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大学生のまま居なくなった「彼」と俗世に染まった「私」

今日は寝付きが悪かった。
24時過ぎに布団に入り、気がつけば26時。

なんでこんなに寝られないんだろう。
思考があちらこちらを彷徨っている。

あぁ、そうか。
今日は大学時代の友人が居なくなった日だ。
昔ほどは引きずっていないけど、当日になるとフワっと浮かんでくるんだなぁ。

※今回は身近な人が亡くなるお話です。苦手な方は読まないでください。

大学生、哲学者、小説家志望だった彼

「彼」と出会ったのは大学1回生のサークル。
北海道から単身で京都に引っ越した私。
持ち前のコミュ障を発揮して友だちができないなか、幸運にも入ったサークルにはオタクがたくさんいた。

そのなかの1人が彼だった。
男子校出身で大量にアニメ、ラノベを観てきたやつ。
美少女ゲームが好きで、特にAirやKanonなどのKey作品(いわゆる「泣きゲー」)が大好きだった。

自分と好きなジャンルが近くて、自分よりも詳しいやつに出会った私は当たり前のように遊ぶようになった。
彼はラーメンも好きで、特に大好きなのが天下一品の総本店。
私と彼、その他のオタク仲間で何度も自転車を走らせて総本店に向かっていた。

見た目はガリガリで青白く、不健康そうな彼。
だけど天下一品ではいつも頼むのは「スープライスセット ラーメン大」。
大盛りのラーメンをゆっくり食べながら、色んな話をしてきた。

彼は実用的なことに興味がなかった。
いつも話すのは「幸せとはなにか」「なぜ我々は働かないといけないのか」といったことばかり。
まぁ京大生にはたまにこういったやつがいるもんだ。

一方で私は完璧主義で「正解」しか答えたくない性格だった。
そのため、哲学的な問いに対しては自分の考えを言いたくなかった。

だけど彼は私の回答を待っていた。
私がたどたどしく、支離滅裂な答えを話すのを待っていた。
そして私の意見に考えを被せてきて深堀りするのであった。

ソクラテス式の問答なのか、今となってはわからない。
ただ、彼はいつも哲学書を持ち歩いていた。
しかも古代ギリシャから始まって19世紀ヨーロッパの哲学書まで幅広く読んでいた。
ちなみに彼は理学部、文学部どころか文系ですらない。

私はそんなやつと一緒に何度もラーメンを食べに行っていた。
そして難しすぎる問いを投げかけられて悶々としていた。
だけど、それを繰り返すことでいつの間にか「正解しか言いたくない」という性格が変わっていった。

そんな彼の趣味は小説を書くこと。
だけど小説は決して完成することはない。
パソコンに下書きを書いては消して、を繰り返していた。

「お前も何か書いてみろよ」と私はよく持ちかけられた。
だけど毎回断っていた。
完璧主義で正解しか書きたくない、そんな私が小説なんて書けるわけがない。

「何よりお前も書いてないじゃん」
心のなかでそう言い返していた。

「彼はいつか居なくなる」そう思うようになった

彼はよく周りのことを優先していた。
サークルでも雑用を引き受けすぎて徹夜しまくっていたし、人間関係のいざこざも取り持っていた。

そんな彼の口癖は「消えたい」。
だけどそれは要するに「いまの仕事を全て投げ捨ててどこかへ行きたい」というもの。
冗談半分で言っていたので、こちらも「いつものことか」と思っていた。

というのも彼は周りのことを優先しすぎていたから。
雑用を引き受けすぎて自分自身は講義に出席せず、単位が危うくなっていたし、メシも食わずに仕事をしていたこともあった。

そんな彼の言う「消えたい」は要するに「全て投げ捨てたい」だった。
だけど本当に消えることは無いだろう。
なぜならば周りを優先しているから。
周りを優先しているやつが周りが悲しむことをするはずはない。
そう思いこんでいた。

だけど大学3回生の後半のころ、私自身の考えがだんだん変わってきた。
「あれ、こいつはもしかして本当に居なくなってしまうのでは」

3回生の後半になるとみんな段々将来について考えるようになる。
自分は将来どうしたいのか、どんな仕事をしたいのか。
要するに社会に出ていく準備に入っていくのだ。

私自身も理系で大学院進学は決めていたけど、周りの雰囲気に流されて将来を考えるようになった。
そのときにふと思った。
「彼は卒業後、何をするんだろう」

相変わらず哲学と小説の世界に生きて、社会に出る雰囲気が全くない彼。
何なら私だって、彼が社会に出て頭を下げたり愛想よくする姿が想像できない。

そう思いながら彼といつものようにラーメンを食べ、哲学的な話をしていると私の頭に考えが浮かぶようになった。
「彼はいつしか居なくなってしまう」と。

社会は厳しい。
自分の大義を曲げないといけないときもある。
そんな現実を彼が我慢して受け入れるとは思えなかった。

その瞬間「消えたい」という言葉に重みが出てきた。
どうしよう。
でも、彼にうわべの言葉が届くとは思えない。

私はいつしか「彼が居なくなること」を受け入れてしまった。
しかも「私が卒業した後」という卑怯な言い訳とセットにして。

そして私はいつの間にか深く考えるのをやめていた。
やめてしまった。
だって彼はいつものようにラーメンを食べにいこうと私を誘い続けていたから。
大丈夫だと思いこんでしまっていた。

そして彼は急に居なくなってしまった

「当たり前」とは恐ろしいもの。
毎週のように彼と遊びに行っていた私はいつしか「消えたい」という言葉に慣れてしまった。

そして更に1年が経ち、学部を卒業して修士1回生になったころ。
みんなが就職したり大学院に進学したころ。
4月29日が「その日」だった。

私はその前の週、彼とラーメンを食べていた。
「じゃあまた」「うん、また」

いつもと変わらない簡単な挨拶。
だってそりゃそうだ、私は「また」会えると思っていたから。

私は当時ルームシェアをしていた。
そして4月29日、祝日で研究室が休みだった私はお昼まで寝ていた。

\ピンポーン/
チャイムが鳴る、こちらはまだ寝てるのに。
同居人に対応を任せて私は布団の中にいた。

やってきたのはサークルの友人。
でもなぜか様子がおかしい。
声が震えている。

「あ、これはもうダメだ」
頭の中にサッと浮かんだ最悪の結末。
「いやだ、起きたくない。現実を知りたくない」

だけどもう起こってしまったこと。
現実。

彼は自らの手で「居なくなること」を選んだ。
彼にとってその選択は日常の延長線上にあった。
「きっかけ」というものはない。
あえて言うなら「大学生」という4年間が終わったからだろうか。
※彼自身は留年して5回生だったのだけど。

その出来事を知った後の記憶は正直ほとんどない。
周りの友人もみんな呆然としていた。

ただどうしても忘れられないのが告別式。
最後のお別れで棺のフタを開け、彼の顔を見た。
見慣れた顔だった。
顔色は元々悪かったし、本当に寝ているみたいだった。

だけど彼の顔は冷たかった。
人の顔を触ったときに感じるはずのない冷たさ。
それは彼が生命活動を停止し、ただの「モノ」になってしまったことを表していた。

「あぁ、そうか、本当に居なくなってしまったんだ」

私は死後の世界を信じない。
人間という生物がただ生命活動を停止しただけだ。
だけどその事実が私の心をえぐった。

事実を理解した瞬間、体の力が抜けた。
立ち上がることすらできない。

ある意味、私の「大学生活」が終わった瞬間だった。

今も居たら彼はどんな文章を書くのだろう

この出来事は私をずっと苦しめた。
30歳くらいまで、何度も急に思い出して心が締め付けられた。

だからこそ私自身は生き続けることにした。
友人は私のことを「生きるのがしんどそうな性格」と言う。
確かにそうだ。
だけど私は「生きるのがしんどそう」に加えて「だけど生き続ける」ということを付け加えたい。

だって居なくなることは周りの人への一番の攻撃になるから。
こちとら10年弱は苦しめられているんだ。

だから私は何とかして生き続けている。
そうやってもがいていたら、最近やっと生きやすくなった。
背中の重荷が少しずつ取れた感じ。
重荷自体はまだまだたくさんあるのだけど。

それはさておき、最近思うのは「彼が今も居たらどんな文章を書くのだろう」ということ。

あれから10年以上経ち、様々なSNSが登場してきた。
もちろんnoteもそのひとつ。

当時は文章を書くことを頑なに拒否していた私。
だけど私自身は今こうやってnoteを書いている。
それは「発信しやすい環境」になったから。

当時はwordに下書きしかできなかったけど、今はnoteで発信することもできる。
出来かけでもいい、未完成でもいいので彼の文章を見てみたい。

何より私がこうやって書いている文章も読んでほしい。
たぶん今の私の文章を見て彼は「俗世的だ」と言うだろう。
あと、こうやって彼自身のことを書いたら「はぁー!?なんでオレのこと書くねん」って言うだろう。

だけど書いたっていいじゃないか。
こっちだってずっと苦しめられてきたんだ。
それくらいの仕返しはさせてくれよ。

あとは私自身がこうやって文章に残せるようになったのが大きな進歩なのだ。
文章に残すということは適切な距離感で向き合えるようになったということ。

そう感じながら俗世に染まり、社会に染まりきった私は大学時代の思い出としてこの出来事を保存するのだった。

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中身はぜんぜん違うけれど、この記事を読んでふと昔を思い出し、書くことにしました。
この記事も本当に心に刺さるすごい記事。

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今日の晩ごはんは天下一品にした。
大学生のころと同じように「スープライスセット ラーメン大」

あの頃より値段が高い、大阪のお店は刻み海苔がある。
変化したことがいっぱいだ。
何より変化したのはスープライスセット大を食べきれない自分のお腹。
こんなに量が多かったっけ。

もうこんなに食べ切れないや

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