ケンジ

王将&TheGov'norBrothersというバンドでベースを弾い…

ケンジ

王将&TheGov'norBrothersというバンドでベースを弾いています。趣味で中国語を勉強中。犬と言葉が好き。

最近の記事

雑記(4/10)

100%敵の人はいない。 100%味方の人もいない。 その時々の状況や関係性次第で、褒められる•賛同されることもあれば、否定や批判をされることもある。 こちらから他者に対しても同様に振る舞うことはしてよい。 普段の関係性をきちんと築くことができていれば、いくつかのマイナスポイントが瞬間的にあったとしても後々また修復できる。 ノーミス、瑕疵をひとつも生まない、ということを目指さなくてもよい。

    • さらっと

      もっとさらっと文章をアウトプットしていきたい。 noteを書こうと思ったらある程度まとまった時間を見つけてじっくり時間をかけてじゃないと書けないことが多い。 Twitter/Xでも大抵一回は下書きに寝かせる。 その言葉が自分の気持ちに本当に背いていないかとか、言葉ではこう言ってるけど実際の行動ではできていないんじゃないかとか、何度も考えなおして精査してしまう。 普段の会話でも、言いたいことを脳内で何度か反芻して推敲してようやく口から出せる。 「これを言ってシラけたら嫌だな

      • 色々なところでよく耳にする「ありのまま」や「自分らしく」という言葉があまり好きではない。 素の自分は自分勝手で、乱暴で、口も悪く、人の不幸などどうでもいいと思っている。 目一杯着飾って、「やさしくあろう」と心がけて、自分の言動を抑制して、ようやく人に好かれる自分でいられるし、自分のことを好きでいられる。 押し付けがましいのかもしれないけれど、「目の前の人のため」「不快にさせたくない」「喜んでもらいたい」という動機で人を喜ばせることができている時しか自分のことを好きでいら

        • 正解がわからない

          いつだって自分のことを俯瞰してダメ出しする自分がいる。 自分の振る舞いや言動に対して「これは人から見たらどう映るんだろうか」を常に気にしてしまうし、脳内反省会は日常茶飯事。 いわゆる"自己肯定感"が低いほうで、「自分の性格のここらへんは良くないな(他者から見てどうなのかはわからないが)」とかはしょっちゅう省みる。 自分の持っているダメなところばかり目について、でもそれに対してできる限り卑屈にならず、「少しずつでも変えていこう」という意識はもっているつもり。実際の行動が伴わな

        雑記(4/10)

          「物語を捨ててからが人生」

          「物語を捨ててからが人生」 Twitterで固定ツイートにしている言葉。 「自分はこういう存在で、役割で、こういう運命にあって、こうでなければならない」みたいな、自分自身に対するラベリングみたいなのを"物語"と呼んでいる。 そういった"物語"を捨て去ったとき、ようやくその人の人生が始まると思う。 周囲には割と"物語"に執着してしまっている人が多いように感じる。 そういった人は往々にして「○○だから」を言い訳にして行動することを避ける。 以前の自分もまさにそうだった。 "で

          「物語を捨ててからが人生」

          何度目かの初投稿

          学生のころから何度か、ブログを始めては数件だけ投稿して飽きて、数年経ってまた別のところで新しいブログを始めて、みたいなことをしてた。 このnoteのアカウントも、元々見る専用で作ったものだけどせっかくだからと思っていくつか投稿して、飽きて、しばらくしてから過去の記事を全部消して新しくやり直して、そしていままた過去の記事全消し&リスタートしてみた。 そもそも小さい頃から長文を書くことが苦手オブ苦手だった。 小学生の頃から、作文の課題を出されては、最初の書き出しをどうしていい

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