描き続けるための絵画教室 その2:見ることのパラメーター(1)

見ることのパラメーター

第2回を読み返すと、なんだか要領を得ていないので、
書き直すことにした。

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さて、道具の話に入る前に、
世の中で開かれているデッサン講座や美大受験のデッサン講習会などでは何が行われているのかをみてみたい。

デッサン講座体験会の初日、期待と不安を胸に教室に入ると、
あなたの席の前には、以下のような物が置かれている。

 白くて低い台、その上にコンクリートブロック、そのブロックの上にリンゴが一個。そしてそれらの手前にはワインの空き瓶が転がっている。

はたして何事が始まるのかと、あなたはじゃっかんの動揺を覚える。
軽い挨拶のあと、大した説明もなく早速それらを描くように講師に促され、
なにがなんだかわからないままに、鉛筆で行き当たりばったりの写生を始める。
「こんなの、いきなり無理だわ」
などと思いながら。

ここで講師は、その時点でのあなたの絵のレベルを試している。
要するに、あなたがどれくらい「描けるのか」を確認するための試験だ。
(その鉛筆画で、その後の指導方針などを決める)
この場合の「描ける」というのは、前回お伝えした、
目と脳の間に介在して、「見ること」のパラメーターをあなたがどれほど
認識しているか、ということにほかならない。
少なくとも、あなたがコンクリートブロックや赤いリンゴにその場で感動して、
それを絵で伝える、というようなことを見るために行われるわけではないのだ。

見ることのパラメーターとは、
物体の色や形、陰影、位置や距離、材質、表面のテクスチャー……など。
いうなれば、エクセルの表にまとめられる程度の項目だ。
講師はあなたのおぼつかない鉛筆画を見て、その項目の認識度合いをチェックしている。

デッサンではそれらの項目を一つひとつ確認したうえで、

 白い台の上に、コンクリート製のブロックが置いてあります。
 その上に赤いリンゴが載っています。
 ガラス製の濃い緑色の瓶が斜めに置かれています。
 天井からの照明で影ができています。

というように言語化する。
デッサン講座や美大受験でのデッサンとはそういう「言語化する作業」のことにほかならない。
たとえるなら、登場人物(モチーフ)のパラメーターを全部把握したうえで、
脚本(言語化)を基に、演劇(物体の状態)を紙の上に再現するとでもいえばいいだろうか。
もちろん、それはデッサンの限られた側面でしかないが、
絵の入り口におけるデッサンとはそういうものだ。

あなたの動揺はよく分かる。
絵という右脳バリバリの未知の世界に踏み込む意気込みで臨んだはずが、
いきなり左脳バリバリの作業に引きずり込まれるのだから。
考えてみたら、それはなんだか、90年以降盛んに行われてきた「アナログのデジタル化」に似ていなくもない。
意地が悪いのか、そういう昔からのしきたりなのか分からないが、講師はそのような事実をいっさい知らせぬままに、あなたをデッサンというパラメーターの世界に放り込む。
はたしてこの作業は今の、そして今後のあなたにとってどういう意味を持つのだろう。
それはのちほどあらためて考えてみましょう。

次回は同じような状況における石膏デッサンについてお話しします。


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