美術部のM先輩

高校に入学してすぐ美術部に入った。
新入生では私のほかに男女5、6人が入部した。
美術部に集まった学生のうちの何人かは、
できれば美術大学に行きたいと言った。
芸大、多摩美、武蔵美、造形、女子美。
一年生のころから決めていた人もいれば、
途中から美大を目指す人もいた。
私は中学時代から、絵の塾の先生が卒業したのと同じ美大に行きたいと思い、
石膏デッサンと油絵を始めた。
しかし先生曰く、「いまごろこれじゃあダメだ」。
自分ではそこそこ描けているつもりでいたが、
ビーナスのデッサンなどは小手先のひどいものだった。

美術部には先輩が6人ほどいて、そのうちの3年生の2人が美大を目指し、
放課後に石膏デッサンに精を出していた。
男子のほかの先輩はほとんどが音楽に傾倒しており、絵画よりもフォークソングやロック、ギターに熱心だった。
美大を目指す先輩2人のうちの一人がY・Mさんだった。
名字は私と同じ。
小柄で、丸みを帯びた体型のかわいい女子高生。
放課後の美術室で一人粛々とデッサンをしていた。
(もう一人の男の先輩は結局、美大を受験しなかった)
初めて彼女の木炭デッサンを見たとき、私は、ずいぶんとうまい人がいるものだと脱帽した。
すごいですねと言うと、いつも謙遜して「まだまだよ。全然だよ」と笑う。
いわきの片田舎で、だれかに習っていたのか、独学なのか、高校生のレベルとしては高かった。
たしか彼女は、夏休みや冬休みに東京の美大予備校に通っていたと記憶している。
私は当時、彼女のレベルまで達する自信がなかった。
そのころの私に比べ、M先輩は対象をよく見ていた。
M先輩から、石膏デッサンを始めるにあたってのアドバイスをいくつかもらった。
私は地元の市民ギャラリーが開催する金曜の夜のデッサン会に、M先輩のすすめで通うようになる。
そのデッサン会は大人たちが運営し、威勢のいいT先生がいて、彼女はこの先生の信奉者だった。
しかし、しばらくして彼女はなぜかデッサン会に顔を出さなくなった。
ぼうっとしていた青年には思い及ばない、なにかの事情が先輩にはあったのだ。

そうこうしているうちに年が変わり、3月、大学受験のシーズンになった。
M先輩なら合格するだろうと思っていたが、彼女は落ちてしまった。
うろ覚えだが、M先輩は家の事情で浪人はできないと言っていた。
その後の彼女がどういう道を歩んだのか、知り合いに聞いても分からずじまい。
翌々年に私はM先輩と同じ美大を受験し、油絵科の別科になんとか合格した。
そうしていまだに絵を描いている。
40数年前、M先輩の連絡先を聞いておかなかったのは不覚だった。
とはいえ、いちどじっくり彼女と絵の話をしたいと思ったのは四十をだいぶ過ぎてからだ。
わずか一年だけだったが、M先輩から教わったいくつかのことは自分の絵画における基礎の一部になっている。



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