初、私は博士課程への進学を考えており、就活をまともに行っていなかった。

だけどその頃に身体を壊して1週間ほど入院した。
そして研究を続ける日々から離れたなかで、改めて本当に博士課程への進学、ひいては大学で研究者になることについて考えてみた。

「自分は何か1つのことを極めたいのか」
「自分は何十年も情熱を持って研究に打ち込め続けられるのか」
「自分は後輩に親身になって指導できるのか」

これらを自分に問いかけたとき、私の頭の中には先輩が浮かんだ。
そして「自分は先輩のようになれない」と思った。

今思うと博士号を取得した後に企業で働く人はたくさんいるし、進路の視野が狭かったと思う。
だけど当時の自分は「博士取得=大学に残る」という進路しか考えていなかった。

こうして私は入院中にベッドの上で就活を始めた。
入院で企業説明会を沢山キャンセルしたけども、最終的に何とか大手化学メーカーに就職できた。

もし入院してなかったら私の進路は大きく変わっていたと思う。
なんとも数奇な運命だ。

私と先輩のその後

こうして私は修士課程を卒業後、先輩とは異なる進路を歩むことになった。
ただ、その後も個人的に先輩の成功を願っていたし、研究業績はたまにチェックしていた。
が、先輩は私の予想を上回るくらいとんでもない業績を上げ続けていた。

この人は化け物だった

先輩は博士号を取得後、アメリカの名門コロンビア大学で研究を続けた。
その後は飛ぶ鳥を落とす勢いで次々と研究成果を発表。
以下、代表的な業績を並べてみる。
(化学系じゃない人には「とにかくすごい」ということが伝われば嬉しい)

・Science, Nature Chemistry, JACSなど主要ジャーナルに筆頭著者で論文掲載
・被引用数(他の研究者が論文を引用した数)が100を超える論文10報以上
・Chemical Reviewにも筆頭著者として論文掲載
・文部科学大臣「若手科学者賞」受賞
・30代半ばで旧帝大の准教授に就任

改めて書くと業績がエグすぎる

なんだこの人。
すごすぎないか。
化け物じゃん。
そりゃオレだって「こんな人にはなれない」って思うよ。

「大学で自分自身が研究者として成果を出す」
「そして学生教育にも力を入れて未来の研究者を育成する」
その夢を語り続けていた先輩はまさに今、夢を実現させ続けている。

私はそんな先輩の研究における1人目の後輩だった。
大学に残らずに就職することを選んだ私であるが、アカデミックの世界で先輩が活躍するのを見ると誇りに思う。

就職して転職して、何だかんだ生き延びてる私

先輩が夢に向かって突き進む中、私は就職したあと1回転職した。
化学系の大学院を卒業して化学メーカーの研究職として働き、色々あって今は流行りのデータサイエンスをやっている。

正直なところ、大きな将来の夢を持って就職や転職をしたわけではない。
何なら今も将来の夢というものはない。
そのときの自分にとっての最善を選び、あとは必死に何とかしてきただけだ。

その結果、自分でもあまり良くわからない人生になっている。
だけど一つ言えるのは「歳を重ねると段々生きやすくなってきた」ということ。

化学の専門的な知識、コミュニケーション能力、ビジネススキルなど、そのときそのときで必要な能力を必死に身につけてきた。
そして面倒くさい自分という存在とも向き合えるようになってきた。

きれいな人生の歩み方じゃないし、自分のスキルも色んなもののツギハギだ。
だけど大きな夢を持っているわけじゃない自分には、そんなツギハギスキルを増やしていくほうが合っている気がする。

研究室配属が人生の全てではない。
だけど研究室生活が人生に影響することはある。
もしこれから研究室を選ぶ人が読んでいたら、自分にとっての最善の選択をしてほしい。

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